(2)
気がつけば季節はもう夏至も近い。夕5時といってもまだ昼下がりのような明るさで、近隣住民はまだ仕事中。
社会はいまだ労働の定刻制がなく、庶民は事務職だろうが日のあるうちに働いて、暮れれば憩う。農業でなくても夏は労働の季節だ。が、マーチンは定刻通り。日没までは、どうせ暇だから。
暇潰しといえば、ワイファイの精霊はメール送受信くらいなら気軽にやってくれるが、インターネットで動画再生までは厳しいらしい。写真の送信にしても、古のISDNくらいの強さなので、ずっと働いてもらうのも精霊に気の毒だ。
なにか、こっちでできる趣味を探そうか。なんて思いつつ店先をざっと掃除して、まだ明るい街角にランターンを灯す。
店内に戻る。
神様の花籠はいつの間にか胡蝶蘭から鹿の子百合に変わっていた。相変わらず派手ではあるがちょっとはマシかな、と思いつつ、やっぱりちょっとお水っぽい。ヨランタはこれを見つけた時、大喜びして1本を自分用に確保していたものだ。
対して、マーチンが選んだ箙に挿す花は川原で拾ってきた、ヒオウギスイセンに似た花。ヨランタははじめ「雑草じゃん」とそっけない反応だったが、「よく見たら、ありふれたその辺の花もきれいなものだね☆」などと空気を読んでセルフフォロー。さて、わかっているやら、いないのやら。
*
そのヨランタは現在、賄い定食の味噌汁をすすっている。茄子のムニュッとしたわずかな歯ごたえに主張しすぎない風味と、茗荷の熱されてもなおシャキっとした歯ごたえに鮮烈な風味は良き凸凹コンビであるだろう。その両者を包むフィールドは、マーチン特製・白味噌多めブレンドで甘めな合わせ味噌の味噌汁。2杯目。
「3杯目からは金とるで。」
「オッケー!」
「やなくて、そこでやめとけ、って言うてんねん。」
「豚肉のリボンでミョウガを巻いて食べるのも、これは発明だね。」
「リボンって。豚バラ肉スライスは、リボンではないやろ。」
「この姿を表現する言葉を、私は他に知らない。」
仕事前の賄い飯なので、酒はついていない。白米で、それらをワシワシと食べている。その勢いで旨いと感じていることは明らかだが、それにしては機嫌が悪いヨランタ。なぜかというと酒がないからだ。
「ミョウガのおいしさはお酒があってのものだと思うんだ。」
「異存はない。酒は、仕事が終わってからな。」
「やっぱり、!……なんでもない。さ、お仕事頑張って早く終わらせよう!」
なにか、言葉を飲み込んだのは「酒場の店員は生殺しだ、ツラい、向いてない」みたいなことを口走りかけたものだろうか。マーチンも追求はしないが、冷酒よりも冷たい視線をジロリ。
「いくら頑張っても早うは終わらんで。お客が来なんだらさっさと閉めるけど。」
「うぅ、それは、迂闊なことを言うと怒られる罠だね。知ってる。…お外で客の呼び込みでもしてこようか。」
「そこまでは、していらん。……そういえば、ヨランタさんは空いた時間の暇つぶしって、何やってる?」
「ん? 魔力を練って魔法の修行とか。マーチンのご本を読んでニホン語の勉強とか。」
「えらい、勤勉やな。」
「最近は、呪いたい相手を呪うイメージ特訓もご無沙汰だしねぇ。あ、あと、歌。掃除中とか、ニホンの歌を歌ってる。〽抱きしめて~♪ キスをしましょう~♪」
「誰の何の曲か曖昧な歌やな。しかし、歌か。俺も楽器やってみよっかな。」
「アっ、それステキ! 私が歌ってマーチンがリュート弾くの! やろう、超やろう、今やろう!」
「難しいのはムリ。ウクレレくらいにしといて。おや、お客さん来はるわ。賄いの食器片付けや。」
*
10日ほども突然店を閉めて、予告なく再開したにしては、ぼちぼちに客が入ってくる。30分に1,2組程度。これくらいなら怠け者のマーチンにもありがたい。
再開後の最初の客は、とんかつ好き常連のヤンともう1人。「お、久しぶり」と声を掛け合ってカウンター席へ。
「席、減った?」
「ゆったりスペースでええやろ。」
「相変わらずだね、この店。それより、今日は遠出の仕事を終えて金があるんだ。とんかつ10枚野菜抜きと、」
「おっと、最近はメニューに制限をつけさせてもらっててな、今日はとんかつは無し。似たもので、チキン南蛮ができるから、そっちなら。」
「マジか。…マジか。……マジか。」
「そこまで?」
「…よしわかった、じゃあ、それを。もしウマくなかったら暴れ…いや、なんでもない。ヨランタが用心棒か、ヤバイヤバイ。」
「いや、そういうわけでは。まぁしかし、わかった。挑発に乗ってやろうやんけ。まず突き出しの茗荷の甘酢漬けと、日本酒はヨランタさんおすすめの〝山三〟ね。もっきり波々でサービスしてやろう。」
「いや、野菜抜きでエールを!」
「やかましい、これは既に勝負や。旨いもん出してやってんねやから、まずは黙って食え。おかわりはIPA出したるから。」
