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「来ると思った」
おばさんは私にそう言った。
おばさんはオレンジ色のサリーをまとっていた。きっと毎日、サリーを着ているのだろう。もしかしたら、サリーを着たまま出勤しているのかもしれない。
「5万円出すとどんな魔法かけてくれるんですか」
私はおばさんにそう言った。
「そう焦らないで」
「私にとって、なけなしの5万円なんです」
「そうなんだ。とりあえず、こっちでかけて」
おばさんは占いブースの方を指差してそう言った。私は言われたとおり占いブースの椅子に座った。今日もテーブルにはインドチックなテーブルクロスがひいてあった。
おばさんはおぼんに乗せてティーカップを2つ持ってきた。ティーカップをテーブルに置いたあと、おばさんはおぼんをパーテーションにかけた。ティーカップにはお茶が入っていた。湯気が出ていて、とても熱そうだ。お茶の匂いですぐにダージリンだとわかった。
淡くフルーティーで蜜を足したような香りがした。そして、木製のダイニングチェアーを引き、両手でサリーをなぞって座った。サリーをなぞる姿はとても綺麗で、慣れていて、少しだけドキッとした。
「緊張しないで。お茶飲んでからにしましょう。リラックスすることが大事だから」とおばさんはそう言ったあと、お茶を一口飲んだ。
「どう? 昨日より気持ちは落ち着いた?」
「はい、だけど、悲しい気持ちは変わらないです」
「そうだよね」
おばさんはそう言われると優しく感じた。そうだよねってその言葉がなぜか、夕方を告げるチャイムみたいに胸を痛めた。
「お嬢ちゃん、今が生きるのがつらいんでしょ」
私がゆっくり頷くと、おばさんは微笑んだ。目尻に細いシワがたくさんできていた。
「私はね、人生って常に何かを失う行為だと思ってるの。あなたにならわかるでしょ?」
「はい。――すでに色んなものを失ってます」
「そうね。あなたが若いからとかじゃなくて、人は多かれ少なかれ何かを失って、経験を得て、そして生涯を全うするんだろうね」
「そうかもしれないですね」
私はそう言ったあと、おばさんはティーカップを手に取り、またお茶を一口飲んだ。そして、おばさんは目を瞑った。数秒間、そうしたあと、すっと目を開けた。
「すべての生物にすべて共通していることって何だと思う?」
「――わからないです」
「生まれた瞬間からすべて死に向かっているってことだよ。だって、そうでしょ? 植物は生きるために光合成するし、動物は生まれてから死ぬまで何かを飲んだり、食べたりする。だから、人間が生きる時間って、生涯でご飯を食べる回数は最初から決まっていて、その食べる回数を超えたときに死が訪れるんじゃないかなって思ってるんだよね。不食の人が長寿なのは、もしかすると食べる回数を少なくしているからかもね」
おばさんはそう言ったあと、またお茶を一口飲んだ。私もおばさんに合わせてお茶を飲んだ。一体、なんの話をしていたのか私は忘れてしまった。人が生涯でご飯を食べる回数について、私はそれほど興味が持てなかった。だから、話を膨らませずに別な話題を切り出すことにした。
「なんで、人間だけ辛い別れを経験しなくちゃならないと思いますか?」
「うーん、難しい質問だね。あなたには悪いと思うけど、別れを経験することで気づくこともあるんじゃないかしら。私はそう思うんだよね」
「どうしてですか?」
「人間、体験しないとわからないことがあるでしょ。どんなことでも。それは別れも一緒だと思うの。誰にでも死は必ず訪れるし、大切な人を失ったら、生きている人間は立ち直って、自分が死ぬまで日常を過ごさなくちゃならない。立ち直らないと、死んだ人と過ごした過去に囚われて、今を生きることができなくなるからね」
おばさんはそう言ったあと、もう一口お茶を飲んだ。天井のクーラーの音だけが、部屋を支配していた。私もティーカップを手に取り、お茶を一口飲んだ。口の中いっぱいにタージリンの甘い香りが広がった。
「私ね、この装置で多くの人達に感謝されたの。私は管理人だから、実際に自分でこの装置を使ったことはないけどね。だけど、体験した人の顔は多く見た。大体の人は過去を見に行ったあと、現実に折り合いがつくみたい。だけど、そうでもない人も一部いる」
「そうでもない人」と私はおばさんにそう聞いてみた。
「そう。まるで別人みたいになった人もいたの。多分だけど、過去から帰って来れなくなって、そうなるんだと思う。ごく一部だけどね」
おばさんはまるで他人事のようにそう言った。
「帰って来れなくなるとどうなるんですか」
「安心して、死ぬわけではないから。その人たちは戻ってきて、そのままお礼を言って、帰っていくよ。だけど、なにかが違うの。様子とかね」
おばさんはもう一口お茶を飲んだ。私は何も言えずに黙っていた。
「怖がらないで。今はリスクの話してるだけだから。ほとんどの人はそのまま今に帰ってくるよ。ツアーから帰ってきたように満足してね」
「これって、本当に過去に戻れるんですか」
「私にはわからない。大体は思い出を見に行ってきて終わりって感じかな。旅行みたいにね」
おばさんはニコッと笑ってそう言った。そして、おばさんはまた一口、お茶を飲んだ。
「例えば、タイムスリップして、死んだ相手が本当はお嬢ちゃんのこと、どう思っていたかとか、そういうことを確認して、納得して帰ってくる人がほとんどだね」
私は頷きもせず、ただ、黙っておばさんの話を聞いた。別に確認したい気持ちなんてない。
――ただ、志度に会いたい。
それだけだ。
――タイムスリップできるなら、もしかして。
「もうひとつ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「タイムスリップして、死んだ人を生き返らせることはできますか?」
「例えば、どういうこと?」
「えーと、例えば、事故を未然に防いで事故で死ぬはずだった人を助けるとか、そういうことです」
「なるほど、そうね。私は聞いたことない。だけど、断言できる。私は過去は変えられないと思ってる。だって、過去が変わると、今、タイムスリップした事実もなくなる可能性が出てくるでしょ。ここにいるAさんは事故で死んだBさんを生き返らせたくて今、この店からタイムスリップしようとしているでしょ。だけど、Bさんが生きたことになってここの世界に戻ってきたとき、Aさんはそもそもこの店に来る動機がなくなるから、このお店には来ていないことになるでしょ」
「え、どういうことですか?」
「つまり、Bさんを助けたら、そもそもAさんはこの店に存在しないことになるの。タイムパラドックスって言うんだよね。確か、こういうこと。例えば、自分が生まれる前にタイムスリップして、自分の親を殺したら、自分は生まれなくなるでしょ? だって、親が自分を産まないでこの世から存在しなくなるんだからね。これをタイムパラドックスって言うらしいんだよね。だから、これと似たようなことが起きるから、Bさんを助けることができないんじゃないかなって私は思ってるの」
「そうなんですね」
「だけど、うちのタイムスリップじゃ、自分が生きている時までしかタイムスリップできないから、親殺しはできないんだけどね」
おばさんはそう言ったあと、軽やかに笑った。おばさんの笑い声だけが部屋に響いた。
「どう?それでも体験してみる?」
おばさんがそう言ったあと、私はおばさんに銀行の名前がついた封筒を渡した。




