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廊下での再戦(ゲーム男子と蛇女)


前回からの続き


 根津ミキオの「健忘(記憶喪失)」につけ込んで、彼の好きな人を聞き出そうとした蛇原スネ子。

 その作戦は、あえなく失敗した。

 恥ずかしさのあまり、彼女は保健室を飛び出していった――。


 残された根津ミキオは、一息ついた。

 気持ちを整えてから、保健室から廊下に出る。

授業を受けるために、教室に戻らなければ。


 授業の出席日数が足りていない彼にとって、のんびりしている余裕はなかった。


 ところが――。


 根津は廊下で、意外な光景が目に飛び込んできた。


 そこには蛇原スネ子が立っていた。

彼が保健室から出てくるのを待っていたようだ。

 彼女はそわそわと落ち着かない様子で何度も前髪をいじっていた。


 根津はいささか驚いた。


 あんなやりとりがあった直後なのに。

 教室の隅で膝でも抱えていると思っていた。


 なのに――ここで待っている。


 その姿は、どこか滑稽で、そして少しだけ、健気だった。


「……あの」


 彼女が、小さな声で口を開く。


「根津君、言ってたんだよ。本当に」


「……ふぅ」


 根津は、呆れたようにため息をついた。


 彼女の言っているのは、根津が“記憶を無くしていた”時間のことだ。

 そのとき、根津が『自分の好きな人を、彼女に教える』と発言していた――と言い張っている。


 だが、それが彼女のウソであることは、つい数分前の保健室でのやりとりから明白だった。


(この女、まだ言うか)


 心の中で、毒づいた。


 とはいえ。


 そんな強引な彼女の態度すら、どこか「可愛らしい」と思ってしまう自分がいるのが、根津ミキオにとっての弱味だった。


 だが、だからといって情に流されるような男ではない。

彼は自分にそう言い聞かせた。


 根津は友人たちとポーカーなど、ブラフゲームを繰り返し遊んできた。

 なので、この手の虚実入り混じる駆け合いにはそれなりの自信があった。


 ウソというものは、「バレていないからこそ価値がある」。

 バレてしまった時点で、それは中身の入ってないプレゼント箱のようなもの。もはや無価値なのだ。


 その事実を理解せずに、彼女はまだ押してくる。


 次の瞬間、蛇原スネ子がぐい、と身を寄せてきた。


「根津君の好きな人を、私に教えてよ」


 先程は、不意を突かれてドギマギしてしまった。

 だが――今度は違う。


(2度も続けて、その手は食わないぞ)


 根津の目がすっと細まる。

 勝負を受けて立つ者の顔だった。

口元にはわずかな笑み。勝ちを確信している者の余裕があった。


ーー


 どれだけ悔しかろうと、どれだけ引き下がれなかろうと、ウソがバレたからには勝負からは退かねばならない。


 だが、ブラフゲームの初心者というのは、それができない。

 感情のコントロールができず、悔しさのあまり、自分が仕掛けたウソを引っ込められないのだ。


 そして、ウソの初心者たちは、さらに自分の損害を拡大させてしまう。


 今の彼女が、まさしくそれだった。


 一呼吸おいた根津は、冷静さを取り戻していた。


(悪いな、蛇原。この勝負に俺の負けはないんだよ)


 根津はすっかり勝負好きのゲーム顔になっていた。



 ウソというのは、安全な攻撃方法ではない。

 むしろ、真逆――リスクの塊だ。

(蛇原スネ子はまだ知らないようだったがーーー)


