(2)
営業時間後にファニー大主教が訪ねてきて、チョコとナッツを肴につまみながら〝咲耶美〟を飲んでる。おいしい。でも、持ってこられたお話はおいしくない。
ファニーの言った事をまとめると、こうなる。
ヨランタを聖女として自らはその後見役・主人・黒幕として王都の貴族たちに君臨する、予定だった。しかしそのためには、ヨランタ自身もどこぞの馬の骨のチンピラ娘ではなく、それなりの名声が必要になる。
それなり、とは、気軽に闇に葬られない程度の勢力があるくらい。
病を癒す能力は素晴らしい。だが、死を願われる人物は存在する。特に王侯貴族ともなれば、死を願われない人物が存在しないほど。
そういうところに、ヨランタなどがのこのこと顔を見せればどうなるか。
誰しも、自分は死にたくないもの。どんな病も怪我もたちどころに治してしまう人物は敬われ、大切に扱われるだろう。
しかし例えば、アラフォー王太子は現王にさっさと玉座を明け渡してもらいたい。その現王をヨランタが治療して、まだまだ30年は現役で頑張れる! などとなってしまっては、待ち切れなくなった王太子に悪い心が生まれてしまう。
王太子に限らず多くの貴族の家で似たような問題はある。そういう場合、ヨランタは容疑者無数の貴族家の中の誰かによって存在を闇に葬られ、人目につかない城の奥深くに厳重に幽閉されて主人専用の治療マシーンにされることだろう。また、そのための暗闘から内乱に発展するケースまで起こり得る。ファニー個人の勢力では守りきれない。
でも、時間は待ってくれない。もう呼び出されてしまった。こうなっては、好ましいことではないが例の聖帝国のペーターも連れて出頭し、聖堂の権威を盾に、なるべく穏当に済ませるしかない……
ファニーの聖女計画・修正版はこんなところだ。
が、それはあくまでファニーの都合。
「だから! わらわの言う通りに働いておれば!」
「聞いてないしー。私は、いつもどおり逃げるだけだよ。」
「聖堂から逃げるだけでも捕まって拷問されてたのに、追加で国からも追われる身になるか。ま、そなたみたいなのには、潮時、というものかも知れませんの。
…店主殿は我々でしっかり守るから、外国でも魔界にでも逃げるがいいわ。」
*
「話、済んだ? 悪いけど、大声やったから丸聞こえやったわ。ヨランタさん、どっか行ってしまうん?寂しなるなぁw。」
「えっ、マーチン、一緒に来てくれないの!!?」
「俺はこの店を離れてできることは何も無い。火の番もでけへん文盲の貧弱おじさんが1人、まったくの無力。ここにいられへんのやったら日本に帰る。とってもシンプル。」
「じゃあ、私も逃げない。」
「ならば、どうするというのです?」
〝相談〟は思ったより長時間に及んでいたらしい。仕事を終えたマーチンとモニカが自分たちの夜食と酒を持って座敷の様子を見にやってきた。
が、議論は蒸し返されて振り出しに戻る。ただ、ヨランタには自信があるようだ。
「ファニーの病気が治ったことが原因なら、病気が治ってなければいい。もう一度あの病気になってもらう。…なぜ私がお偉い大主教猊下様をこんなにナメてるのか、考えたことない? どうとでもなるからよ。」
「「「邪悪!」」」
「マーチンまで、そんな。ファニーちゃん、要するに命の恩人の私を王様にちょっとほのめかされたくらいで売ろうとしてるのよ。邪悪はどっちかしら。」
「ゆうても、こんな国の王様やで? 逆らったら殺されるやん。」
「マーチン氏、〝こんな国〟はヒドいですし、王様もそこまで無道ではない、はず、だと思いたいです。」
