(1)
秋の彼岸を過ぎてひと月も経つとすっかり夜も長くなり、夏の残滓も感じられなくなる。
異世界らしくない感慨に浸りながら食材の仕込みに取り掛かろうとする酒場の主の隣で、
「ふェっくしゅーゥい!」
品のない大きなくしゃみを飛ばす小柄な女。
慌てて食材を飛沫から守ろうとする主・マーチンと、己の不始末を棚に上げて辱められたような顔で恨みがましげな目を男に向ける女・ヨランタの間に良くない空気が流れる。
病原体とか疫病防止という感覚はこの魔人(マーチンの感想)には通用しないだろう。理詰めの説得は反射で諦めたマーチンは無難な線で却下を伝える。
「くしゃみエチケットは、大事。特にメシの前では。ね。寒かったらもっと着込みなさい。」
ヨランタの服装は季節に合わせたマキシ丈ワンピースだがスケスケの総レースで、薄いストールは羽織っているがいかにも涼しそうだ。
「くちゅん♡ …これでいい?」
「なンにも良くないが、まぁそれでええわ。」
「それにしても、やっぱり魔都は男の街だね。良い女もの服を探すにはずいぶんな遠方まで行かなきゃなんて。」
「ふーん、良かったやん。その上に割烹着でも羽織ってなさい。」
*
この魔都は、元になる村ができてから32年、どうにか街と呼べる姿になって24年、大聖堂と仮宮殿が完成して立派な都市になってからまだ8年。まだまだ発展途上である極めて新しい街だ。昨日も今日も明日も新しい店が開いたと思ったらひっそり閉まる店もあって、豪壮な商店が10日後には空き地に露店が開いている区画になっていたりもするほど気忙しい。
で、それだけに人口の男女比は8に2、働く男は8のうち7、年頃の娘は2のうち1。年寄りと子供は10のうち2、という片寄り倒した数字になっている。せめて7の3にならねばまともな都とは呼べないだろう。ちなみにヨランタとマーチンは統計外の無届住人・浮浪者扱い。
「ちぇー。ちょっとくらいセクシーを褒めてくれてもいいじゃん。」
「キミの場合は1褒めたら10喜んでくれて気持ちいいけど、100うぬぼれるからちょっとした評価も注意が必要。」
たしかに以前、着古した雑な下着姿でセクシーを自称したのに比べれば長足の進歩であるかもしれない。しかし。
「でも、1000くらいの良いものを見れてるでしょ?」
「普通にお酒を飲むお店では必要ないよね。普通の服に着替えておいで。」
「はぁい。…続きは夜で☆」
一旦、奥に引き返していつもの感じの程々モードの服になってきたヨランタだが。
「あら、ちょっとカビ臭くない? 何の臭い?」
「お前、オマエ、まさかとは思うがひょっとして、コレの匂いを、松茸様の香りを黴と呼んだか?」
松茸。日本においては希少で高価なキノコの代表格。日本では古来〝香りマツタケ・味シメジ(ブナシメジにあらず)〟と謳われるほどのブランドだ。世界的には未だ無価値だが、このご時世なので外国勢力も参戦したりすれば輸入マツタケもいつまで楽しめるか。早いうちに楽しんでおきたい一品。
そしてこれは国産。そういう食材だが。なのに。
香りを届けようと差し出した逸物を見たこの女はみるみる赤面して目をうるませ、引きの構え。
「あっ、ちょっ、ちょっとマーチン、そんなご立派なもの突きつけないで。」
顔中を真っ赤にしながら、そそり立つ松茸とマーチンの顔を交互に見て目を覆おうとしているのか、緩んだ口元を隠そうとしているのか。
「?……?…あっ――。貴様に松茸は食わせてやらん!」
「えッー! それは! それだけはご勘弁! これが、これだけが楽しみだったのに! ひさしぶりなのに!」
「うるさいな。…ま、しょうがない。」
「ふぅ。たまげたなぁ。」
「…松茸様は出してやるが、七輪セットを揃えたから、自分で焼いてもらう。まずは、突き出しのエイヒレ。そして銀杏、しかる後に焼き松茸様。それでええか。」
「わからん。教えてもらいながらだったら、やってみる。それから、お酒。」
「はい、はい。」
*
ヨランタが「ひさしぶり」と叫んだのは割とそのままの理由がある。かつてファニー大主教の奸計を退けた後、またまたほとぼりが冷めるまでしばらく魔都を出たほうがいいという話になり、ちょうどその頃、かつて新年の春分祭で知り合ったユメから缶詰の追加購入希望の便りが来ていたこともあって、ヨランタ率いる馬車2台の外国へのお使い部隊を派遣していたのだ。
