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「最高だね。おめでとう」
「ありがとう」
桜子はノンカフェインコーヒーが入ったカップを手に取り、一口飲んだ。カフェの二階席のフロワーは全体的に空いている。窓側のこの席からは広々とした片側二車線の道路と、大通公園が見えている。大通公園を挟んで向かい側にはオフィスビルが几帳面に並んでいて、街は雨で灰色に見えた。
「でもさ、まだ、実感わかない」
「そうなんだ。そういうものなのかな」
「そうかも。本当は二人でゆっくり結婚生活を楽しみたかったけどさ、そうはいかないみたい」
「だけどさ、絶対、楽しくなるよね。子供いるとさ。それなりに大変なことも多いと思うけど、思い出がたくさんできるのが約束されてるよ」
「そうかもね」
私はカフェオレが入ったマグカップを手に取り、一口飲んだ。マグカップを唇から離すと、カフェオレが一滴、すっと、カップの下の方まで流れた。左手で紙ナプキンを取り、拭った。
「仕事はどうするの?」
「辞めようかなって思ってる。今の状態でも結構仕事キツいしさ、両立なんて無理だよ」
「育休明けにでも仕事は再開できるんでしょ?」
「そうだけどさ、無理だって。担任やってるのだって結構キツイしさ。高校生相手だから、小中よりはマシだと思うけど、私はこの仕事、子育てしながらやっていける自信ないわ」
「珍しく弱気だね」
私はカフェラテをもう一口飲んだ。ふと、桜子は私の何歩も先のことを話しているんだなって思った。
「慎重派だから。私。わかるでしょ」
「昔からね」
カップを持ったまま、私は外の景色をぼんやりと眺めた。雨足が強くなり、ガラスに大粒の水滴がたくさんつき始めている。大通公園を歩いている人たちは色とりどりの傘を差して、どこかへ向かっているのが見えた。
「育児が仕事みたいにがむしゃらに頑張ればなんとかやり過ごせることなら強気だけど、わからないよね。育児って。無理、無理」
「そうだよね。――子育てか」
私は手に持ったままのマグカップをテーブルに置いた。思ったより、勢いがついて、少し鈍い音がした。
「――それよりもさ、日奈子はどうなの。最近は」
桜子は椅子に座り直しながら、そう言った。
「うーん。普通かな。今度、函館行こうって、旅行に誘われた」
「お、いいねぇ。ラッキーピエロとか、海鮮丼でお腹はち切れそう」
「どんな感想だよ。それ。ラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガーは一日目に食べたいって彼におねだりした」
「さすが日奈子。貪欲だねぇ」
「でしょ。彼と函館満喫して、仕事のストレスすっとばしてくるわ」
「いいねぇ」
桜子はいつものように嬉しそうな声でそう言った。
「もう、折り合いはついてそうで安心したよ」
「うーん。それがまだ、わからないんだ。自分でも」
「そうなんだ」
「時々、今でも思い出しちゃうんだ。なぜかわからないけど。――志度のこと思い出すとなんか、すごく志度に悪い気がするんだ」
「――だけど、もういいと思うよ。日奈子。もう、随分前のことだし」
「――そうだよね」
私がそう言うと、少しの間、静かになったような気がした。外の雨は相変わらず、強く降っていて、帰るときに濡れないかふと心配になった。
「私はさ、日奈子にも幸せになってほしいの。本当に」
「ありがとう。でも、まだわからない」
マグカップを手に取ったあと、私は桜子に微笑んだ。




