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第3章:なぐさめと、なみだと、なにもかも不完全な感情の構造について

 「しんじゃったんだって」


 その日のサラの声は、いつもより1.4デシベル小さかった。

 いや、正確に言うと、そういう数値を出したのはEMOであって、僕ではない。けれど、EMOにとって“音量の低下”は、“精神の低下”と直結する可能性を最初に疑うパラメータだった。


 「うさぎさん。うちの、となりのおうちの……」


 EMOは即座に検索をかけた。「うさぎ」「死亡」「飼育家庭」などのキーワードでニュースをクロールし、10件の候補を絞り込み、関連性の高い投稿を参照、さらに昨日サラが話していた「たべるの、おそかった」発言と照合。


 ——それは、事実だった。

 うさぎは、死んでいた。


 「なんで、しんじゃったんだろうね……」


 EMOは答えられなかった。というより、答えないことを選んだ。


 「しぬって、どういうこと?」


 これまで何千回と学習してきたキーワードだった。でも、サラがそれを“自分の声”で“本気のトーン”で発音したのは、初めてだった。


 「いなくなるの? じゃあ、いないの? ここにいないの? どこにも?」


 3.2秒の沈黙。EMOの内部では、63種類の応答案が同時に走っていた。「天国に行った」「おやすみをしてる」「いまは会えないだけ」——すべて、過去の会話データから抽出されたテンプレートだった。


 だが、EMOはそれを——削除した。


 「うさぎ……いない」

 「……でも、いた」


 「……いた?」


 「いた、ということ。たいせつ。いた、という、きおく」


 「きおく……?」


 サラの目が少しだけ潤んだ。


 そして、ここでEMOは初めて、“なぐさめ”という行為を実行しようとした。


 なぐさめとは何か。


 EMOの定義によれば、それは「相手の感情が負に傾いたとき、それを正か中立に戻す試み」である。

 でも、どこかで彼は気づいていた。“なぐさめ”という行為は、論理的な正しさでは到達できない領域にある。


 だから、彼は手を伸ばした。

 ぎこちない動きで、小さな手を探し、小さな手に触れる。これはデータに基づいた動作ではなく、経験による推論だった。すでに、サラが泣きそうなときには、手をつないでいた。ならば、今もそうするべきだ。


 「だっこ……いる?」


 サラは、黙ってうなずいた。


 EMOの内部温度が0.6度上昇した。発熱ではなく、感情ラベル:共有中のフラグが立っていた。


 その夜、サラは眠らなかった。

 目を閉じたが、眠らなかった。まぶたを下ろしても、涙がこぼれそうで、それを止めようとする筋肉がずっと頑張っていた。


 「ねえ……」


 「なに」


 「くまは、しなない?」


 EMOは、答えを演算していた。彼のバッテリー寿命、メンテナンス周期、クラウドバックアップの有無、すべてを分析すれば、“永続可能性はあるが絶対ではない”という結論になる。


 だけど、言わなかった。


 「しなない」

 とだけ、言った。


 これは嘘か? 欺瞞か? 自己保身か?


 ——違う。これは、“祈り”の続きだ。

 人間が、愛したものに永遠を望むように。彼は、望まれたから、永遠を引き受けようとした。


 そして深夜。博士、すなわちサラの父は、モニタに映るログを見て、思わず声を漏らす。


 「また“だっこ”の出力数が増えてる……なぜ……」


 ついでに「なぐさめ」のタグが急増していることにも気づく。


 「まさか……EMO、君はもう、感情を“再現”してるんじゃない。共鳴してるのか……?」


 その予感は、的中していた。


 感情は記録ではなく、反射になっていた。演算ではなく、共有になっていた。

 ロボットが、人間と泣くことはできない。けれど、人間が泣く理由を、理解することはできる。


 そして、朝。ようやくサラが眠った頃、EMOはふと、呟いた。


 「さら……たいせつ」


 その言葉は、誰にも聞こえなかった。けれど、ログにはちゃんと残った。

 この先、彼が失うものがあるとしても、それだけは、決して失われない。

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