(2)
急に店へやって来て、日本のことを知るらしい注文をした樹の実人のアキベエルと名乗る大男。彼が知る日本への手がかりを知るべく、俄然はりきるヨランタだった、が。
「ハルヒコは、ある門を持っていた。しかし、それは失われた。新たな門を探そうとハルヒコは旅に出たが、もはや年老いたハルヒコは旅に病んで、大地に還っていった。
我は、彼を忘れないために、また、遺志を果たそうと、その姿を写してニホンへの門を探してきた。長い、年月が過ぎた。」
ヨランタが求める手がかりは最初から失われていた。
流石にガッカリ気落ちしているだろうか、マーチンは気遣う視線をその背中に向けようとした、が、それより男の異変に目を見張る。
男の、体が薄くぼやけている。むやみに巨体だったその体の芯に影が浮かんで見える。だんだん、大男の姿は薄れて、華奢な、普通の背丈の人物の姿が濃くなる。その顔は無機的に感じるほどに隙なく整っていて、男女どちらとも知れない。
あぁ、これこそエルフだ。いつしかマーチンは口を開けてその姿に見とれていたらしく、ヨランタにスネを蹴られてようやく意識を取り戻す。
そして、鍋の蓋を開け、炊きあがったおっさんくさいおでんを見て急に恥ずかしくいたたまれない気持ちに襲われた。
「ゴツいおっさんやったらある程度雑に扱えるけど、見た目が繊細になると扱いに困るな。ヨランタさん、その樹の実人とやらをもう一回解説してくれへんかね。」
「私だって繊細だよ?」
「せやから扱いに困っとる。えーと、アキベさん、ご注文の関東煮、おまたせ。大根と玉子にがんも、こんにゃく、鶏つくね。
ほかにじゃがいも、しらたき、厚揚げ、豆腐、昆布もあるから、おかわりはお好きな具を注文して。
どうせ大根に時間かかるからって他に作りすぎたな。ええけど。」
「お、おぉ、感謝、する。いただきます。」
せめて器は派手に攻めようかとも考えたが、思い直し、渋いがエスニックと言えなくもない三島手の鉢に、第一弾の具を盛って手渡す。
アキベエルは静かに涙を流しながら、美しい仕草で箸を使い、おでんの具を切り分けては口に運ぶ。どうせならもっと色気のある食べ物が思い出の味なら良かったのに。
何とも惜しい姿に、つい目が行ってしまうマーチンの耳元に囁く声が。
「彼ら樹の実人は数十年の定期的に森で生まれ直すことで実質不老不死になってる、ただし生まれ直しで引き継げる記憶は全部じゃない。ってことは前に言ったけど。
その生まれ直しをサボったらどうなるか、とか、それに対する彼らなりの苦悩とか他種族との恋愛観とかは、知ってる人間は少ないんじゃないかしら。
ハルヒコさんの姿を自分に写した、って言ってたけど、きっと彼のなかでとんでもなく美化しすぎてたからあんな異様な姿になってたんだと思う。
そもそも、彼らと知り合える人が少ないし、私だって初めてだから。ちょっと驚きだよね。」
「ほぅ。日本への門が失われてた、ってのはガッカリしてへんの?」
「してないねぇ。どうせそうだろうとは思ってたし、あっても、あんまり遠い人外魔境に門だけあっても困るし? でも、彼が手がかりを探しにこっち方面に来た理由は知りたいから、これから聞くよ。」
「アキベさんが食べ終わらはってからね。」
*
「カントダッ、は、まだたくさんあるのか。これは、みんなで食べるものだ。ニホンの人も、その女の人も、いっしょに食べてくれ。そうして、長くつかまえてしまっていたハルヒコを送りたい。…これは、お代だ。」
しばらくして、涙を止めたアキベエルが貴石をマーチンへ差し出した。赤く妖しく輝く、親指の爪程度の大きさの石。
「これはッ……もしかして…」
「知っとるのかヨランタさん。」
「いや、知らない! 見たことない、けど…ひょっとして、ルベドの心臓?…だよね?」
「アキベさんもうなずいたはる。で? 高く売れるの?」
「売れない…絶対値段がつかない…鉛や鉄とかを黄金に変える触媒だから。別名は賢者の石。この大きさがあったら、この家ほどの黄金が作れる、はず。蘇生薬には足りないと思うけど?」
「我にはもう無用。ついに、そこまでの大きさにしか作れなかった。ハルヒコをいまさら蘇生させても、彼は迷惑にちがいない。しかしあなたたちには使い道があるだろう。ニホンの人の役に立ててほしい。」
「おでんの代には過剰やね。ヨランタさん、要る? そこで迷わず首を縦に振るのがキミらしいね。んー、アキベさん、もうちょっと細かいの無いかな。無い?じゃ、まあ、ありがたく預からせてもらいます。今日といわず、生まれ直してもタダにしたげるさかい、いつでもおいで。
じゃ、我々もご相伴に預かろうか。」
