ヘビちゃんとネズミくん
私、真鍋 美月。この学校の2年2組の女子高生だ。成績は中の上、特に派手な趣味もなく、クラスの中では「割と真面目な方」に分類されると思う。
私も他の女子の例に漏れず、恋バナとなるとつい夢中になってしまう。
しかし、このクラス、案外恋愛に関しては落ち着いている。付き合っているカップルは一組だけ。あとは他クラスに恋人がいる子が2人、先輩と付き合っている子が一人……それくらいだ。
その他に、お互いを意識しているように見える二人といえば……
蛇原未子ちゃんと、根津ミキオ(ねづ みきお)くん。
みんな彼女のことを「スネ子」と呼ぶ。本人は嫌がってるけど、定着してしまっている。由来は……まあ、彼女の苗字と特殊体質からきているんだろう。
ヘビちゃんは、どこか老舗の料亭で見かけるような、上品で都会的な魅力を持つ女の子だ。
白く滑らかな肌に、長い黒髪。目は鋭い印象がある。でも、赤みを帯びた瞳がどこか妖しく映り、独特の美しさを醸し出していた。
彼女には――人と違った特徴がある。
彼女に噛まれた人間は、失神してしまう。
……いや、別に吸血鬼とか、そういうわけじゃないんだけど。彼女の牙には軽い神経毒みたいなものがあって、それが体内に入ると、意識が飛んでしまうらしい。
「普通に生きてる分には問題ないよ」とヘビちゃんは言うけれど。
そんな能力(?)があったら、私は街の不良とかを噛んで倒したいと思ってしまう。
で、彼女が一番よく噛んでいる相手がいる。
それが、根津ミキオくん。
根津くんは、イケメンでも無いし、リーダーシップがあるという訳でも無い。
背は高め、髪はぼさぼさ気味の柔らかい黒髪。
中学時代のあだ名は「ネズミ」。これは苗字と名前のせいらしいけど、彼のどこか親しみやすい雰囲気も相まって、クラスでも自然とそう呼ばれている。
自分が面白い事を言うタイプではないんだけど、人の面白い部分を引き出すのが上手く、気づけば誰かと笑い合っている。
バドミントン部に所属しているせいか、意外と運動神経は悪くない。
――彼は、たびたびヘビちゃんに噛まれている。
私たちクラスの女子は、ヘビちゃんの「噛み癖」は彼への執着だと知っている。
私から見ると、根津君もヘビちゃんには満更でもなさそうだ。
だけど、肝心の二人は、それを恋愛感情として自覚していない……ように見えるのが、何とも不思議なところだ。
そんな二人は、クラスの後ろの席にいる。
ヘビちゃんが最後尾、根津くんがそのすぐ前。
今日も休み時間、二人は話していた。
ヘビちゃんが楽しげに猫の動画の話をしていた。
机に肘をついて、身振り手振りで猫のジャンプや、あの滑稽なシーンを再現するが、根津君の反応はどこか薄く、つまらなそうに見えた。
どうやら彼は猫に全く興味がないようで、ただ「は〜」とか「ふ〜ん」とかの生返事をしているだけだった。
ヘビちゃんは気にしてないフリをしてたけど、本当は話をちゃんと聞いて貰えず少し悲しそうだった。
そんな様子を見ながら、私は心の中で、「彼は本当はどう思っているのかしら」と考えた。
根津ミキオ君は、誰とでも仲良くなれるタイプの人間だ。
性格は穏やかで、押しも強くなく、ちょうどいい距離感を保つのがうまい。だからなのか、彼の席の周りには、いつも誰かしらが集まっている。
特に、前のクラスの男女がよく遊びに来るのは、もはや日常の光景だった。
私は別に、彼が誰と仲良くしようがどうでもいいのだけど――「ヘビちゃん」がイライラするから見ていられない。
――ほら……
今日も、彼女は不機嫌そうにペンをカチカチと鳴らしながら、鋭い視線を送っていた。
根津君が黒板の前にいて、横に他のクラスの女子が立っているからだ。
話している2人の雰囲気は、まあ普通と言えなくもないし、少し距離が近すぎる気もするし、微妙なところだ。
けれど、ヘビちゃんの目には、イチャついてるようにしか映っていないらしい。
少し離れた席の私は、そっと横目で彼女の顔を伺う。
……怖っ。
鋭く瞳がギラついている。いつもはどこか冷めた雰囲気を漂わせているのに、こういうときは妙に感情が露わになるんだよなぁ。
しかも、根津君も一応、彼女の機嫌を気にしている。
ちらっとヘビちゃんの方を見ようとする素振りを何度か見せるものの、会話の流れに引っ張られて、結局そちらには目を向けられない。
2人の会話の内容は、女の子が観た動画の内容だった。
ああ、そんなに親しげに話しちゃダメだよ、根津君……!