「ふぅん。モニカちゃんが、そう言うんなら。じゃ、猊下ちゃんは病欠届け出して引き伸ばし、問題は先送り、ってトコかね。」
「待って、わらわ、二度と病気時代には戻りたくない……」
「そりゃ、そうやろ。このサディストが悪い気を起こす前に、一旦帰って善後策を持ち直しておいで。」
「うむ、帰ります! モニカ!」
「えっ、お夜食が、猊下ひどい、あ、お待ちを!あうぅ…」
*
「あんなんで、ホンマに良かったんかね。」
「さすがマーチン、厄介さんを追い払う口車のスピード感が最高だね。」
ようやく静かになったお座敷に、マーチンが生野菜に歯を立てるポリッという音が響く。
床の間には相変わらず、サングラスを引っ掛けられたヒマワリが咲いている。今は揺れていない。
掛け軸には〝きみにふた心 わがあらめやも〟と書かれてある。〝あなたを裏切る心が私にあるはずがない〟みたいな意味だが、肝心の相手には何ひとつ通じなかったという裏話付きの詩だ。見なかったことに。
(強くもなくて、損得もないのに私をかばって守ってくれる。そんなマーチンの前でだけなら、私も普通の女の子でいられる…)
口に出す気にはなれない甘い思考を乗せて、酔って眠いのか、それ以外の感情なのか、トロンとした熱っぽい目を向けるヨランタ。だが、いぶかしげな視線を返されて、ごまかすように慌てて、いつもの調子で問いかける。
「マーチン、それは?」
「俺のお夜食。ひたすら揚げ物してたんでな、油はじゅうぶん浴びたから生野菜だけでええわ。
洗った生の万願寺に金山寺つけて齧るの。」
「なにそれ、私も食べていい?」
「まだ食うか。モニカちゃんのぶんも用意してたから、量は十分あるけど。」
「わぁい。マンガンジ大好き。おいしいかどうかは別として、なんか大好き。」
「意味わからん…いや、あるかも、そういうこと。哲学やな。その万願寺とうがらしに、金山寺味噌をつけて食べるだけ。好みでマヨネーズ足してもOK。そして、酒。」
「おひさしぶりのマンガンジーに、キンザンジー。韻を踏んでてバッチリね。これはひとつ、解説をお願い。」
「解説、ねぇ。万願寺は、大ぶりの唐辛子で、全然辛くない。炊いても焼いても揚げてもうまいし、生でも食える。金山寺は、お味噌汁の味噌とはちょっと違う〝もろみ味噌〟に、瓜やら茄子やらの刻んだものも投入して、単体でおかずになれるタイプにしたお味噌。禅僧のお粥さんに添えたり、なめろうの味付け&具とかにも使う。
とりあえず食べてみ。」
「うぅん、うまい!」
「俺の必殺の食レポを盗るな。」
「あ、マーチンは別のお酒飲んでる。」
「ええやろ、別に。そっちはそっちで…咲耶美、まだあるやん。もう飲みきったか思ってビビったわ。」
「これもおいしいけど。仕切り直し、気分一新で。そっち、ちょうだい?」
「咲耶美を冷蔵庫に戻して、スッキリ系用の盃を持っておいで。」
「はぁーい。」
*
若干ヨタつきながらも、素直に前の酒を戻して、新しい酒器を持ってきたヨランタ。磁器のすっきりしたボディに織部釉をかけ分けた、今焼の作家物の盃だ。
「あっ、客用のじゃなくて俺用の棚から持ってきやがったな、いつの間にバレてた。」
「いいじゃん、これで飲んだらおいしそう。良いものです。」
「ええけど、もし割ったら猊下ちゃんに連れてってもらうで。」
「割らないって。私がお皿を割っちゃったこと、あった?」
「あった気がするな。何やったっけ、ちょっと出てこんけど。…ま、ヨランタさん、とりあえず一杯。」
「おっとっと。あぁ、こっちもいい香り。…ところでマーチン、いつまでも〝さん〟付けでレディ・ヨランタなんて呼ばないで、よし子って呼び捨ててほしいなぁ。」
