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第2部 開始★ 転移酒場のおひとりさま ~魔都の日本酒バル マーチン's と孤独の冒険者  作者: 相川原 洵
鱧料理 と ヨランタが選んだ酒

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(2)


 私にとってこのキッチンはちょっとだけ背が高い。届かないわけではない。断じてそういうわけではないが、つま先立ちで料理しているとマーチンが「頼むから」と箱を用意してくれるので、その箱を台にしてキッチンに立っている。

 マーチンも決して大男ではない。ので、箱に乗るとバッチリ目線が合う。はずなのだけど、今日はマーチンも一緒に箱に登って、真後ろから覆いかぶさるように私の手を取って、一緒に玉子焼きを巻く。


「こ、これって、ちやほやタイム続行中ってこと?」

「セクハラではないよ、言うたはいいけどこれってごっつう教えにくいなと思って。チャっと済まそう。」

「いや、ねっとり個人授業をお願いします。…あれ、もうこれだけ?」

「そこまで難しいことはそもそも頼まん。キミなら、続きはもう1人で出来るやろ、優秀なんやから。」



 なにやら誤魔化されたような、評価されていて嬉しいようなゴチャゴチャした気持ちの中で〝はもまき〟も完成。…本当に完成してる?大丈夫?

「お、上等。大丈夫、完成。」って、マーチンは微妙に雑だから若干疑わしさが残る。でもこれは絶対おいしい、間違いない。


 私が卵を巻いている間、マーチンは天ぷらの準備をしていた。


「今までのは、あとで座敷でのんびり食べる用。天ぷらは、やはりなるべく出来立てを即座に食べたいから、ここで揚げつつ、その都度(つど)で食べることにしよう。

 天つゆOK、おろしもOK。お酒、ヨランタさん、選ぶ?」


「私が?」


「うん。いつまでも俺がオススメ選んであげるのもつまらんでしょ。キミなら、今までの雰囲気で何を選ぶ。」



 唐突に訪れたマーチンからの試験。いや、彼のことだ、私が何を選んだってそういうものと受け入れてはくれるだろう。そもそも変なものは仕入れていないだろうし、食べて飲んで毒になるはずもない。

 でも、やっぱり任せてくれたからには気合を入れて、いちばん合うお酒を選んであげたいじゃないか。どうする、どれがいい。


 お酒の冷蔵庫棚とにらめっこして、いいのを選ぶ。よく見知った瓶もあれば、初めて見るものもある。そのなかから…あまり迷わず、ピンとくるものを発見。大瓶じゃないけど、私の運命はキミに賭けた!コレ!



「お、ラベルの綺麗さで選んだか。」


「違うよ! コレって、あれでしょ。鳳凰美田、って書いてある。いつぞやのキレイな味わいでおいしかったやつ。」


「なるほど、お目が高い。これはその大吟醸生酒のスペシャル版〝鳳凰美田 ミクマリ〟。落としにはちょっと香り高すぎるかも知らんが、天ぷらにはちょうどよかろう。ヨランタさん、グッジョブ。」



 そのまま酒器選びまで任されて、その間にマーチンが揚げ始めちゃう。急ごう。


 お酒の雰囲気も、火が通った鱧の身のふんわり感を考えても、ここはマーチン好みの重厚な土ものよりも、私は軽やかな真っ白を選びたい。この、花のレリーフが浮かんだ薄手の白磁。これがいい☆ に、違いない! と思う。 …どう?マーチン。


「白牡丹、そう来たか。ええやん、じゃ、それでまずご一献。」



 マーチンが四合瓶の栓を回し開けると、プシュッ!と勢いのいい音がして空気が吹き出し、透明な瓶の中の液体が泡をふかす。シュワシュワ。

 天ぷらがカラカラと揚がる音を立てるなか、その幻想的な光景には注意を払わない料理人が瓶を傾けて私の盃にお酒を満たす。すぐに、私の盃からも泡が沸き起こって、手元の空間を大吟醸の鮮やかな香気が満たす。わぁ、これ、これ。ここに来てから、こういう〝人生最良の時間〟が数限りなく横並びに増えていってる。

