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マーチンのご要望で、今日は私が表に出す張り紙を書いてる。今日は冷しゃぶの日、らしい。なんでも、昨夜のお酒〝裏篠峯〟で思いついたとか。
肉の超薄切りを数秒間茹でたものと野菜にドレッシングを掛けていただくもの。ニホンのいつもの薄切り肉も驚くべきものだけど、向こうが透けて見えるほどの薄切り肉はいったいどんな魔術的手段が行使されたものか想像もつかない。
私は今日も動画を撮りに行くつもりだけど、お目当ての子猫ちゃんは夜行性だ。少なくとも夕方までは暇なので、割烹着に袖を通して仕込みのお手伝い。ひたすら野菜をじゃぶじゃぶ洗ってザクザク切る。最近では、みずみずしい野菜に美と愛を感じるようになってきた。
「ねぇマーチン。いま私、涼しい夏仕様で割烹着の下、直で下着。どう?セクシー?」
「んー、セクシーというより、だらしない。なんやろ、くすんだ生成り色で洗い晒しのくたびれた感がある布地のせいかな。せめてパリッとした勝負下着をもってこい。」
「なっ! ……じろじろ見ないでよ、えっち。」
「聞かれた感想やん、ひどい言いがかり。人が来ないとも限らんからちゃんと着ておいで。
そういえば、キミにつれてってもらったお店のバックヤードのお姉ちゃんもそんなんやったかな。文明の底上げが必要やね。」
「そこまで言うなら! マーチン、ニホンで私の下着を買ってきて!」
「断る!」
マーチンがつれないのは今に始まった話じゃない。私が彼のタイプじゃないだけで男色とか不能ってわけでもないっぽいから、根気よくアタックしていくしかない。この件では、一度ファニーの身ぐるみを剥いでみて下着の種類と入手先をチェックしてみるのもいいだろう。
とりあえず、寒いからちゃんと着てくる。夏なのにこの部屋は不自然に冷えている。冬は温かだったし、マーチンが外に出たがらないはずだ。ニホンの文明あらためて恐るべし。
*
さて、私は昼過ぎの開店前に動画撮影に出かけ、いろいろあって帰ってきたのは夜も更けてきた頃。遅い夜もとっぷりと暮れて、月は中天に高い。でも、店はまだ閉まってない。ラッキー☆
店の前では今日もユリアンたちが警備員仕事をやっている。なかなか身なりの良いオシャレ警備員たちだ。
「お疲れさーん。あなた達も、酒場の用心棒やるために騎士になったわけじゃないでしょうに、ファニーちゃんに面倒かけられて大変ね。」
「オウ、ヨランタか。いや、俺らは楽な仕事で結構な日銭を稼げるから割の悪い話でもないんだ。入るなら入っちまいな。いつまでも開いてはいないぞ。」
彼らは聖堂からの月給に大主教からの特別手当付きで用心棒をやって、仕事終わりにはマーチンから一杯ごちそうになっているので意外に不満はないらしい。
冒険者が安定を求めるなんて、堕落だ、自己否定だ。と、つい非難したくなるけど、それも彼らの人生。私が偉そうに何か言うようなことでもないのかな。
ちょっと割り切れない気持ちと、彼らの人生だからという思いとがある。どちらかというと後者が勝って、ひとつ手を振ってお店の中へ。
店内のお客は3人。わ、昔に比べたら千客万来だね。
「どやかましい。って、ヨランタさんか。ええモン撮れた?」
「バッチリ。上映会する?」
「待て。もうちょっとしたら店閉めるから、それからにしよう。何が写ってるかわからんさかいな。」
「じゃ、先お風呂入ってくるね。お化粧やら汗やらでべとついてかなわないったら。」
客のひとりがムホッと噴き出す。見れば、豚しゃぶサラダとトンテキに豚コマもやし炒めの小鉢、それに生中で食べているようだ。ちゃんと野菜も食べているな。豚は被りつつも、それぞれ厚みが違って相性もいい。
マーチン流がちょっとずつこの街にも浸透しているようで私も嬉しい。でも日本酒を飲め、日本酒を。
お風呂から上がって身も心もさっぱり、〝子猫ちゃん〟から借りてきた夜着に身を包んで、姿見の鏡に向き合う。今夜、勝負をかける!
