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「やばかったな」
志度はコーヒーを一口飲んだあとそう言った。
「やばかった」
私はココアが入っているマグカップを手に取り、ふーっと息を吹きかけた。息を吹きかけると湯気がふんわりとあがった。向かい側の赤いベンチシートに座っている志度は左手で頬杖をつき、窓越しに外を眺めていた。
志度と私は学校に行く気にならず、そのまま駅前の喫茶店に入った。この喫茶店は年季が入っていた。壁やカウンターはブラウンで統一されていて、床のタイルも四角くて茶色のものが引き詰められていた。照明は裸電球を何個も天井から吊るしたものになっていて、店内はとても薄暗かった。
「たぶん、あの車、俺に当たってたよな」
「そうだね。粉々になってた。夢みたいに」
私がそう言うと、志度はため息を吐いた。
「正夢だったってことか」
志度の声は静かで低かった。志度はコーヒーをもう一口飲んだあと、コーヒーカップをソーサーの上に戻した。
「――正夢じゃないよ」
「え、正夢だろ。だって――」
「志度が死んでないから」
「あ、そっか」
志度がそう言ったあと、ふっと弱く笑った。私もつられて弱く笑った。
「ねぇ」
「なに?」
「――生きててよかった」
「日奈子もな」
志度は優しく微笑みながら、センターパートの前髪を右手でジリジリといじった。
「なあ、日奈子」
「なに?」
「俺、マジで死んでたかもな」
「うん」
「――だけど、生きてる」
「――うん」
私はそれ以上、言葉が出てこなかった。もう一度マグカップを手に持ち、ココアを一口飲んだ。そして、窓越しに外を眺めた。道路には切れ目なく車が走っていて、どの車もゆっくりと通り過ぎていった。
――過去が変わった。志度は死ななかった。ようやく私はそれを噛みしめることができた。しかも、簡単にあっさりと出来てしまった。
「あのとき、日奈子がコケてくれたから、助かったんだな。きっと」
「――よかった」
「ありがとう」
志度はそう言ったあと、また左手で頬杖をつき、窓の外に広がる雪景色を眺めていた。窓の外では無数の人達が駅に吸い込まれていた。
「ねえ」
「なに?」
「ねえ、学校サボっちゃおう。今日」
「いいね。日奈子、悪い子だな」
志度はそう言って、微笑んだ。
「ねえ、私の家に来ない?」
「え、日奈子の家、行くの?」
「なにビビってるのさ」
私はそう言って、笑った。志度は急に頬杖をやめて、右手で口元を抑え始めた。
「いや、そうじゃなくてさ」
志度は明らかに目が泳いでいた。
「大丈夫だよ。親は6時までは帰ってこないし、お昼ご飯もうちで食べれるしさ」
「オッケー。わかった。あー、緊張する」
「もう、緊張しないでよ」
私はそう言いながら志度に微笑みかけた。




