第三話 終わった恋と“王子様”の記憶
気づいたら、自分の部屋にいた。
ユリワース様に馬車まで送られて、馬車に乗って……それから、私は何をしていたのかしら?
ずっと、考えていた。
ユリアース様が、私の気持ちに気づいていたことについて。
「そんな素振り、見せなかったじゃない」
ぽすんと、ベッドに横になり目を腕で覆う。
行儀が悪いと言われたって構わない。
多分、私は今日完全に恋心の芽を摘まれた。
私は自分でも気づかない間に、まだ期待をしていたのだ。
期待なんて、とっくに手放したつもりだったのに。
「なんて、情けない……」
パートナーとして、エンフィールド公爵家を盛り立てていきたいと願っていた。
ユリアース様に別に想う人がいても、彼の隣に立つのは私だ。
そう、奢っていたことに気づかされた。
泣きたかった。
泣きたくて、侍女も部屋の外へやったのに、不思議と涙が出てこない。
自分の呟きしか聞こえてこない部屋。
腕を下ろすと、白いベッドの天蓋が目に入る。
視界がにじむことすらない。
私は、まだ感情を飲み込めていない。
自分の中で消化しきれていない。
バルコニーに続く窓からは夕焼けが見えた。
そういえば、こんな時間だったと思い出す。
ユリアース様と初めて会ったのは、王女の友人や側近を決める品定めも兼ねた、王宮での子供同伴の茶会。
夕陽が落ちてきた頃に、迷った私の手を引いてくれた王子様――それが、ユリアース様だった。
* * *
幼い頃の私は、好奇心の強い子供だった。
そして同時に、自分のことを『もう立派な淑女だ』と思い込んでいた。
ピアノを弾けば褒められ、習ったばかりのマナーを披露すれば、父も母も目を細めて喜んでくれた。
その度に、私はますます気が大きくなっていったのだと思う。
初めて入った王宮のホール。
可愛らしいデイドレスや正装に身を包んだ子供達。
テーブルに飾られた花はどれも美しく、ティースタンドの上には宝石みたいに輝くお菓子が載っていて。
私は胸がふわふわと浮くような気持ちになっていた。
この日は王女様と直接お話しできる機会だからと、私は隣国の小説を読んで臨んでいた。
王女様が好きだと聞いた勇者の話だ。
物語の勇者は、弱くて優しくてときに卑怯なところもある。
けれど、逃げることだけはしなかった。
とても人間くさいヒーローで、私も読んでいて夢中になっていた。
じゃんけんで『グーしか出せない豚の怪物』に勝つ話。
川に落ちた少女を助けようとして装備品を全部置き、盗まれてしまう場面。
思わず笑ってしまうようなエピソードが多いのに、最後にはちゃんと魔王を倒して世界を救ってしまう。
そんな、少し不思議で魅力的な物語だった。
王女様がこの勇者を好きになるのも当然だと思ったし、読み込むうちに私自身もすっかり夢中になっていた。
そのせいだろう。
当時の私はしばらく『勇者ごっこ』に夢中だった。
探検も冒険も大好きで、まだ見ぬどこかへ行ってみたくて仕方のない子供だったのだ。
「あなたも勇者の話が好きなのね」
王女様と同じテーブルに着いたとき。
私は、勇者の話を読んだことを伝えた。
銀色の髪に青い瞳の美しい王女様。
私が興奮気味に勇者の魅力を語っても、優しく頷くだけ。
私は肩すかしを食らった気分だった。
勝手に彼女を自分の仲間だと思っていたのだ。
王女としての立場から、分け隔てなく接しなければならないのだと気づいたのは、それからだいぶ経ってからのこと。
消化不良だった私は、王宮内を探索することにした。
だって、王宮はステンドグラス越しの光が綺麗で、大きくて。
幼い私にとって魅力的なダンジョンだった。
ついてきてくれたお母様には
「お友達ができたから、一緒に近くをお散歩してくる」
と伝え、一人でホールを抜け出した。
警備の人間にはお手洗いへの道を教えてもらった。
回廊を歩けば、壁には知らない人の肖像画がびっしりと飾られている。
時々、甲冑や槍も置かれていて、手にとってみたらその重さにびっくりしたのも覚えている。
回廊から庭園に抜けられる道もあり、私は迷うことなくそちらへ向かった。
迷路状の庭は、まだ幼い私には木々が空を覆うほど生い茂っているように見え、最初は意気揚々だった私の心がだんだん不安に押しつぶされそうになっていた。
明るかった空に夕焼けが見え始め、けれども歩けど歩けど木しかない。
くたくたになった私の足は歩くことをやめた。
その場にうずくまり、膝を抱える。
デイドレスが草や土に汚れたことを気にする余裕もなかった。
草木や花の香りだけが私を包む。
今頃、お母様は私を探しているだろう。
もしかしたら、私のせいでお母様が怒られるかもしれない。
そう思ったら自然と涙が出てきた。
淑女が人前で泣くのははしたないと教育されていたけれど、私の涙は私の言うことを聞いてくれない。
そんなときだった。
「どうしてこんなところにいるの?」
深い紺色のジャケットに白いズボンの少年が、私を見つめていた。
王女様に似た青色の瞳。
夕焼けに染まる金色の髪。
私はただただ、見とれていた。
「もしかして、迷子?」
頷いていいのかどうかも分からない。
私のせいで大好きなお母様が怒られるのが怖い。
「今日はお茶会の日だったよね? ホールまで送ってあげるよ」
差し出された小さな白い手。
声も出せないくせに、私は迷わずその手を取った。
温かく、私より大きな手が私の手を包む。
「僕と一緒に遊んでいたことにしよう。そうすれば、きっと怒られないから」
今にして思えば随分と無茶のある言い訳だ。
だって、私の服は汚れているのに、彼の服は綺麗なままだ。
「泣かないで偉かったね」
その人は、私の涙を見ていたはずなのに、そう告げた。
そういえば、手を引いてから彼は私の方を見ようとしない。
前だけ見て、引っ張ってくれている。
それが、ユリアース・エンフィールド公爵子息だと知ったのは、お茶会から3日後のことだった。
* * *
あのときは、本当に『王子様』だった。
物語にしかいないと幼い私でも考えていた『王子様』が実在していた。
しかも、エンフィールド公爵家から婚約の打診が来ているとお父様から聞き、姿見を見た私は二つ返事で頷いた。
ふと、思う。
お父様は、あのとき既にエンフィールド公爵家には、双子の息子がいることを知っていたのだろうか?
今にして思えば、私が快諾したにも関わらず、渋い顔をしていたような……?
「でも、もう終わったことよね」
この婚約は覆らない。
ユリアース様の想い人が、王女だと知っていても。
【 お読みいただきありがとうございました 】
思い出の中の“王子様”と、今目の前にいる彼ら。
その差に気づいてしまったことで、
メリュジーヌの中で静かに何かが崩れ、また生まれつつあります。
消えていく初恋と、まだ形の見えない揺れ。
そのどちらへ傾くのか――
よろしければ、この先も見守っていただけると嬉しく思います。




