第一話 庭で出会ったのは、婚約者ではない“彼”でした
私は、目の前の姿に思わず呆然としてしまった。
月一の定例茶会で、婚約者の家に早く着いてしまった私が庭園を散策していたとき。
目の前には、私の婚約者――ユリアース・エンフィールド――の姿があった。
日陰で気持ち良さそうにうたた寝している彼がいた。
私の供の侍女も、驚きに息を詰めた気配がする。
それもそうだろう。
こんな無防備な姿、婚約してからの10年間一度も見たことがない。
「ユリアース様、そろそろ起きられてはいかがです? 間もなく茶会の時間ですが」
すやすやと気持ちよさそうな寝息に、またも頭がパニックになりそうになりつつも声をかける。
ゆっくりと開かれる深い青色の瞳。
私の方を向き、その瞳が大きく見開かれた。
心なしか顔色も白い。
「え? メリュジーヌ? どうして君がここに!?」
「間もなくあなた様との茶会の時間ですので」
私は手にしていた扇を広げ、簡潔に答える。
ユリアース様は、ひどく動揺していた。
公爵子息として育てられたとは思えないほどに。
そして、簡素な白シャツに丈夫そうな飾り気のないズボン。
ユリアース様の好みとは真逆な姿も不思議な気がする。
「あ、あぁ、そうだったな。見苦しいところを見せてしまいすまない」
口調も心なしか早口だ。
あなたの取り柄は隙を見せない、完璧な貴公子のような振る舞いでしょうにと、内心嘆息する。
……まぁ、それが悪いとは思わないが。
「私は構いませんわ。……ところで、これからいかがなさいます? お召し替えなさいます? それとも、このままエスコートしていただけるのかしら?」
私は扇の奥から飛び起きた婚約者を観察する。
土や草のついた衣服に、隠しきれない動揺。
木漏れ日の当たった金色の髪には葉っぱが絡まっている。
「すぐに着替える。エスコートできずにすまない。先にテラスに行っていてほしい」
「承知いたしました。では、また後程」
……あの方、本当にユリアース様かしら?
夏の暑さが見せた陽炎ではなくて?
私は侍女と目を見合わせ、軽く息を吐く。
婚約してから10年経って、まさか新しい彼の一面を見ることになるなんて。
違和感が消えないまま、私はいつものテラスに向かうのだった。
* * *
白いテーブルクロスの上。
ミントの葉が浮かべられたハーブティーに、サンドウィッチやマカロンが並べられたティースタンド。
その向こう側に、ユリアース様とご両親が座っていらした。
ユリアース様、随分お着替えのお早いこと。
そして、エンフィールド公爵夫妻がなぜこの場に?
私はカーテシーをして挨拶をした後、執事が引いてくれた椅子に座る。
テラスに続く窓は開け放たれており、少し湿度を帯びた風が通り抜けるたびに、私のハーフアップの髪が揺れた。
「メリュジーヌ。よく来てくれたね。先ほどは見苦しい姿を見せてすまなかった。エスコートもできず申し訳ない」
「いえ、気にしておりませんわ。ユリアース様でもあのようにくつろがれることがあるのだと、少々驚いただけです」
私は扇をテーブルの上に置き、淡々と答える。
先ほど驚きを共有した侍女は、斜め後ろに控えていた。
「メリュジーヌと話をしたいと両親が言うのでね。今日は私たちとの茶会を楽しんでもらえたら嬉しい」
柔らかな口元の笑み。
優しい眼差し。
よどみない台詞回し。
安心するほどユリアース様らしい。
本当に先ほどの彼は何だったのかしら?
「久しぶりだね、メリュジーヌ。なかなか君と話す時間を取れないことを歯がゆく思っていたのだよ。都合が付いて良かった」
「私も公爵とはゆっくりお話しさせていただきたいと常々思っておりました。この場に来てくださり、嬉しく思っております」
エンフィールド公爵は、金色の髪に茶色い瞳の筋肉質で背の高い偉丈夫だ。
以前は、騎士団の稽古に参加していたとも聞いている。
「私も、あなたともっと色々お話をしたいと思っていたのです。本当に今日は良い機会になりました」
エンフィールド公爵夫人の柔和な笑みに、私は微笑み返す。
銀色の髪が陽光に淡く溶け込み、白い肌はとても成人した息子を持っているようには見えない。
彼らは、将来の私の義両親。
良い関係を築きたいという意思は私の中にもある。
「ユリアース様。エンフィールド公爵に公爵夫人。このような機会を設けていただいたことにお礼を言わせてください。ありがとうございます」
王家の血筋である公爵は、国王の補佐で日々多忙を極めている。
エンフィールド公爵夫人は現国王の実の妹。元王女であられる。
婚約歴が長くても、ゆっくりとお話しする機会は少ない。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。君を独り占めしたいだろう息子に無理を言った甲斐があった」
闊達に笑う公爵に私はただ、微笑み返すのみ。
ユリアース様が私を独り占めしたい?
