(2)
「あぁー。やっぱり家がいちばんだよね。」
「何遍でも言うけど、キミの家と違うしな。俺の家かと言うとまた、どうやろ。ま、俺の店・居住スペース付きっていったところかな。」
ヤウォンカのモンスター災害にひとまずケリをつけ、魔都のマーチンの店まで帰ってきた2人。特に何かの関係性が進展するとかもなく、いつもどおりのゆるい空気がよどんでいる。
「ぶー。」
「聖女様になってお屋敷に住むより、こっちがええもんかね。わからんなぁ。聖堂の騎士さんたちの中にお気に召すイケメンとかも、おらへんかったん?」
「マーチンは自己査定額が安いよね。私の中でマーチンは…このあいだのルベドの心臓の三層倍は値打ちがあるから、安心していいよ。」
「日本では普通、自己評価が高い・低いって言うんやけど、キミのは生々しいな。って、そんなことはどうでもええねん。
結局、向こうに何日いたんやったっけ?」
「行きに2日、初日にひと暴れしてぇ、翌日は川遊びから治療、その次の日に援軍が到着して、4日かけて地味~に森を掃討してぇ、2日かけて帰ってきました。さて、何日?」
「10日か。援軍のなかに猊下ちゃん付きの料理人ちゃんも居ったから楽できたけど。俺も薪オーブンの勉強しようかな。……ん?」
一息つく間もなく、まだ鍵を締めていなかった戸が、無遠慮にガラリと開かれた。
「マーチン氏、ご在宅ですか! お届け物でぇす! サインを!」
「おーぅ、早かったな、モニカちゃん。香り魚か、結構な量、重たかったやろうに。ご苦労さん。」
やって来たのは若い女性。丸っこくて愛嬌のある顔立ちで、仁王立ちがよく似合う彼女こそ、ファニー大主教の料理人・モニカ。
責任感を発揮して援軍に混じってやってきた彼女に、マーチンは出張の後半の料理を全部任せて魚釣りや昼寝ばかりしていた。
そんな調子だったが、以前、猊下ちゃんの庭で花見の際に顔は合わせていたし、ここでも練乳缶やカレー粉缶を譲り渡すことで、その未知の味わいから一定の尊敬を受けてサボりを見逃してもらうことに成功していた。
彼女も彼女で、自分のポジションを守ることに必死だったのだ。
「こ、これが、マーチン氏ご自慢のキッチン…!」
「あいにく、今日はなーんにも凝ったことはせんけどね。グリルで鮎を焼くというのもちょっと味気ないけど、焚き火するわけにもいかんしなぁ。」
何がこうなって今に至るのかというと、最終日近くになってようやくファニーにバレたことが原因になった。
まさか、この気位が高い女性が、川原の焚き火で焼いただけの甘くもない川魚に興味を示すとも思えず誘うこともしなかったのだが、いい大人が体を震わせながら地団駄踏んで悔しがる場面を目の当たりにすることになるとは。
実際のところファニーはグルメ以上に、構われないことが我慢ならない性質なので今回はマーチンの読み違い。とにかく、マーチンがいう鮎、ヨランタたちのいう〝香り魚〟の塩焼きに酒をつけて提供することを確約させられ、2日かけた帰還を追いかける形で半日で済む早馬で運ばれた獲れたての魚が届き、この日の夕餉になることに。
そのこと自体には、特に不満もない。
*
「さて、下準備。自分で試して内臓も食えることがわかったけど、好みもあるから半々にしとこう。2匹程度、あとで骨酒にするから塩はしないで置いとく。串を打つ必要はないと思うけど、どうやろ。気持ち的には、あったほうがいい?」
「あのー、マーチン…。」
「どしたん、ヨランタさん。今日は立派な調理補助がいるさかい、休んでてええよ。」
「光栄ですマーチン氏!」
「そういうわけには…」
「あっ! マーチン氏あなたバカですか、水を、そんなにお水を、貴重なお水が! 止めなきゃ、えっ、どうなって!? ストップ!」