ヨランタみずから動かなくても、信用できる商人と信用できる護衛の冒険者に金を払って言付ければ済む話でもあるのだが、ヨランタにもマーチンにも特に商人方面の人脈が無い。
ギルドや知り合い冒険者の紹介で候補は絞ったが、やはり一度は行動を共にして人品を確かめなければどうにもならない。ので、少なくとも初回はヨランタ様ご自身がお使い団のリーダーをせざるを得なかったのだ。もちろんマーチンは留守番。
ユメの旦那の領地があるフルワッカ国から魔都へ、ユメらの使節は急ぎで片道15日の旅程だったとは聞いていた。
とはいえヨランタたちは不慣れで不案内で、押し通す権威もない旅路。結果的に倍近い日数をかけ、目的地では歓待を受けつつ帰りの馬車に積む荷物も仕入れて、としていたら全部で3ヶ月もの長期旅行になってしまった。
ここでのエピソードは後に触れることもあろう(異聞編の〆も含む)が、とにかく今は今朝がたようやくマーチンのもとへ帰り着いたヨランタが夏以来のごちそうを期待している場面なのであると読者の皆様にはお含みおきいただきたい。
*
「うむ、その七輪は1人用にはちょっと大きいサイズやけど、松茸も焼くからな。
…中には炭火が熾っておる。で、金網の火の真上を外したあたりに、その小皿のエイヒレを乗っけて、反ってきて柔らかくなってきたら食べ頃。すぐやで? あ、この鮭とばもあげよう。
こうゆうのが、ね、ええねん。」
「おぉぅ?おー、お酒。そう、お酒も。」
「あ、お酒ね。うん。…松茸様にはええのを出すとして。突き出しの干物にはフルーティはガラじゃないからね。まずは普通オブ普通酒、大阪の呉春で、どうやろ。」
「普通とは?」
「普通。悪いもんじゃないよ。基準。スタンダード。そこが曖昧のまま上等もキワモノもわかったもんじゃないからね。久しぶりだからこそ基本に立ち戻ってみよう。酒器も選んどいてね。」
普通、普通……とつぶやきながらヨランタが選んだのは土器を超えて、もはや自然石のような丹波焼のぐい呑。基本的には派手でスタイリッシュ好みの女だが、妥協したのか心境の変化でもあったのか。
ぶっきらぼうな ざらつく陶器も、酒が注がれると心做しか器肌が艶めいて味わい深く目に映る。立ちのぼる酒の香りは垢抜けきらないクセもあって優美とはいえないが、七輪の金網上のエイヒレが炙られて反りながら香ばしい空気を広げると、少々の臭みとも見事に調和して、肩肘張らない安らいだオモテナシ空間を演出してくれる。
白っぽかった干物に焼色がついて柔らかくなり、表面に油がにじみ出てきたら食べ頃。皿にとって、アチアチ言いながら一口サイズに指で裂いて、そのまま齧る。
モニュモニュと噛んで、口いっぱいに魚味が広がったところで、呉春を多めのひと口、グイッと。
こう、これ、こういうのですよ。見栄のない、押し付けのない、軽んじているわけでもない心尽くし。お酒も食材もいつもどおりで、でも目の前の火床で自分で焼いて食べるっていうちょっとの工夫で迎えてくれるのが、楽しいよね。
でもね。…いや、嬉しがってるのは本当だよ。自分の喜びに水をさしたくはない、うーん。
「ん? 何か、あかんかった?」
「いや、大丈夫だよ。」
「そうかね。…七輪で焼くのも、キャンプみたいでたまには面白いやろ。」
「いやさ…私、ここしばらくずっと野営の焚き火料理が多かったから、実は。」
「あー。そうか、考えてみたら当たり前やな。うんざりして食傷気味?」
「それほどでも。こんな上等の干物はなかったし、お酒も、だからね。」
わずかに不満そうな様子だったのは、そういうのよりもキラキラゴージャスがご希望だったからか。ただしそれはマーチンに求める方が勘違いしている。
彼の価値観では松茸こそがお姫様にもふさわしいキラキラ。そのキラキラをいきなりナニ扱いされては若干、含むところもある。
お互い、久しぶりで調子が狂ったところもあるだろう。そろそろ立て直しが必要。
「しかしこれは挽回せねば。ま、本番は先やからな。お次は銀杏。
のんびり殻から煎ってもらおうかと思てたけど、そういうことなら手っ取り早く、下ごしらえしてた串物を焼いてもらおう。お酒も、秋のもので。」
「そう? …あらキレイ。これは、豆?…じゃないね、木の実?何かの卵?」
「卵やったらキモいな。木の実で正解。公孫樹の木の種の、殻を割った中身。
ある程度火は通してるんで、さっと炙って焼き目がついたら塩を振って食べて。それから、お酒は、こちら。」