 おっと、浸ってる時間はないぞ。


「こっちがマーチンの盃ね。注いであげる。」

「こりゃどうも、おっとっと、」


「「じゃ、乾杯。」」



 お疲れ様でした、と言うにはずいぶん早いお昼時だけど、盃を2人で軽く掲げて、くいっと飲む。シュワッと舌の上でも(かぐわ)しさが弾けて、冷たさと爽やかな刺激が口から喉へ、お腹へ落ちていく。代わりに、精神世界の花が咲き登っていく。何度体験しても、最初のこのひと口はかけがえがない。


「はい、天ぷら。今日は鱧天(はもてん)オンリーなんで、ゆっくりじっくり冷めないうちに手早く味わって。」


 とんちみたいな言葉を添えて、浅い可愛らしいカゴに紙を敷いた器、それに白金色の天ぷらが、油から上げられてもまだチリチリ音を立てながら差し出された。

 軽々として白が効いた器。なんだ、マーチンも私と同じことを考えてたんだ。むふん、私こそマーチン流のニホンの美学をいちばん近くで長く学んだ人間だからね。もう、以心伝心の古女房と呼んでいいでしょう。でもそんなことより、手早く、冷めないうちに、じっくりゆっくり、ハモをいただかなければ☆



 おつゆを含んだ大根おろしを身にまとったサクサクの衣にカリッと歯をたてる。噛みしめると、フワリとした、肉厚のようでホロホロとお口で崩れる白身魚の豊かで上品な味わい。

 アレだ、骨切りでフワフワに広がったお魚はこうなるんだ、未体験ゾーン。咀嚼するごとに魚と油とお出汁味が混ざって響き合う。当然のように最高。

 そしてお酒。飲めば、裸一貫で宇宙の法則と向き合う心持ち。あの神様野郎がこんなに良いものを作れるはずがない。これはもっと、神様よりずっと遥か高みにあるものだ。


「うーん、ウマイ!」


 マーチンもキッチンの向こうで揚げながら食べて、お酒を飲んでご満悦。いつもながらシンプルな食レポ、参考になります。



「おっと、神様のお供えを忘れてた。ひと欠片ずつと一杯、神棚に供えてロウソクを灯して。二礼二拍手一礼。」ペコペコ、パンパン、ペコリ。

「奇習だねぇ。」

「やかましわぃ、キミらのんかって大概やで。…さ、続き、続き。」



 BGMに不思議な笛太鼓と鐘の音が鳴りだした。スローで素朴で、優美。いつも彼が鳴らす音楽とは全然違うけど、どこかマーチンっぽい響き。そういえば、ハモはお祭りの間に食べるって言ってたっけ。祭り囃子?


「ここで鳴らしても、なんか変やな。ええか。ええわ。聞いてたら慣れるやろ。♪ (つねー)(でー)ませーんこの昼限り。ご信心の御方様(おーんかたさま)は、食べてほんわかなされましょー。ちまきどうどすかー。無いけど。」



 そんな一幕も挟みながら、追加で出してもらったゆず大根も添えて、あっという間に天ぷらは完食。同時に鳳凰美田も空けちゃった。



「じゃ、お座敷に移動しようか。次のお酒は、何にする?」


 あ、それも私が選んでいいの? えーっとね、じゃあ、この大瓶☆


「やっぱりキミ、キレイなラベルで選んでるやろ。」

「だって、この絵でねっとり濃厚で熱燗向きってことはないでしょ。…白いクマは、日本の伝説の精霊?」


「…ま、その勘は正しい。でもシロクマはただの動物なんで、涼しげ以外の意味はないよ。

 そのお酒は、〝角右衛門(かくえもん)〟の夏酒。秋田の木村酒造、〝まんさくの花〟の日の丸醸造のまあまあご近所さん。とにかく、飲んでみて感想を聞こうか。」




 そうして、ウナギの歌とヒマワリの花が飾られたお座敷へ。

 マーチンったらこれほどまでに神様をソデにしてるのに、それでも神様に愛されてるんだ。たいしたものだよね。


 ちゃぶ台の上にはハモの落としと、玉子焼きと、皮とキュウリの酢の物。そしてシロクマのお酒。すでに鳳凰美田のひと瓶を空けて、なかなかの良い気分。「うぇーい」とひと声上げて、朝以来で畳に転がっちゃう。

 あぁ、気持ちいい。でも、このまま寝るにはまだ飲み足りない。今日はお祭りだ、マーチン祭だコンチキチン! ガバっと起きて、ハモと角右衛門の後半戦だ!