「うるさいな。悪い、モニカちゃんOUT、ヨランタさんおいで。」
出不精なマーチンは忘れがちだが、この国では匂いのない澄んだ水は貴重。この手の常識摩擦はいまさらのことで、怒る方が道理に外れている。が、新顔ごとに説明するのも面倒なもので。
「フフーン、モニカちゃんは見学ね。私は、何したらいいかしら?」
「マ、マーチン氏、謝りますから、許してください、ファニーちゃんにお仕置きされる!」
面倒といえばヨランタ自身もなかなか面倒な女だが、彼女も意外にモニカのことは警戒していない。
モニカは実力ある料理人であることは前提だとして、大主教猊下の専属料理人の地位を得たのは、人の心の内懐に自然に飛び込んでしまう人懐っこくて天真爛漫な性格によるところが大きい。というか、真面目な聖職者にファニーの相手は務まらない。上級シェフがことごとく逃げ出した穴に収まったポジションだ。
マーチンからも〝さん〟ではなく〝ちゃん〟で呼ばれているのも、〝猊下ちゃん〟は揶揄が十割だが〝モニカちゃん〟には好意が見えてヨランタは歯ぎしりを隠せない。渾身の愛され女子。
しかし、モニカはヨランタより若い二十歳。この男の守備範囲外であるはず。なので、ヨランタも多少はこの娘に対応が甘い。
「ふふん、モニカちゃんや。この領域ではおいしい水が使い放題。そしてこれは冷蔵庫、冷凍庫。そしてこれがガスコンロ。」
「ふおぉ、こ、こんなことが許されていいのだろうか。こんな道具が……これが、神の……」
「それは言いっこなし。…あ、でも今日の料理はシンプルやから仕込み終わってしもたわ。突き出しは、どうしよっかな。」
*
「さあ、〝香り魚〟リベンジ!」
その日も暮れたころ、満を持してファニー大主教が来店。相変わらず、自然体で偉そうだがツッコミを入れるべきことでもない。ごく自然にカウンターへ1名様ご案内。
「今日はおひとりで?」
「皆、後始末に忙しいのです。わらわは、明日やるから大丈夫。」
「そりゃ、結構。突き出しは、蕗とお揚げさんの炊いたん。さすがの猊下ちゃんも胃が疲れてるやろうから、まずはその辺をちみちみ突付いといて。魚は、いま焼いてる。」
「ファニーちゃん猊下、マーチン氏のこれは、おいしいですよ。食べたことがない味、モニカめもおすすめです!」
「モニカや、そなたはいつもの甘くて濃いお料理をしてくれればよいのです。こういうのは、ここだけで充分★」
マーチンも蕗が彼女の好みに合うとは思っていない。が、つい自分が信じる最良のものを押し付けたくもなるのが料理人の性。特にこの男はその気が強い。さらに押し付けるように、
「酒は、甲斐駒ヶ岳の麓、富士を遥かに臨む甲州街道の地酒〝七賢〟の辛口。塩焼きのお供なんかには、たまらんよ。」
酒器は、いまだ猊下ちゃんへの信頼ポイントはゼロ地点まで回復していないので、自由には選ばせない。が、仲間はずれにして怒らせるのも楽しくない。ので、
「モニカちゃんも、ヨランタさんもカウンター席にお並び。で、酒器は交趾焼シリーズ。黄色、水色、緑、お好きなん選びなはれ。」
「この3つともわらわの物には?」
「ダメ。キミもお坊さんなんやから利他の善性に目覚めよし。もう、並んでる順番にね、ハイ。」
「あの、モニカめはお酒弱いので、小さいので…」
「お好きなように。私のお腹がもう限界だよ、マーチン、早く!」
*
蕗は、筋が通った感じでシャッキリしていても柔らかく、これだけ太い草の茎を食べられるのはなかなか珍しい食材なんじゃないだろうか。
おいしいかというと独特の癖があってストレートじゃないけど、前菜としては完璧だと思います。ね、ファニーちゃん。