 こんなふうに、ウソを逆手に取られては……。


 冷静になった根津は、手負いの獣にとどめを刺すかのように、正確に狙いを定めて打ち込んだ。


「蛇原はさ……」


「……?」


 スネ子のまつげが、わずかに揺れる。


「なんでそんなに、俺の好きな人を聞きたいんだよ?」


 学校の保健室前の廊下。

 根津が一歩、距離を詰めてくる。確信を持った鋭い目つきで。

 すぐ目の前には、彼女の顔があった。


「えっ……!」


「あ……」


 ぐいぐい押してきたはずの彼女の勢いは、ピタリと止まった。


「だって、おかしいじゃん……」


 根津が、さらに一言添えると、スネ子の表情がみるみる崩れていった。


 その顔は真っ赤になり、戸惑いがありありと浮かぶ。


「蛇原。お前が、そ・ん・な・に、俺の好きな人を聞きたいなんて……」


 今度は、根津が彼女に詰め寄った。


 先ほどとは対照的な構図に、彼女はたまらず、ジリジリと廊下を後ろに後ずさる――。



(先に仕掛けたのは失敗だったな。蛇原)


「え、あっ、その……」


「そんなウソまでついて。廊下で待ち伏せしてまで。」


そのときの蛇原スネ子の表情は、あまりにも分かりやすかった。

目線は定まらず、左右に泳ぎ、焦点が合っていない。

呼吸は浅く、喉の奥で引っかかるような音を立てる。

まるで心臓の音が口から漏れ出しているようだった。


勝利を確信した根津は、グイグイ歩みを進めた。


「あるんだろ?どうしても知りたい『理由』がさ……』


彼女の表情、呼吸、目線の泳ぎ。どれを取っても、追い詰められている。

まるで、人狼ゲームでひた隠しにしていた自分の正体がバレたオオカミ役の様に慌てふためいている。


根津ミキオは、廊下の壁に拳を軽く付けて彼女の逃げ道を塞ぐと、穏やかに回答を迫った。


「ぜひ、俺に聞かせてくれよ。その理由を……」


彼女は肩を小刻みに震わせ、

追い詰められた小動物のように壁際で息を殺した。

そして、その目は完全に負けを認めていた。


(勝った!)


結果的にだが、彼女のウソを見破ることで彼女を追い込むことができた。

理屈ではない。身体の反応がすべてを物語っていた。


(これは蛇原からかなりのことを聞き出せそうだ)


彼女の中に潜む秘密。矛盾。言い訳。

今ならそれをこじ開けられる。


ゲームでも滅多に得られない大勝利の予感に根津ミキオの心は踊った。


ひょっとしたら、自分と彼女の関係性は劇的に変わるかもしれない――

根津は勝利を確信し、大きな興奮を覚えた。


そのときだった。


コツ、コツ、コツ――。


二人しかいない授業中の静かな廊下に、独特のハイヒールの高い音が鳴り響いた。


この高校で、あの音を出して保健室に向かって歩いてくる人は一人しかいなかった。


保健室の先生。


女子生徒の精神的支柱。白衣を着た恋愛のカリスマ。

校長先生もやり込めると噂のハイスペックウーマン。


その先生は、まるで恋する乙女を守る女神の様に、戦場で苦しむ信者の前に現れた。


蛇原スネ子は援軍が来たかの様にみるみる自信を取り戻していった。

さっきまでの狼狽は、まるで幻だったかのように、表情が落ち着き、口元には小さな笑みすら浮かび始めている。


さっきまで、得意げな笑みを浮かべていた根津の顔は、みるみる青ざめていった。


(あぁ〜!)



