(1)
マーチンは疲弊している。
出世や金儲けはやる気のない男だが、作った料理をマズいと言われたり、思いつきの出来心での工夫をつまらないと言われることは我慢がならない性格なのでしっかり仕事をしてしまう。生来の気の小ささが自ら楽をしにくくさせている、日本人気質のなせるところだ。
餃子の日のあとも、唐揚げの日、ポークチャップの日、牛皿の日など、大量に仕込んでおけばまだ比較的には楽かな、といえるメニューで凌いでいた。屋台料理の予行をしたときの経験が生きている、ともいえる。
が、それで好評を博してしまって客を減らす目的が達成できていない。
これではいけない、と〝焼き魚の日〟を設けるも、〝うまくて珍しいものを出す店〟の評判が立ったあとでは「これはこれでウマい」と悪くない評価を得てしまい、嘆くべきか、喜ぶべきか。
*
「いわゆる好循環、ってヤツだね。こういうときに普通は商売を大きくしようとするものらしいけど?」
「知らん人を雇うのは、特にウチでは不慮のリスクが高すぎる。キミ含めて、こっちの人は少々手癖が悪い。それに、儲けて贅沢っつっても多寡が知れてるしなぁ。ぼちぼちのんびりでええやん。」
以前、歯抜けになった胡蝶蘭はいつの間にか赤い胡蝶蘭が補充されていて、華やかながらどこか不吉な面持ちを晒している。
「そんなんだから神様をヤキモキさせて半ギレさせてるんだよ。ま、させてりゃいいんだけどさ。それはいいけど。お給料ください。」
「あ、神様か。言われてみれば猊下ちゃんの100人イベント、どうなったんやろ。お流れのままだいぶ時間経ってしもてるな。彼女自身、忙しくもあるまいにこのところ姿を見てへんし。」
「噂をすれば影!」
あまり突っ込まれたくなかった部分を雑にごまかしながらの話題が聖堂の大主教に及んだ瞬間、高笑いとともに扉が勢いよく開けられた!
「わぁ、出た!
…違うやん。なに、イザベッラさん。呼んでへんよ。」
「はっはっは、猊下の口マネ。上手いもんだろう?」
「イボンヌ、そんなキャラだっけ?」
「もう、前ほど肩肘を張り詰める必要もない立場になったからな。時間の空きもできたし、人生でこれほど余裕がある日々は初めてだと思うと。フフフ、自然に笑えてくる。」
「で? 仕込み中なんやけど。」
「何もしてないじゃないか?」
「何をするのか考えタイム。」
「それは都合が良かった。仕事だ、ヨランタ。猊下からのご指名の仕事だぞ。」
「騎士様が、そんなパシリを?」
「かしこまって聞け。いや、かしこまる必要はないか。しかし聞け。ヤウォンカ荘園近辺にモンスター災害が発生している。ヨランタは回復術師として現地の兵士のサポートをせよ。」
「イヤ。」
「ついでに、マーチン殿。厨師として数日間、ヤウォンカに赴任してくれまいか。」
「無理、困る。」
「ヨランタはいまや正規ヒーラーなのだから、命令拒否するならこの場で拘禁・処罰する。…マーチン殿には、厚く謝礼も出させていただくし、店を閉める間の保証ももちろんだ。難しい依頼ではない、ヤウォンカ荘園は果樹と酪農を主にしていてな、良い季節でもあるし、現地の作物で新しい名物を考案してほしい。」
「モンスター災害は?」
「そんなことは気にしてもらわなくていい、安全な後方で料理してもらって、それで働く兵士や、遊びに来る猊下のための慰問(見舞い)としてもらうだけの話だよ。」
「むぅ…」
「断っちゃえマーチン☆」
「キミの方は大丈夫なんかいな。」
「私のことならなんとでもなるよ。呪術師ギルドも壊滅させちゃったし。任せて!」
「……マーチン殿、これが荘園で採れる果物だ。今あるのはドライフルーツだが、現地なら採れたての最上品があるぞ。興味はないか? 乳製品も、チーズやヨーグルト、上等の物は猊下が独占してしまって市場に回らないものも好きに使える。」
「おお、これ、マンゴーやん。なんでこんな国にあるん。熱帯からのルートがあるんか、あるいは異世界から苗木を持ち込んだヤツがいるんか。どっちにせよ、実を言うとここだけの話、俺はマンゴーとアプリコット系のスイーツに目がなくてな。協力させてもらおう。」
*
おじさんが調子の良いことを言い放った瞬間、金属がきしむような異様な音がクキィィーと響いた。いや、これはヨランタの悲鳴だ。
「マーチン! なんで裏切るの!」
「知らんがな、コラ 噛むな。フルーツ好きおじさんをカミングアウトするのはなかなか勇気がいんねんぞ。」