「体が必要としているものが満たされる感じがします。ただ、おいしいかというと別問題で。この、お揚げさん?があるから食べられますけど。…世の中には摩訶不思議な草が生えているものですね。」
蕗か、お揚げか、どっちを不思議がってるんだろう? お揚げは、草の葉?木の実? マーチン世界の理解度でいえば、私もバカにできる程じゃないなぁ。
「ハイ、鮎、一発目焼けたよ。」
「「「待ってました!」」」
生前丸々の姿で串刺しにされた、さして大きくもない魚。我々なら頭を落として鍋で煮るか焼くか。もう少し大きな魚なら皮を剥いでぶつ切りにして食するところだが。
獣肉なら元の姿が想像もできないくらい刻むくせに、魚なら素材の姿も大事にするマーチンの文化は正反対で、楽しい。
お皿は野趣ある土ものの陶器にするかと思いきや、青い模様の磁器の絵皿。これもこれで、お魚の姿に似合って良いルックス。
でも、その姿は香ばしくこんがりと焼けて、塩が白く浮かんで、まさに〝今すぐ食べろ〟と語りかけてくるかのよう。片手にその頭を、もう片手で尻尾ないし串を持って持ち上げて、背の真ん中からかぶりつく。
現地で味わったそのままに、ブツリと肉・骨を噛み切って、じゅわりと染み出る魚油と魚肉を噛み混ぜて、旨味が弾けるようなそれを飲み込む。マーチンがいつも料理する大きな魚とは違う繊細な感触だ。
そして、現地には無かった、食事の旨味を何倍にもふくらませる神の水〝七賢〟を呷る。ベタつく手元も口もとも気にせず、宝のような酒器で、だ。
ああ、清い。あの、身を切る清流を自在に泳いでいた魚が、いま肉となって酒とともに泳ぎ流れていく。私の奥地に抜群の豊かさを残して。
そうだ、マーチンに〝辛くもないのに辛口〟概念の正体を問いたださないといけないと思いつつ、後回しにしてたね。うるさいのがいなくなったら、ちゃんと聞こう。
「ふぃ~~~っ!」
モニカちゃんが感に堪えぬように大きく息を漏らした。その丸いほっぺは、いきなり真っ赤だ。そんなにお酒に弱いのか、経済的だけど難儀なことだね。
「ほれみろ、ズルいではありませんか店主殿。こんなに、こんな…うわ、苦っ!」
「あぁ、内臓入り渡してた? それは、その苦みを飲み込んでからお酒を、ぐいっと。」
「ほ、ほう?…ほぉ~。これはたしかに未経験の味わい。自分だけ知っておったとは、ズルいことですな店主殿。のう、モニカ。」
「へへろひ~」
「酒の1杯で?… うむ、モニカは頑張れ。」
「しっかり食いたければ、鮎素麺にもできる。お素麺に鮎の塩焼きを乗っけて、お出汁かけて食べるの。
または、飲みたければ骨酒もあり。魚の骨を炙って燗酒を注いで香りを移すもんやけど、鮎なら塩焼きじゃない素焼きのそのままを熱々の燗酒に浸して、汁物のようにして、いただくのもいい。もちろん、そのまま塩焼き三昧でもOK。どうする?」
「はいはーい、ヨランタは骨酒で☆」
「ところで店主殿、果物を山ほど持ち帰ったろう、あれは?」
「冷蔵庫と、冷凍庫。準備ができてないから今日は出さへんよ。明日以降に予約してからおいで。」
「そか。ならば、ソーメンをおくれ。」
「モニカちゃんは?」
「ほひぃ。」
「ヨランタさん、目ぇ覚まさせてあげて。」
「しょうがないねぇ。|状態《არანორმალური》異常解除! お酒がもったいないからこの魔法キライなんだよ。…モニカちゃん、本職の誇りをかけた魂の食レポをマーチンがお望みです。」
「おっ、モニカよ、それは、わらわも所望する。存分に語れ。」
「うひゃいっ?」
「マーチン、この娘、あざといよね。」
「あんまり若い子をいじめてやりなや。ほら、ヨランタさんに骨酒。先輩の実力を見せた食レポを見せておやり。」
「えぇー。うーん、香ばしくて…ウマい! ドヤっ☆」




