(1)
「カンモトゥール!クヮァン=ト・ダッ!!」
ある夜、大男が1人で戸を開き、ものも言わずカウンターに座を占め、吠えるように叫んだ。
「はぃ!? えーっと、」
「カーンモトゥゥール! クヮン=トォ・ダッ!!」
「うぇ、カン、モツール、かーん……」
「カーン、モッ!」
「かー、もっ?」
「トゥーッ。」
「つー。」
「ソシテ、」
「そして。あ、これは言葉か、話はできるのね。」
「クヮァン=ト、」
「かーん・と、」
「ダッ。」
「んー、なに?」
「ダァーッ。」
「だぁー。」
「ヲ、ショモウスル。」
「最初からそうおっしゃい。っつっても、えー?」
客らしい大男は、背丈でいえばマーチンの1.5倍、幅なら1.7倍。マーチンより3まわり、ユリアンよりもひと回り大きい体躯をもっている。それでいて贅肉を感じさせない筋肉質が服の上からでもわかる風格。白髪、白髯、異様に整った顔立ちには薄くシワとシミが浮かんで老齢であることが見てとれる。
だが、その眼差しに晒されると、言いしれない違和感に襲われてどうにも居心地が悪い。
「マーチン、彼、アレ。樹の実人だよ。」
「マジで? いや、デカ過ぎひん? イメージ違うわぁ。」
朝食を任せたときから何故かいっぱしの助手気取りでカウンターの内側に入り込んでいるヨランタが袖を引いて耳打ちする。
樹の実人とは、この世界の森に住む、一般的な人種とは異なる人々であるらしい。美形・長寿で、ある年齢を過ぎると森の木々のなかに還って生まれ直し、不死だとも考えられている。
眼の前の不思議な注文? をした老人? が、それだ、とヨランタは言う。
*
「アッ!」
「な、何!?」
「ひょっとして、賀茂鶴、と関東煮、ちがう!?」
一声叫んだマーチンが酒の冷蔵棚を探って、一本を取り出してカウンターにドンと置く。
「オッホーッ!! カンモトゥール!カンモ、トゥゥールゥ!!!」
大男はその場で立ち上がり、不思議な所作を始める。表情を見るかぎり、喜びの舞であるらしい。が、日本の能の舞のように静かで正中線を垂直に保つ動きなので、見ている方が逆に落ち着かない。
「ヨランタさん、アレって。」
「私も知らないよ。むしろ、なんでわかったの? でも、まぁ、喜んでもらってるんじゃない。」
ひと通り舞いが終わったらしく、男は再び席につく。しかし。
「申し訳ないけど、関東煮(おでん)は準備がない。わかる? …ウチはオールタイムおでん常備の大衆酒場とはちょっとジャンルが違うんで、暖かくなってくると、どうしてもね。ほかに食べたいもの、無いです?」
「チュゥ……」
口をとがらせ、肩をすぼめてうつむいたところを見れば、言葉は通じたらしい。筋肉質の大男が、ちょっとかわいいじゃないか。
しかしそのぶん、がっかりさせた罪悪感がある。冷蔵庫を探ってみる。
大根、じゃがいも、厚揚げ・豆腐は、もちろんある。こんにゃく、しらたきもある。卵は、ラーメン用の味玉がある。これでもいいだろうか? 練り物が、今日は無い。普通の細いちくわならあるが、これを入れると雰囲気があっという間にお家のおでんになってしまう、諦める。
牛すじは無いが、鳥ミンチがあるからつくねはできる。あ、ひろうす(がんもどき)もある。なんだ、これだけあれば、大丈夫か。
最近はトマトやタマネギもまるごとでおでんの具になる。ロールキャベツもいい。が、この客に効果的とはいえないだろう。
おでんのコロッケも旨いものだ。普段よりコロモをガリガリに揚げて、箸で割ればイモは瞬時に汁に溶けてしまうけれども、辛子とイモが溶け合ったおでん汁をズズとすすって、汁を含んでもなおガリッとした熱々のコロモをザクリと噛み締め、冷たい辛口の酒をキュッと。あぁ、あとで自分用に作ろう。
「あー、明日も来てくれるなら、ちゃんとしたのを出せます。ムリなら、1時間ほど待ってもらえれば、取り急ぎのものならお出しできます。どうえ?」
「トキガ、ナイ。カ・モ・トゥル、ガ、アレバイイ。マツ、イマ、タノム。」
「アイヨぅー。あ、ヨランタさん、大根とじゃがいもの皮むき頼む。
じゃ、賀茂鶴を注ぐ酒器を、選んだってください、まぁ適当に。」
話が通じていることがわかって、少し言葉が丁寧になったマーチンが差し出した酒器の中から男は、迷わずに押しいだくように、織部の濃い緑を取り出した。
思いがけず古い友人の幽霊に出会ったような表情で、肩をつぼめてその小さなぐい呑みを見つめている大男。なんとも声をかけづらいが、要件は終わっていない。話を続ける。