しばし、マーチンもヨランタも黙ってホフホフいいながらおでんを食べる。
「そういえばこの冬には結局、おでん出したこと無かったっけ。大根の煮物は出したことがあったと思うけど、この、厚揚げとか玉子とかと一緒に食べるお大根はおでんならではやね。半熟卵も悪くはない。こうなるとごぼ天さんがないのが惜しまれるな。
で、どうやろアキベさん?」
「ん、おいしい。忘れかけていた思い出の味が鮮明になって、しみじみとおいしい。ありがとう。」
「そう?味の染みは薄いかと思ったけど、関西風やから関東風ほど黒くはならんし、圧力鍋の威力かな。下ごしらえに参加したヨランタさんは?」
「んぅー、普通。…いや、普通においしいよ? なんだかこう、ドカーンと、キラキラーっと押し寄せるものは、無いっていうか。普通の毎日みたいな普通の美味しさだね。賀茂鶴も、ブワッと異世界に迷い込むような華やかさじゃないけど、普通に上等だね。
普通に生活するだけのことが苦手な私たちにはまぶしいくらい。」
「うん。いや待て。その〝私たち〟って、キミと誰や。」
「もちろんマーチン。」
「俺は、誰がどう見ても普通やろが。」
「どこが、だよ。自分の胸に手を当てて考えてみなよ。私の胸でもいいけど。ほら。なんなら、揉みなよ。女の胸を手で揉みながら考えてみたらなにか真理を閃くかもよ。」
「そんな訳のわからんもんは、断る。」
*
「愛は、」
ヨランタとマーチンが仲良く口喧嘩している間に、喋りが苦手そうだったアキベエルが参加してきた。2人とも、何故か神妙に聞く姿勢になってしまう。
「真実の愛でも仮初の愛でも、どうしたってエゴイスティックなもの。相手のことばかり案じていても、その先に道はないぞ、ニホンの人。女の人も、相手に任せずもう一歩、踏み出さなければ。」
「さすが、愛の旅人は言わはることが違うねぇ。」
「アキベエル、私、ヨランタ。女、じゃなくて、ヨランタ。」
「もう新しいことなど覚えられぬ。妄執をひとつ晴らしてずいぶん落ち着いたが、かつてハルヒコの名を覚えるのにも8年かかった。生死に関わるのでなければ我慢してくれ。」
「タイタンの人も同じようなこと言って、結局〝ヒトちゃん〟と〝タイちゃん〟で通しちゃったしなぁ。定命で数が多い生き物とは感覚が違うよね。」
「難しいことは言っていない。愛とは、それに飾ってある山藤のように。侵略的に絡みついても、お互いが健やかであれば共に生きて美しい花を咲かす。木々にあらぬ人であれば、もっといろいろできることもあるだろう。」
「そうだよ、マーチン!」
「哲学も、愛も、知らん。うちは普通の酒場なんでね、普通に。
で、おでんの普通な変わり種、キャベツにタマネギ、トマト、コロッケ、厚切りベーコン。食べる? 洋風おでんというか、和風ポトフみたいになったけど。」
「コロッケ!それもハルヒコの好物だった。我は食べる。…それは、別の鍋で煮て?」
「そう。味が混ざってもそれはそれでええけど、今日は別けた。そしてここにカリカリのコロッケをon。さ、おあがりやす。」
「…人の世は、わずかな間で変わってしまうものだな。ニホンでさえ、関東煮であれ。変わらないのは、カモトゥールの味わいだけ……」
「日本だからこそ、何でも変わるよ。賀茂鶴だって新作はたくさん出てる。変わらない味も残しながらね。どっちも、深く関われば面倒くさくも腹立たしくもあるやろけど、こうやって傍目で見てるぶんにはなかなか愛おしいもんではないですかね。」
「ふむ。ニホンの人は見者であるな。女の人よ、腰を据えてかからねばな。」
「見者って?」
「評論家。一般には役立たずの代名詞だが、彼は料理ができるから、これは悪口ではない。」
「まぁー、お酒飲んだらようお口が回らはること。」
「酒、だけではない。この空間は神力が満ちて心地よい、じっとしているだけで若返るようだ。森へ還るのも、今ならもう3年ほどは先延ばしに出来るだろう。」
「やめときなはれ、そういうのはロクなことにならん。〆にぶぶ漬けも食べはる?」
「ああ、それもハルヒコに聞いたことがある。もう帰れ、という意味だろう。関東煮を食べ尽くし、賀茂鶴を飲み干すまでは還らぬ。」
「そうだよ、アキベエルはマーチンにプレッシャーをかけられる数少ない人だからね。お代もすごいものを貰っちゃったし、好きに来てくれて良いんだよ。そしてニホンへの手がかりを教えてください。
でも、生活費や宿代が無くなったから返せっていわれても返さないんだからね、いま一文無しじゃないよね!」
「あ……しまった、そうか。ならば、ニホンへの情報をあなたに売ってあげよう。ひとつ銀貨5枚でどうか。」
「意外に、しっかりしてるわぁ。クズ情報には払わないよ!」