「そんなこと聞いてないし。ニホンでは知らないけど、こっちじゃあ果物は男どもが貪り食って女子供にはちょっとしか回ってこない魅惑の味なんだから。自分の店で好きなだけ食べたらいいじゃん。」
「日本で売ってる果物は80点天国やけど、100点が食いたかったらやっぱり産地の、良い農場に特別なツテも要る。俺には無い。なので、ここは乗る。
ヨランタさんはお留守番する?」
「行くよ!でも私はマーチンの護衛役ね!」
「無理して来なくてもいいぞヨランタ。マーチン殿には、ご協力に感謝。いやあ、本当にありがたい!助かる!」
「何よそれ、私が行かなきゃ任務は半分失敗なんじゃないの?」
「やかましい、私は貴様を裁きそこねたことを人生最大の失敗だと思ってるんだ。逮捕し直したいわけではないが、出来るものなら今度こそ容赦はしないぞ。」
「マーチン、あの女、あんなエグいこと言ってるよ。私、怖くて泣きそうだよ?」
「あー、後のフォローが大変なんで、エグめのお仕置きは勘弁してあげてね、イザベッラさん。……ま、俺としてはここらでしばらく休んだら順調に客も減るやろから、ちょうど都合よかったわ。」
聞いてみればなかなか最低な動機を語るマーチンに女2人はそれぞれに渋い表情を浮かべるが、とにかく話は決まった。
「目的地のヤウォンカまでは片道で、早馬を全速で乗り継げば半日、護衛つきの馬車なら2日、歩兵の行軍で4、5日ほどの距離だ。2人には大主教の馬車に同乗してもらう。出発は明朝だから、準備があるなら急いでくれ。」
*
馬車に揺られている。
マーチンにとっては魔都の外に出ること自体が初めてだが、要人であるファニー大主教と同乗なので馬車の装甲は厚く、窓もない。外の景色などはちらりとも見えない。
ひとしきり文句は言ったが、ヨランタから「屋根の上に登ろうよ」との提案は却下してしまったので仕方なく大人しくしている。
そういう状況なので、できることは少ない。せいぜい、駄弁りながら菓子をつまんで酒でも飲む、そんな程度。揺れるが。
「と、いうことなので、持参したのは〝阿櫻 もぎたて♥りんごちゃん〟。」
「うぅん、何度見ても舐めてる絵のラベルだねぇ。」
「なんでや。かいらしぃやんけ。」
「これ、店主殿。店のものは持ち出せないのではありませんでしたか。」
「ああ、それね。」
この問題は長らくマーチンの悩みのタネだったが、なんと今回、多少の制限付きで解決を見た。
きっかけとなったのは、ヨランタが神様ルームでマーチンのお供え物の酒を口にした、と語ったこと。神棚は、名の通り神様に通じているらしい。ならば、お供えしてお祈りしてお願いしてみよう。
この神様、衣服の件でも、缶詰と称して一斗缶を持ち出せた件も、生き物だからと花を持ち出せた件からも、自分ルールに意外と緩いことがわかっている。加えて、店のレベルアップイベントでも対話に乗ってくれたり、話がわからない相手でもない。ので、やってみたら、できた。
ただ、神棚に乗るのはサイズ的にも重量的にも四合瓶1本が限度。呑兵衛たちには正直物足りない量。今度のレベルアップのときに神棚の拡張もお願いしよう。そんな話もしていたものだった。
「神様のお下がりのりんごちゃん。例によって米と水だけで作ったけれども、りんご味のお酒。普通にリンゴで作ったリンゴ酒とも比べてみたいよね。日本で普通に売ってるシードルはあんましリンゴっぽく感じひんけど。」
「おお、シードルはヤウォンカでも作っておるから、その酒と勝負ができるぞよ。わらわが勝ったら、お願いをひとつ聞いてもらう!」
「ジャッジの変更を要求する。それはそうと、せっかくやから呑もう。いきなり全部飲むんちゃうで、ちょっとずつ。」
つまみは、ファニーちゃん印のクッキー。彼女の横顔がレリーフされている、上等の白砂糖まみれでほぼクッキーinの落雁。それとドライフルーツを洋酒シロップで戻した、周囲の素朴な時代設定にそぐわない贅沢極まる逸品。
「ダメだ、お菓子が甘すぎてお酒の味がわかんない。」
「ファニーちゃん猊下は、わりとグルメの風上に置けんところがあるよね。」
「それは、そなたらが貧しくて砂糖の味に慣れてないだけでありましょ。わらわにはりんごちゃんの程よい甘みも、クッキーの脳天を突き刺すメロい甘みもよーくわかりますとも。」
「メロいとか言うな。ま、ええわ。日本酒は仕舞って、俺らは辛口のご当地蒸溜酒に切り替えよう。りんごちゃんレビューは、また後で。」




