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マーチンが無言のまま、うずくまっている。その丸めた背には気難しげな厳しいオーラが漂い、人を寄せ付けない。
いつもの店の中、ビデオ騒動からしばらくの後、営業中。
今日は〝とんかつの日〟なのでいつもより客が多くいるなか、急な出来事に緊張感が広がった。…が、動じない者もいて。
「おーい、小さい奥さん。旦那が悶絶しとるぞ。」
「なぁに、しょうがないなぁ☆」
「丸い奥さんの方は役に立たんなぁ。」
「そっちは、奥さんじゃないし。ほらほら、モニカ、道開けて。」
ヨランタは〝とんかつの日〟なので堂々と客サイドに。その代わり、というわけではないが聖堂の料理番・モニカが勉強に来ていてキッチン仕事をしていた。が、彼女はハプニングに強いタチではない。急な出来事にオロオロしている。あと、彼女がいるとキッチンが狭い。
「マーチン、胃?痛風?」
「――…いや、机の角に肘ぶつけたはずみに反対の角にも体ぶつけただけ。―なんでもないから――いちいち言わすな。」
「我慢することないよ。ほら、回復魔法。
ヤンも、ルドウィクも、トマシュも、これは見世物じゃないのよ。」
店内では久しぶりに、柔らかな光が沸き起こる。
「――ふぅーっ…、あー、助かった。すまんな。」
「肋骨が折れてたよ、どんなぶつけ方したの。」
「マジで? …ところでヨランタさんのヒーラー仕事、いまどうなってるん。今の、おいくら?」
「マーチンからお金とったりしないよ。それに、いまの私は正規ヒーラーの免許持ちだから勝手な仕事は禁止されてんの。さっきのは仕事じゃないってことで。」
「じゃ、キミ、いまの仕事は桃缶売りだけ?」
「そうなるね。恩がある人の怪我・病気はこっそり治すけど。正規ヒーラーの仕事が入ったら、報酬は内規に従って応相談。詰まらないったらありゃしない。」
「世知辛いなぁ。」
実際ここしばらく、ヨランタの狂騒は鳴りを潜めて、妙に安定している。以前ならキッチンにモニカを立たせれば、自分も首を突っ込んでいって暴れまわるところだっただろう。
本日のメニュー、突き出しにスパゲッティサラダあるいはナポリタンと、とんかつ、または衣を剥きたい派(居ないが)のためのポークチャップ。
お酒のオススメは〝三光天賦〟、岡山と広島と鳥取と島根の境の岡山側という日本人の1%も具体的なイメージが持てない人家まばらな山と森の谷筋に湧く秘境の酒。味は現代的で力強い系、とんかつソースにも負けない。
「そのスパサラにもナポリタンにも合うチーズソースを作れ」と、緑筒の粉チーズを拒否してモニカに無茶ぶりの注文をしたあたりはヨランタらしい意地悪ではあったが、マーチンが常備しているチーズはノーブランドのプロセスチーズだけ。
それでも、モニカが現代日本の調味料を駆使して作った渾身のチーズソースは絶品で、マーチンが褒めるのでヨランタもしぶしぶ認めた。
こと、チーズの扱いはマーチンより現地民・モニカの方に軍配が上がる。そうやって文化交流から新しい味ができて広まれば、神様の狙い的にも上々の結果といえるのだろう。
ちなみに、モニカのイチ押し調味料は分銅金の九州甘口醤油。京都人のおじさんが眉をひそめて「それはわけてあげられるヤツがない」と冷たく一蹴してモニカを泣かせたのでヨランタの気が晴れた、ということはある。
*
そしてこの日も営業終了、というくらいの時間を見計らってファニー大主教が来店。
要人中の要人でありながら、いつもどおりのお一人様。見えないところに護衛がいるらしいが、らしいという以上には魔法も神様も存在する世界で判断しようもない、ので何とも言えない。
扉を開けて入店し、その場で仁王立ちして店内をぐるりと眺める。まだとんかつを食べているヨランタに軽く見やって、マーチンをもの問いたげに凝視する。
そしてヨランタに視線を戻して、拳を握りしめてワナワナと震えながら、叫んだ。
「こいつら、交尾したんだ!」
*
「とにかく、落ち着け。 店はもう閉めるで。何しに来てなんで泣いてんねん。交尾、つったか、神様の御許で坊さんが。」
「交…は、してないよ! ………まだ。」
「キミが話すとややこしい、ちょっとお黙り。モニカちゃん、猊下に説明!」
「あー、はい、マーチン氏。…猊下、猊下、この2人、本当にまだだそうです。モニカめも耳と目を疑いましたが、先月、お互いにひざまくら?しあっただけだとか。えーっと、何というのでしたっけ、こういうの?…そう、それ、安い女。」
「言うやんけ。そういうキミはどうなんよ。」
「モニカめは、人生の伴侶をお鍋たちと定めておりますゆえ。」
「何やそれ、よりどりみどり逆ハーレムやんけ」
「逆ハーレム?その概念、使わせてもらいます! あ、猊下、そういうことでして。」
「うむ、モニカよ、わらわを裏切るでないぞ★」
「猊下は、マーチン氏に求婚したりして裏切る気満々マンじゃなかったですか。」
「…いや、店主殿、今日わらわが来たのは、それとは違いまして。これは、早いほうが良いと思いまして。」
嘘泣きをケロリと止めて、大主教が懐から取り出したのは上等物の革袋。受け取るとジャラリと音がして、硬質の平たいものがたくさん詰められていることがわかる。
「先日の200人から1枚ずつ徴収した金貨200枚。例の大皿の弁償と、イベントのお礼です。事務処理が必要で時間がかかってしまいましたが、いかがでしょう、それで足りると良いのですが。」
「あ、あぁ。おぅ。まいどあり。」
弁償については嫌がらせのつもりで請求していたマーチンだが、まさか本当に払ってもらえるとは思ってなかった。
金貨200枚といえば、かつてヨランタが呪い関連の危険な仕事でせしめてきて、いまもそれを食いつぶしながら生活しているのと同額になる、ひと財産だ。
この場で確認したものだろうか? 迷ったが、とりあえず革袋ごと懐に押し込む。
「せっかくなんで、軽く呑んでく? 店はもう閉めるけど、ゆっくりしてくといいよ。」
「あ!? そ、そうさせてもらいましょうかしら。甘いものが良いですねぇ。」
「猊下、猊下! (お邪魔になりますから!)