 まずはお酒から()み交わす。スッキリ、クリアでいいバランス! まるで今のために(あつら)えたみたい。余韻を残したまま、まずは〝落とし〟。これは赤い〝梅肉(ばいにく)〟か黄色い〝辛子酢味噌(からしすみそ)〟、あるいはポン酢醤油をつけていただくとか。



「俺は子供の頃、梅肉も酢味噌も苦手でな。子どもの鋭敏な味覚に酸っぱみは合わへんかったんやと思うけど。家族の中で俺だけ醤油で食べてた。おっさんになったらどれでも旨いと思うようになった。」


 だ、そうですよ。私はまず、色がきれいな梅肉から。酸っぱ塩辛い! …ハモ肉は、プレーンな茹で魚。でも歯ざわりが軽くていい感じ。思ったほどフワフワ滑らかじゃないけど、面白い。味は主張しない。だからこれくらい強いソースが合うんだ。


「骨切りはしたけど、骨を抜いたわけやないから細かーい小骨は残ってるんでな。ちょっとしっかり噛み応えはあって、他の魚にない食感やね。

 俺は今日は酢味噌気分かな。ゆうても、まだベッタリとつける気はならん、ちょんとだけ。うん、…ウマい。酒にも合う。角右衛門、ええなぁ。」


 マーチンは奥床しいね。そう言われちゃったら、私は、モリっと。…~~っ、濃厚! これじゃ、ソースを食べてるみたい。お酒に合うからOKだけど、次からは控えめにしよう。



〝はもきゅう〟は、炙ったハモの皮の香ばしさと品の良い脂感、クニっとした食感が混ざったキュウリ。お酒との相性も良くて、箸休めにピッタリだけど普通においしい。

 あ、そうだ、このキュウリ刻んだの、私。普通って言われちゃったけど、考えてみれば普通ってけっこう立派だよね。普通においしい、の影には死屍累々の闇が広がってる、はず。


 さて、では、私が巻いた〝はもまき〟。マーチン渾身の〝だし巻き玉子〟のふんわりしっとりとは違う、しっかりしたやつ。私の好きな方に合わせさせてくれたんだと思う。

 お味は照り焼きのタレの濃さが玉子にベストマッチ、上品ながら力強いお味。しっかり焼いたっていっても普通にふんわり柔らかい食感。いくらでも食べられて、いくらでも飲めちゃう。ヤバいやつだ。



「んァー、よう食った。四合と一升、よう飲んだ。あっちゅう(まぁー)やったな。」


「そうだねぇー。あー、ヒマワリが揺れてるぅー…。…ゴロ寝するなら、ひざまくら、するょぅ?」



「あっはっは、揺れるヒマワリにはサングラスを掛けてやろう。 …なに、ひざまくら? そういう文化がー、こちらにはあるのかね。やってみよう、重かったら言えよ。」


「マーチンがやってくれたことだよぅ、私がいちばん弱ってた時に。」


「あー…もう遥か昔のことみたいな……って、今日は俺がキミをチヤホヤする日やなかったかな。」


「そう、でも、それならむしろ遠慮なく甘えてちょうだい。」

「へぇ。俺、天ぷら揚げてたから頭汗まみれやけどな。」


 ずいぶん昔に、こういう男には甘えるより甘えさせたほうがいい、って聞いたことがあった。

 太ももに重み、湿り気、熱。下腹部の先にちょうどいい存在感。



「すごい、なんか、これ、所有してるーって感じ。あぁ、今、マーチンは私のもの☆ 私も、マーチンのもの。」


「えっ、なにそれヤバい、コワいキモい! 俺、死ぬのか!?」


「こーらっ☆ お膝の上で暴れないの。うふふ。」


 あぁ、頭の芯がポヤポヤするのはお酒のせいだけじゃないだろうと思う。






(次回で一旦の最終回になる予定です。お付き合いください _(._.)_ )





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