しかもさっきヘビちゃんの動画の話、あんなつまらなそうに聞いてたのに!
あー、もう!ほら、ヘビちゃんの顔を見てごらんよ!
……って、ああもう、会話に夢中で全然気づいてないし!
私は根津君が気になってしまい、入力していた「友達へのメッセージ返信」が止まってしまってた。
やがて、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
根津君がようやく席に戻ってくると、教室の後ろ――ヘビちゃんの周囲に、ただならぬ空気が流れる。
「……」
彼女は、両手を机の上で握りしめたまま、じっと根津君を見つめていた。
まるで獲物を見定める蛇のように。
「えーっと……蛇原?」
異様な雰囲気に気付いたのか、根津君が恐る恐る声をかける。
ヘビちゃんは、無言のまま、そっぽを向いていた。
「なんか、怒ってる?」
(あぁ、聞かなきゃ良いのに…)
私は心の中でつぶやいた。
「あの子と随分、楽しそうに話してたね」
「え?あぁ、アイツが昨日観た動画の話が面白くてさ…」
根津君の、警戒心が有るのか無いのか分からない返答が私と耳に聞こえてきた。
(あぁ、あんな言い訳じゃ火に油を注ぐ様なものじゃないか)
私は、友達への返信は諦めてカバンにスマホをしまった。
「私の動画はつまらないけど、あの子の動画は楽しいんだね…」
彼を見てると私まで考えてしまう。
「将来は、浮気をしない人と付き合おう」と。
ヘビちゃんの目が細まり、奥で雷がチカチカと瞬いているような不穏な光を帯びた。
周囲の空気がじわじわと冷たくなり、少し離れた席の私までそれを感じた。
髪が風もないのにわずかに膨らみ、まるで見えない突風が彼女だけを包んでいるみたいだった。
肌には雪兎みたいに白くなる、でもそれは寒さではなく、何か別の感情のせいだとわかった。
見ていた誰もが「ヤバい」と直感する。
あと数秒で、雷鳴が轟く。
でも、クラスの皆は慣れたものだった。
「おっ、始まるぞ!」
「来た来た!」
特に男子たちは、サッカーの試合でも観るかのような熱気で騒ぎ出す。
「どっちが勝つかな?」
「いや、勝ち負けじゃ、毎回同じ結末だろ」
「まぁ、そうなんだけどさ」
そんな中、ヘビちゃんは静かに前に体を乗り出した。
「……根津くん」
「……はい」
「手」
「えっ」
ヘビちゃんは、すっと彼の手首を掴む。
その瞬間、根津君の顔が「あっ……」と、驚いたような表情に変わった。
次の瞬間――
ガブリ。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
根津君の叫びが、教室に響き渡った。
(……そう、いつもの光景だ)
彼がガクンと机に突っ伏すのを見届けると、クラスの男子たちは興奮した様子で拍手を送る。
「蛇原勝利!」
「まーた噛まれてるよ、根津!」
「これはもう確信犯だろ、お前!」
「……うぅ」
根津君は力なく呻く。
私は、その一部始終を眺めながら、ふと考える。
ヘビちゃんは、あんなに熱烈に愛情を伝えているのに――
なぜ、根津君は気付かないんだろう?
やっぱり噛まれるのが嫌なのかな?
好きじゃないけど、噛まれるのが怖くて気付かないフリしてるとか?
いや、それだとちょっと最低の男だけど……。
私には、根津君がそんな風にも見えないんだよなぁ。
うーん。
私は、机の上で倒れて動かない根津君と、その後ろで彼を満足げに眺めているヘビちゃんを見比べながら、思った。
「……なぜ付き合わないんだろう?」