「えーっと、突き出し…料理を待ってる間にちょっとした物を出してますねんけど、肉とか野菜とか、食えへんものはあります?」
「イヤ、ヒトノタベモノハ、ナンデモ。ソレヨリ、ハヤク、カモ・トゥルヲ。」
「了解。じゃ、突き出しは牛肉と牛蒡さんの煮物で。どうしてもこっちの人は肉でないと喜ばへんさかいな。野菜が好きやったら言うてね。さ、お酒もこちらに。お上がりやす。
…さ、おでんの準備!」
*
「賀茂鶴というお酒はね、」
マーチンが出汁をひく等 料理の手を止めずに、いまはヨランタに向かって話し出す。
「伏見・灘に次ぐ3番目の酒どころ・広島の西条を代表するお酒。少々古めかしくはあるが、真面目な作りで質が良くてね。いまさら俺が語らんならんようなことはなにもない。」
「あらら。そんな解説でいいの?」
「良いも、悪いも。
…彼も、知ってるということは いつかどっかで賀茂鶴ファンに教えられて、日本から渡ってきた賀茂鶴を飲んだことがあんねやろ。おでんと一緒に。すごいね。」
「そうだ、それ! 他所の日本への出入り口があるってことでしょ! それは、聞きださなきゃ☆
ね、私もカンモトゥー、飲んでみたい。」
「仕込みが終わったらね。キッチンのこちらに入り込んできたからには、働いてもらう。」
「よろこんでー! 助手のヨランタです!」
「助手見習い、な。あー、なにか間違えたかな。」
大根はヨランタが皮をむいたものをマーチンが面取りと十字の切込みを入れ、下茹でへ。店によっては皮のついたままヒゲが生えたままの大根がでてくることもあって、それはそれで悪いものではないが、ここではちょっと格好をつけたい。
ジャガイモは煮崩れないメークイン。意識高いおでん屋はキタアカリやインカの目覚めといった甘みの濃いスペシャルな品種を使って単価を上げるが、今はあくまで馴染み深い普通のおでんを提供したい。
さて、こんにゃくの切り込みもヨランタに任せて、鶏つくねの用意。
「うん、客が少ないってのは悪いことばかりじゃないよね。初見のお一人さんの安い注文にこんな手の込んだ料理してあげられるんだから。」
「良かぁない。明日のルドウィクの15人はカツカレー大会の予行にしようかと思ってたんやけど、おでんの継ぎ足しにする。明日の仕込みも手伝ってよ。
あ、お客さんも、明日もおでんやから、ちょっと騒がしいけど来れたら来てね。貸し切りの予定なん忘れてたけど、まあ、ええやろ。
ところでお客さん、ウチのことはどこかで誰かからお聞きで?」
後は煮込むだけ、まで状況をもっていけたところでマーチンが黙っていた大男に話をふる。男は、キレイに使っていた箸を置き、酒を飲んでフゥーっと息をついて、重い口を開く。
「グウゼン、ユメに、アった。この店に、ニホンのものがあると、聞いた。だから、来た。」
話し慣れてきたのか、酔ったからか、言葉が滑らかになりつつある。白い髪と髭にうずもれた顔から鋭い目線を向けられたマーチンは軽くひるみながらも、隣でウズウズしているヨランタを制して、問いを続ける。
「賀茂鶴は、日本で飲んだことがお有りで?それとも、どなたかから?」
「我が友にして師、夫にして妻であったハルヒコ。彼とニホンで遊んだ日々の記憶は失うわけにはイカナイ。カンモトゥー、モ、ソノヒ、ト、ウゥゥ……」
「うえぇー、あ、そう……あ、お客さんのご尊名は?」
「オォオオォォォオォ、ワレハ、アキべェル。アッァァァ…」
「大丈夫か?あー、もの食べんと酒ばっかり呑むから。ほら、水飲んで。もみじ饅頭のチーズ味、食べる?」
「ちょっとマーチン、それ何?」
「いや、俺が好きなお菓子やけどこれだけは似たものが思いつかんでな、買えるときに買い込んで常備してる。」
「モミマン!モミマン!」
男? アキべェルは長躯を鞭のようにしならせ、ひったくるようにもみまんを手に取って明らかに知っている動作でビニールをむき、震えながらかぶりつく。
「あぁー、もみまん……」
「何事か知らんが、そんなんで良かったんか。おでんは、まだ要る?」
「もちろん、おでんも頼む。…森へ還らねばならぬ時期を何十年も過ぎて、正気を保ちづらく…しかし、ハルヒコとの記憶は失うわけにはいかず……」
「愛よねぇ。」
ヨランタは腕を組んで偉そうにうなずいているが、マーチンはもうどうでもよくなってきたのか、何やら別の作業を始めだした。
「ねぇ、アキベエルさん。ハルヒコさんとはどうやってニホンと行き来してたの?」