ワインレッドのゴージャスなスケスケ夜着。お店の薄暗い控室でみんなでワイワイ試していた時は盛り上がってバッチリだと思ったけど、マーチン邸ならではの明るすぎる残酷な照明の下には耐えられないな。これは〝服を着てる〟概念の内に収まらないよ。
丈を合わせるのに苦労したのにまだダブダブな裾をつまんでみて、鏡の中の短い足を恨む。目に見えてる範囲が正しく写ってるのだから鏡は正確なんだろう。でも、私が確認できない顔とか体のバランスとかまで間違いなく写ってるのかは疑問。実はウソじゃないの?
疑いは晴れないながらも勇気はくじけて、ドキドキはしょんぼりに変わって、いつものパジャマに着替えた。こうして見ると、この格好は子供っぽすぎる。中間くらいを探そう。
「お、出てきたかヨランタさん、時間かかったな。肉は牛と豚、どっち?」
「両方。」
「ハーフ&ハーフね。お酒、裏篠峯は残り少ないけどな、まずは座って。お店はもう閉めて、警備の騎士さんたちのお夜食タイムやけど、ここで?奥で?」
「ここでいただきます。分かれたらマーチンが面倒でしょ。私も、今日はお腹へったし!」
*
一般客は帰った後。警備の騎士さんたち――ユリアンたちアポスタータの面々が警備仕事を終えて食事にありついてる。
カウンターの並びに腰掛けた私の前に出てきたのは、昨日の馬上杯のお酒と肉サラダ。肉サラダは、例の極薄の肉たちが、牛肉はどっしりした色で、豚肉は軽い色で、山盛りの野菜の上に乗っかって牛半分にはゴマダレが、豚半分には中華ダレがかかってる。野菜は神像の後光のようで、肉を祝福するかのように輝いて…食べる前から視覚に美味を訴えてくる。
「これ、私が仕込みで刻んだ野菜?」
「あー、それはもう売れた。今のは途中でジグ君にも追加で刻んでもらったヤツ。最近は地元連中も野菜を食い始めた。まあまあ歓迎すべき事態やね。」
隣のカウンターからどう呼ぶのが一番ふさわしいか迷う彼らが手を振ってくる。その前の皿にあるのは山盛りキャベツに乗った分厚いトンテキ。そして生中ジョッキ。
「ジグムント菌!大丈夫?ばっちくない?」
「キミがそれを言うかね。いや、達者なもんやったよ。ビニ手は装着してもらったから問題はない。俺は衛生面の冗談とイタズラは許さん。」
実際、問題はそこじゃなくてジグが私に断りもなくキッチンに立ったことの腹立たしさなのだけど。こればかりは私が外に出ていたのだから、納得しかねても我慢するしかない。それよりお料理!
お肉、柔らかい! 薄切りならではの、油のトロトロじゃなく赤身が柔らかい。それで不足しそうな油感をドレッシングが補って、野菜ともつなげて膨らませて。肉の概念を肉そのものだけじゃなく〝肉料理〟としてお皿全体に成立させるマーチン料理の力技だ。
牛肉は力強くゴマダレは甘く豊か。豚肉はまろやかで中華ダレはピリ辛で刺激的。違った味わいがひとつのお皿で同じ料理として調和してる。
そして、お酒!