あの、わたくしどもは、これにて、」
「なにを言うモニカ! わらわが邪魔、などということがあるものか! そ、そう、ヨラ犬にも仕事の相談があるのでした。座敷を借りるぞ、店主殿! 犬、来やれ!」
*
ちゃぶ台には、適当なチョコ菓子とミックスナッツを志野焼の菓子鉢に無造作に入れたものと、お酒。囲むのはヨランタとファニーの2人。
「ウチは定食屋ちゃうねんけどなぁ、て、さっきまで来てたルドウィクに愚痴ってみたら〝じゃあ本気で酒だけの店にしちまったら?〟って言われて。確かにそうかもって思って。
だから今は試験的に、バルならぬ日本酒バー・マーチン's。おつまみもバー的なもの。どうぞごゆっくり。俺とモニカちゃんは閉店準備なんで。」
気まずい顔を向け合うヨランタとファニー。2人の中央にそびえるお酒は〝咲耶美〟、こちらは群馬の奥の人家まばらな山中の秘境、貴娘酒造の甘口の酒。
「ま、呑もうか☆」
「思ってた感じと違う……店主殿は使徒様だから投獄もできないし…」
「使徒じゃなくても何じゃなくてもマーチンの敵は私が殺すよ。それより、チョコが出てきたんだからチョコを喰え。」
「チョコ? …(ポリッ)……甘い……おいしい………(モッチョモッチョ)……うぅッ」
「どした? お酒、飲む?」
「わらわがすごく苦労して、すごく働いて、やっと用意した大金を喜ぶどころか、見もせぬって、なに!あれ!わらわ、わからない!」
「もう酔っ払ってた?
ちがう?……あー、マーチンはいろいろ物の価値分かってないよね。生きてること自体喜ばしいと思ってないみたい。ニホンで生きるとそうなっちゃうのなら、案外ニホンも良いところじゃないのかも。」
「マーチン死んじゃヤダーっ!」
「あ、コラ、ファニーにマーチン呼びは許しちゃいないよ。黙って飲め。甘いお酒だよ。…
………落ち着いた? なにか、話があって私を呼んだんでしょうに。」
「う、うむ、そうでありましたわ。ヨラ犬よ、今度は一緒に王都に来てもらうぞ。」
*
「王都…前から言ってた聖女様計画で?」
「喜ばしい事態ではないのです。弟太子に(モッチョモッチョ)わらわの病気が治ってることがバレてしまって。」
「ずいぶん、時間かかったね。」
「隠しながら、ローカル単位でそなたをだんだんに有名にして、国が気づいたときには(カサカサ)王の命令ひとつでは簡単に扱えない聖人的存在にする予定だったのです。(ポリポリ)だから今くらいに国にバレるのは分かってたことでしたが。
誤算は、そなたが気まぐれにサボり回って仕事しなかったせいで、ローカルでも有名じゃないし尊敬もされてない。」
「そんなの、あんたの都合じゃん。(グビー)」
「もちろん。でも、それだけ超常の化身のような能力があって隠者気取りでひとり気ままに生きていこうだなんて(モッチョモッチョ)虫がいい話だわ。(カサカサ)」
虫の話はともかく、もう1人の隠者気取がいまキッチンで片付けをしている。ヨランタは無言でそちらを指さして、
「(ポリポリ)あ、う、マーチン殿は、しかしまだバレてない。バレてないっていうか、問題にはされてない。彼が変なことに巻き込まれることは避けなくちゃ。そうではない? ヨラ犬。」
「まさか、マーチンを人質に私の行動を縛ろうって!!?」
「それこそ、まさか。(モッチョモッチョ)追い詰められているのはそなたですよ、ヨラ犬。」
「私が?(グビー)ちょっと、話すときにはちゃんと話そう?」
「チョコが甘くて心が落ち着く。」
「それは、わかる。」