そのようなこと、あり得ない。
彼の私への接し方は、あくまで将来の公爵夫人へのもの。
ユリアース様から、独占欲などこれまで感じたことはない。
「ユリアースったら、あなたのことを聞いてもなかなか教えてくれないのよ。今日のお茶会では何を話したの?と聞いても、『互いの近況についてですよ』なんて一言で終わらせて。私、なんだか心配になってしまったくらい」
ユリアース様の公爵夫人への言葉に偽りはない。
本当に、私たちは互いの近況報告しかしていないのだから。
「公爵夫人。ご心配には及びません。私、ユリアース様からエンフィールド公爵家のことをよくお聞きしております。心構えもできているつもりですわ」
「あら? そうなの? そう……」
公爵夫人の蒼色の瞳が、ユリアース様に向けられる。
ユリアース様は苦笑し、ティーカップに口をつけた。
嫌になるほど、様になる姿。
多くの貴族子女を虜にするのも納得の貴公子ぶりだ。
「そうか。ユリアースと君はそこまで信頼の絆が育っていたか。……ユリアース。そういうことはきちんと報告しなさい」
「父上。私は、茶会の内容は聞かれるたびに伝えていましたよ?」
「そうかもしれないが、お前の話は淡泊というか……私たちが心配になってしまうほどでなぁ」
困ったように苦笑いを浮かべ、頭をかく公爵。
そんな公爵とは対照的に、ユリアース様は私にいつものように微笑んでみせる。
「すまないね、メリュジーヌ。親が心配性なようで。それもきっと、君が可愛らしいからだろう」
温度のない表面だけの言葉。
この場で、彼だけが泰然としていた。
「ここまで思っていただけたと知ることができ、それだけでもこの場に来たかいがありました。本当にありがとうございました」
私は机の上に置いた扇を手に取り広げ、笑みを作る。
ユリアース様と私はあくまでパートナー。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
ご両親の期待に添えない部分は、大変申し訳なく感じているが。
「だが……そうか、ユリアースとうまくやっていけていると知って安心したよ」
「そうね。私たちが動かないといけないのかもしれないと思っていたのだけれど、杞憂だったかもしれないわね」
ご両親が安堵の表情を浮かべて私とユリアース様を見比べる。
そんなときだった。
「確かに、メリュジーヌとは我が家や彼女の家の近況報告をしておりました。互いに必要な情報だと判断したからです。ですが、父上や母上が期待されているようなことは恐らく起こらないでしょう」
優雅にカップをソーサーの上に置いて、ユリアース様が口を開く。
その顔には、やはり笑み。
この方は、本当にどんなときでも変わらない。
私はあきらめのため息を、そっと扇の中でつく。
「父上、母上。そろそろ話されてはいかがですか? この場に同席した理由を」
私はおや?と思い、視線だけユリアース様に向け、それからご両親を見つめる。
ユリアース様に言葉を向けられたご両親は居心地が悪そうだった。
視線があちこちさまよっている。
「……何か、ございましたか?」
自分でも声が固くなるのが分かった。
国王の補佐役として社交界や政界を渡り歩く公爵の姿とは思えない動揺ぶり。
元王女とは思えないほど、落ち着きの無い所作。
これで何もありませんでしたと言われる方が不自然だ。
そんな中で唯一落ち着いているユリアース様。
彼は、マカロンを味わって食べている。
いや、そこが彼らしいところではある。
あるのだが――
公爵が一度、咳払いをした。
公爵夫人が、それを聞いて蒼い瞳を再び私に向ける。
「君に、伝えなくてはならないことがある」
硬く、低い声だった。
まるで、鳥肌が立つような。
「このことを話すことで、君の家――アレン侯爵家とは婚約の破談が許されないものとなる」
思わず、扇を閉じた。
パチンと、音が響く。
「我が家には、息子が二人いる。……双子だ」
「……なんと、おっしゃいました?」
はしたないと思いながらも、公爵を凝視してしまう。
視界の端に映るユリアース様はまた、紅茶に口をつけている。
本当に、何も変わらない。
「エンフィールド公爵家には、息子が二人いると言ったのだ。双子でね。ユリアースとユリワースだ」
射るように真っ直ぐ見つめられても、言葉が見つからない。
「そういうことだよ、メリュジーヌ。私には双子の弟がいる。それだけさ」
おそるおそる顔を動かすと、いつものように変わらず微笑むユリアース様が見えた。
【 お読みいただきありがとうございました 】
メリュジーヌが感じた “違和感” の正体は、
この先で少しずつ輪郭を見せ始めます。
静かに続いていた10年が揺らぎ出す瞬間を、
もしよろしければ見届けていただけると嬉しいです。