「あ、入江先生が来た。この話はまた今度ね」



その「今度」が二度と来ないことを祈っりながら、蛇原スネ子はスカートの裾をひるがえし、廊下を走って教室へと戻っていった。


根津は、大魚を逸した漁師の様にがっかりした。


「……」


彼は、保健室の前の廊下で言葉を失い呆然と立ち尽くしていた。

あと一押しで、ほんの少しで、全てを引き出せたはずだった。


「……あら、根津君」


入江先生がゆっくりと歩いてきて、静かに声をかける。


「入江先生〜(怒)」


「どうしたの?」


入江先生は、映える口紅をわずかにゆがめ、淡々とした声で言った。


「い、いえ。別に」


白衣のラインに沿って、肩から腰にかけて流れるような立ち姿。

その凛としたたたずまいは、男女問わず見るものを釘付けにする。


根津は、先生の鋭い視線を感じ、蛇原に迫っていた自分が急に恥ずかしくなり、顔が赤くなる。


「起きたから、今から帰るところです」


俯きながら、そう返答した。


「あら、そう。」


気だるそうに髪をかき上げる。


「おかしいわね。」


「じゃあなんで君は、好きな子に告白できなかった小学生みたいな顔してるの?」


 誰も居ない保健室前の廊下で、入江先生は少し笑みを含んだ顔でそう言った。


「(くぉのぉ!性悪教師め……!分かってて聞いたな!)」


 入江先生は、抜け目なく蛇原が走り去るのを視界に入れていた。


 当たらずしも遠からずな発言が、チャンスを逃してヘコむ根津の癇に障った


 根津は先生を睨みながら思った。


(あとちょっとだったのに!)


根津は地団駄を踏んだが、後の祭りだった。

後から蛇原に同じ質問をしても無駄だろう。

先ほどの自分がそうだった様に、冷静になって考えれば、逃げる答えなどはいくらでも出てくるのだ。


友人とのゲームで勝ち負けの機微を学んでいる根津は、蛇原スネ子よりも見切りが早かった。


「入江先生、教師なら男女差別なく生徒を応援して欲しいんですが!」


少し八つ当たりの様な言い分だったが。

根津はイライラを我慢しきれず先生にぶつけた。


(どうせ先生には何があったかはほとんど見当がついているのだろう)


入江先生は、完璧に整った横顔をそのまま保ち、根津の言葉を受け流した。の)


(なるほど。そういうこと)


短いやり取りだったが、入江奈美はそれで全てを察した。


「不安定な生徒のケア」は彼女の業務に入っていた。

蛇原スネ子が走り出して逃げていくような事態なら、彼女への聞き込みが必要かと思ったが……


高校生男子は扱いが楽だ。

こちらが「知った顔」をしていれば、ペラペラと洗いざらい話してくれる。


 根津のおかげで、養護教諭の仕事が一つ減ったのだった。


 先ほどは、蛇原スネ子には大勝利をした「勝負師」根津ミキオ。

だが、この歴戦の猛者ーー入江奈美の前では「仏の掌で踊るお猿」のようなものだった。

 当の本人は、上手く使われたことにすら気付けていない。



「根津君。」


 入江先生の、いつもの気だるそうな声が廊下に響いた。


「まだまだ、修行が足りないんじゃないの?」


「は?」


皮肉ともアドバイスともつかないその口調に、ムシャクシャしている根津は余計イラついた。


 そんな彼の苛立ちにはお構いなく、白衣の養護教諭は言葉を進めた。


「本当に良い男なら、女が逃げていくことは無いわよ?」


「ゔっ!」


根津は胸の図星を撃ち抜かれ、不満を止めて黙り込んだ。


ぐうの音も出なかった。


確かに、目先の利益に踊らされて、彼女から自分に都合の良い情報を聞き出そうとしてしまった。

それも「彼女を追い詰める」という形でだ。


それが「良い男」の振る舞いか?


先生が言いたいのはそういうことだろう。


さすがに。女子から「カリスマ」と敬われるだけのことはある。

根津はそう感じた。恋愛に関する指摘は的確だ。


とは言っても、自分の腹の虫を治めることはできないまだ未熟な男子高校生は、拳をぎゅっと握り締めた。


「あぁ、本当に惜しい事をした。」


根津はそう呟きながら、足りない出席日数を少しでも増やすために、重い足取りで教室へ向かった。


仕事時間中に1ミリも無駄の動きをしない入江奈美は、珍しくその彼の後ろ姿を面白そうに眺めていた。



(つづく)

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