「なに、レディ・ヨランタ? キミにぴったりの良いエテミョーやんけ。」
「マーチン、いつの間にかけっこう酔ってる?」
「キミに心配されるほどではない。」
「それ。キミ、ってのも他人行儀。」
「ちょっと黙れ、よし子。」
「ひゃいッ☆」
ふだんより低く妙に良い声で話を打ち切られて、なぜだか赤い顔でニマニマモジモジしているヨランタ。それに構わず、黙って生の万願寺とうがらしをポリポリ齧る、マーチンがたてる音だけが沈黙の中に響いている。
これはこれで、気まずくはないリラックスした空気だ。が、マーチンが手酌で酒を注ぐ水音で、ヨランタがピクリと意識を取り戻した。
自分でも酒のおかわりを確保しつつ、気になっていたことを問う。
「ところで、それは何ていうお酒?」
「これか。これは、〝スーパーくどき上手〟」
ブー。
聞いてから何気なく口に含んだ酒が、そのままマーチンに吹きつけられた。
「あ、これは、アレ、聖女の祝福。」
「聖女の酒しぶきかぇ。ちょっと上等な酒やというのに、キミという奴は。」
「だって。マーチンったらくどき上手なんだから、もぅ☆……もぅ。」
「……。」
「……。」
「……。」
「お顔、拭かせてもらいますね。」
「いや、自分で」
「拭かせてもらいますから。」
「……。」
「……。」
「なんか、顔赤いし、息が荒いで。」
「…………。」むちゅっ。
「……。」
「やっちゃった、やっちゃった!マーチン、おみそ味!…」
「いや、キミがそれでええんなら、ええけど。おみそ味はお互い様や、キミのはチョコ味混じりやったけど。それで?
………なんで、今ので自分から気絶してるかな。飲み過ぎ。ま、ここで寝てるならちょうどええわ、まったく、もう。」
(俺も、今は人様に見せられへん顔になってるから助かった。まー、コイツもだらしない顔で。)
心のなかでつぶやきながら、掛け布団をかけてやってお酒セットは片付けて、蛍光灯も消して、今夜はお休み。
*
あくる日、ヨランタは足取りも軽やかに午前中から聖堂へ。
王都に連れて行かれるつもりはサラサラ無いし、ややこしい政治に巻き込まれるつもりはさらに無い。でも、そのために必要なやりとりをファニーに任せるのはリスクが高い。イボンヌを巻き込むのは気が進まないけど、ヤツなら聖堂が王様の言いなりになるのをよしはしないだろう。ま、王都に行かない範囲でなら多少は私も妥協できるところもあるでしょう。
なにせ、私は名実ともにマーチンの女(主観)。くすんだ街も今日は美しく見えるし、今なら神様に心にもないお世辞だって言えちゃうかもしれない。この世界だって悪いことばかりじゃないって思える。
安い女で結構! 上等、上等。
そうして、帰ってお店の扉を開けたら、きっといつもどおりにマーチンがボソボソとつまらなさそうに、でもちょっとはにかんだ感じで言ってくれるんだ。
「はい、おひとりさま、どうぞ。」って。
お話の完全解決はしませんでしたが、ヨランタさんの物語としてはここで一旦の完結とさせていただきました。復活しましたので、ここまでが第一部ということで。
引き続き第二部もよろしくです。
スペシャルサンクスとして、ご覧いただきました常連の皆様方には酒瓶よりの感謝を申し上げます。
ではまた、いずれ。
短編扱いで反省会の駄文をひとつ連ねております。こちらもどうぞ。
反省会場
https://ncode.syosetu.com/n4005ku/
前日譚的なストーリーも書きました。
『転生TS無口勇者のダンジョンソロRTA~魔都のおひとりさま異聞』
https://ncode.syosetu.com/n6267le/