「しょうがねぇな、乾杯。」「しょうがないのか? …乾杯。」
客の2人が日本酒で乾杯。「くぅ~っ!」「むはっ!」
「この酒は、旨いことは間違いなんだが強いのが困るな。いや、いつか呑ませてもらったやつよりこっちが旨いよ。シュワッとくるのもいい。でもガブガブ飲めるほうが性に合ってる。」
「ま、好みはそれぞれ、そりゃあ仕様がないな。でも、その小鉢には絶対日本酒が合うんよ。食うてみ。」
「ちぇっ、なんで旅から帰ってきて、酢漬けなんか。……んんっ、」
「おい、ヤン、なんでオイラまで巻き込まれてるんだ、まったく……お?…オイラ、これ好き。」
文句が多い客と面倒が多い店主。相性は悪いはずだが、味の好みはそう離れていないのか、暴れる気配はない。もっとも、キッチン側でヨランタが目を光らせている影響がどれほどのものであるのかが読み切れない。
ただ、出されてから反応があるまでにチキン南蛮が揚がるほどの時間がかかったことを思えば、彼らなりに相当の勇気を払った食事だったのだろう。しかしそれは前座、ここからが本番だ。
「さ、これが、チキン南蛮。鶏肉フライの甘酢あんかけにタルタルソースも盛った料理。前に、魚の南蛮漬けは食べさせたことがあったっけ。アレと同じく、ここでは酢のタレを南蛮と呼んでる。そして今回はタルタルに茗荷を使うアレンジ。さ、おあがりやす。……ヨランタさん、指くわえてガン見しないの。」
岩肌を思わせるゴツゴツした伊賀焼の皿にレタスを数枚、その上にこんがりきつね色のチキン揚げ、そこにタレをトロリと掛け回し、白黄色く紅色も交じる具沢山のタルタルがモリモリっとあふれるほどに盛られて。
男は、もはや躊躇しない。ひったくるように皿を受け取りながら、空いた右手のフォークで一刺し、流れるように口に運ぶ。
咀嚼することたっぷり20秒、大きなアクションで飲み込み、フォークを手放し、酒をグビリ。静かにおもむろに両手を上げる。
「降参だ、ウマい。本当にウマい。これを10皿頼む。で、イモ揚げは本当に無いのかい?」
「ポテトか。ポテトなぁ……冷凍モノで味が落ちるのでも良かったら。
あと、今日のは鶏のモモ肉使うてるからとんかつより重たいし、量はお腹と相談しながらにおし。他のもあるから。」
*
「今日は客数もほどほどで、聖堂のやっかいさんたちも来なかったし。平和で良かったねぇ。」
「せやね。ずっと今日くらいやったら楽でええのに。ヨランタさんも、よくお酒を我慢できた。褒めてあげよう。じゃあ、酒器はどれにする?」
日暮れが遅くなった季節だが、明日の朝も早い。疲れた男たちもほどほどの時間で帰った。残った2人にはこれからが酒タイムだ。
ヨランタが選んだのは江戸切子ガラスの盃。
「あー、それ選んじゃうんや。」
「だって、選ぶでしょう。キレイ。」
「まぁ、夏用に混ぜてみたんやけど、俺は陶器をついつい上にしたくなってしまうからなぁ。ガラス酒器、特に切子なんかはホンマに誰でもイイって言わはる。」
「みんなが好きになるなら、それはイイものなんだよ。そこは認めようよ。」
透き通る赤と透明のツートンで規則正しい精緻な模様が彫られたガラスの器。それに透明な酒が注がれ、シュワリと微発泡の泡が立ち、濃い吟醸香が香り立つ。ジューシーなフルーツ感ある強い味わいが泡感のほろ苦さでスッと引いて、これはいくらでも飲めるやつだ。
茗荷の甘酢漬けとの相性も抜群。浅く酢に漬かった、森の香りの花のフレッシュな蕾をシャクッと噛んで、弾けた香りをお酒の果実のような香りで迎える。花の一生のサイクルを味覚と香りで味わえる贅沢な組み合わせだ。
「俺はもう、冷奴と茗荷に酒で充分やな。キミ用にはチキン南蛮、お待ちどう。」
「待ってた!まさに!」
ヨランタもヨランタで、ひったくるように皿を受け取りながら空いた右手のフォークで一刺し、流れるように口に運ぶ。
カリッとしたチキンの衣をサクッと噛み切ると、ジュワッとタレが絡んだ肉汁が溢れてトロリとしたソースとも合わさって、タルタルの中の粗々に潰されて混ぜ込まれたゆで卵のホックリした黄身、プリッとした白身、そしてヨランタが刻んだ茗荷のシャキシャキ感もアクセントになって、濃い味、強い脂分が完璧に調和。特に茗荷の爽やかさが効いてる。
これがチキン。これぞチキン。肝は小さくても暴れん坊で、新しい日を真っ先に喜ぶ鳥。この味こそ、魔都の夜明けぜよ。
そしてお酒。…もう、この瞬間の後の何のために、私のこの先の命があるんだろう。今この瞬間に、人生最良の時間が過ぎていくというのに。
同じようなことを、この店で何度も感じてきた。でも、その度毎にもっと嬉しい出来事が後から出てきて私を喜ばせてくれた。こんなに良いことばかりで、どうしよう。
もう、知れたこと。そう、この店で、こうやって過ごしていけばいいの。簡単な話ね。今後、何があるとしても。