最初に口を満たす酸味がドレッシングの強い風味を流して、しっかり主張する甘い後味が残った肉と野菜の味を包んで昇華させる。ああ、表も良かったけど、裏も良いよね。簡単に最高なんて言葉使えないや。
「お店で客に出した肉は冷蔵庫でしっかり冷やした冷しゃぶやったけど、今のそれは茹でたてを冷ましたばっかりで、まだほのかに温かいやろ。その方が脂も柔らかくて旨いと思うんやけど、ようけ作り置くとなったら仕方ないところではあるわね。」
「うん、バッチリ。ところで、裏篠峯はなにが裏なの?」
「あ、そこ? あー、確か〝いわゆる日本酒〟らしい酒じゃない、裏街道版、みたいな? 実際、そうやったやろ?」
「なるほど、私がシンパシーを感じるわけだね。」
「その理解は早くなくてよろしい。」
*
「あ、そうだマーチン、撮ってきた子猫ちゃん動画、見る? せっかくだからユリアンたちにも見せて感想を聞こう。」
「不安しかない。」
ヨランタが壁掛けのテレビにカメラを繋いで、手慣れた様子で動画を流す。アポスタータの面々も、何が始まるんだと期待の面持ちで思い思いにテレビを囲む。
『ハーイ、動画をご覧の皆様、こんばんはー。今日はね、わたくしヨランタちゃんがリクエストにお応えして美しくも可愛らしい子猫ちゃんの姿をお届けしちゃいたい、と。そんな感じでお送りしちゃいますぅー↓。はぁー→い。』
「この出だしはフォーマットにするんや。」
「他に思いつかないし。お芝居みたいに最初に短い曲をちょっと流してもいいかもね。」
4人の観客は盛り上がって騒いでいるが、1人挙動が怪しい。
『それでは☆子猫ちゃんたちを紹介していきますよ―。まずはグラジーニャちゃん!』
「「おい。」」
「おや、マーチンとジグがハモるとは珍しいこと。」
画面にはセクシー美女が大写しに。その美女はカメラに向かって手を振りつつ『ジグ、アンタたまには顔見せなさいよね』と。マーチンも店に来た客として見覚えがある、色男ジグの彼女No.8の夜の蝶だ。
「いや、もう。〝子猫ちゃん〟の理解に齟齬があったらしいことは分かってたけど。」
「で、誰に何を見せようってんだよ。」
「フフン。見てなって☆」
その後も映像はスレンダーなジグの彼女No.6エミリア、豊満な年増のNo.3ハンナ、若いNo.11ヤドヴィガと紹介が続く。それぞれの決めポーズのサービスショットでは『おほーっ』とカメラマン・ヨランタの嬌声も混ざるが、画面のこちらの観客は微妙にきまりが悪い。
ただ、マーチンはハンナの紹介で前のめりになって「ダメだぜ」と牽制されたり「違うから!」とふにゃふにゃ肩パンチを食らったりしている。
映像は次のシーンに進む。
カメラは台の上に固定され、無人の舞台が写っている。『お待ちかね!ジグの彼女たちプレゼンツ・子猫ヨランタちゃんのスペシャル☆ダンスショウ!』
舞台袖の方から明らかに本人の声が響いて、ワインレッドのスケスケ衣装にキラキラなスパンコールのショールを羽織ったヨランタがくるくる回りながら登場する。事前にどんなやり取りがあったものか、ネコ耳に鈴、尻尾のアクセサリまで装着済み。
後方から弦楽器や鈴の音楽がなり始め、合わせてヨランタがくねくね踊りだす。
「こいつ、こういうことには小器用なんだよな」とぼやいたのはレナータか。
しかし、それにしても。
「おい、お前ら、見るな。解散!解散!」
マーチンが珍しく声を荒げて、ユリアンたちも肩をすくめて帰り支度。
ヨランタは後方で腕組みして渾身のしたり顔だが、その頬は真っ赤だ。かなり艶めかしい、半分裸踊り。どういうセンスで、知り合いを集めた中でこれを上映できるのやら。
しかめっ面のマーチンの耳元でレナータが一言「もう観念して抱いちまえよ、嫌いじゃないんだろ?」
マーチンが怒鳴り返そうとしたところで、一行は既に速やかに去った後。
「ど、どうっだったったかしら!?」
「カメラ禁止。」
「そ、それは独占欲? キャー」
「何とでも言え。とにかくあかんからな。ヒマなら仕事させてやる。神様道具使って、イジメの次はストリップか。裏街道人生ってレベルやないぞ。」
「もぅ、素直じゃないなぁ。」




