(そのころのヨランタ)
春の陽の眩しさをサングラスがやわらげてくれる。私・ヨランタは、朝から猊下ちゃんの呼び出しを受けて聖堂への道を歩いている。
先日、マーチンの庭園見物について行った際に出入りの許可証とふさわしい衣装をもらってる。借りてる?いや、もらった。今更、もう返さないからね!
…ということで、白が基調で金糸銀糸の刺繍に菫青石が散りばめられてたお洒落ローブを身にまとってる。少々暑苦しいながらヒラヒラが心地よい。
この豪華な恰好で、かつて逃げ惑った聖堂の、その本拠地への道をのんびり行く。
背には缶詰を押し込んだぶっきらぼうで大きなカバン、右手にはマーチンの花飾りから勝手に持ってきた花、珍しいあやめ。大きい花じゃないけどキレイで、ほぼ白色の薄紫に黄色と青紫の模様が入っていてこの衣装にもよく似てる。清楚な私にピッタリだ。
道ですれ違う人たちは、訳も知らずに私を拝んでしまったりまでしている。場所柄的にみんな身なりの良い善男善女で、私もなるべく厳かな感じで手を振り返してあげると跪いてくれたり。首筋がゾワゾワっとするほどの優越感! 宿無しチンピラ娘の下剋上だ!
聖堂が近づくにつれて私のことを知ってるらしい人も現われはじめ、足早に進む。結構な悪意がこもった視線が刺さってなかなかツラい。露骨な舌打ちまで放った男の顔は覚えておいて、猊下ちゃんに言いつけよう。
っていうか、猊下ちゃんがちゃんと言い聞かせてないのが悪い。あの人、カリスマなさすぎ?
*
「来やったか、ヨラ犬。そんなことより、桜が枯れてしもうた、治してくれ!」
「なんですか、いきなり。花が散るのは普通だよ。緑の葉っぱができてるでしょ、枯れてないの、普通。そのうち実がなるよ。アンズみたいな果物になるかな、アーモンドみたいになナッツになるかな。楽しみだね!」
猊下ちゃんことシュテファニエ大主教と面会しているのは、前回と同じ庭園の四阿。でも今回は昼間だし、四阿に天井と壁が設置されていて全然雰囲気が違う。
そんな風情を確認する間もなく、鉢植えの木をバサバサ降りながら詰め寄ってきた女がひとり。
「は? 花は、花だろうに。果物になんの関係があるのです?」
「花が実になるのを知らないの? あ、庭の花は萎れたら摘んじゃうのかもね。あぁ、これも花の跡を摘んじゃってるからダメだわ。また来年、ね。」
「な、なんたること。庭師は打首!です!」
「一応にもお坊さんでしょ、猊下ちゃん。」
「むむ?ヨラ犬よ、その花は? それも珍かであるの、よく持ってきた、褒美をやろう。」
「これは私のだよ。服の色とも合ってるでしょ、名付けてヨランタ花。あげないよ!」
「お手!」
「わぅ!」
「そっちの手じゃないわ、まて、おあずけ!」
「うっさいわ、ちんちん!お腹見せ、ゴロン!」
「ワン!」
「噛むな、あ、コラ、あくまで自分が上のつもりだな!」
「ワンワン!」
最初から騒々しく目的を見失ってしまってる。本来は聖女がどうだとか、なんだとかのはずだった。つまり、それは何なの? やる気はないけどそもそも全然わかってない。しょうがない、聞いてやろうか。
*
ファニー大主教の聖女計画。それは、病の身へ放逐同然に捨扶持の名誉職を与えられて、生まれ育った王宮を離れて死んでいく運命にあった彼女が偶々拾った命と掌中に転がってきた切り札を利用した、起死回生・失地回復の一大勝負。
と、いえば何やら悲劇的な、運命に抗う勇壮な……みたいな雰囲気もあるが、半ば追放のようだったのも、持て余されたのも、人望がなかったのも全く自業自得であって、そこから何かを悔い改めもしていない。
彼女のためにフォローするなら〝王族の深窓のお姫様の40年もの〟といったら〝そういうもの〟である、としかいえないものだということで一概に彼女ひとりの責任にして断罪することに意味はない。そう、言えなくもない。
もっとも、ヨランタにそんな事情は関わり合いのないこと。陰謀に巻き込まれる気はない。
自身の大目標は、マーチンのそれとは別の入口を見つけてニホンに行くこと。ユメからの情報はか細い蜘蛛の糸ほどもないような手がかりだったが、まったくのノーヒントよりは、一応の指針になるものだった。
ここでまた闇雲に出撃するよりは、聖堂で何らかの手がかりを探したい。〝ファニーちゃん〟に接触する意味があるとすれば、そこだ。
ちなみに、ヨランタ花とやらの名は、射干。日本ではごくありふれたもので、4月の公園や野山の道の隅に咲いている。
あと、桜の実はオオシマザクラの黒い実なら一応食べられるが、マーチンが持ってきたジンダイアケボノはその限りではない。さくらんぼができるのはミザクラという品種。ただ、彼女らには知る由もない。
それから、以前大主教の私兵になるような契約を交わしたユリアンたちだが現状、常勤で詰め切るほどの仕事はないため、あくまで非常勤。呼ばれれば働きに来ることになっている。
で、今は多少の書類仕事ができるチェザリ、それには劣るができないこともないユリアンがデスクワークに駆り出されていて、レナータは見習いで雑用、ジグは向いてないのでオフ、となっている。
仕事はそれに押し付けて、ファニーちゃんは朝から抜け出して休憩中。
「それはそうと聞いておくれヨラ犬。あのジグムントという男、ちょっと、ちょーーーっとだけ愚痴に付き合わせたら、3時間で「トイレに行ってくる」って言ったきり帰って来ぬ。レナータは話し始めた途端にイライラを隠そうともせず貧乏ゆすりを始めおって、怖い。なんじゃアイツラ、わらわは偉いのぞ?
お主も、そう! 勝手に呪術の回線を閉じたであろ! なぜに!」
「みんな、やることがあるんだよ。愚痴聞き係専門の人を雇いなよ。」
「誰でもいいというわけにもいきませぬわ。それよりヨラ犬よ、聖女になりに来てくれたのではありましょうな!」
「違うよ、缶詰の宅配の商売だよ。終わったから帰るよ。」
「待て、話をしよう。こちらの調査では、そなたはカネをちらつかせれば誰にでも尻を振る人物だということだったのだが、違うようだ。調査員は火あぶりだな。」
「もぅ。極端で凶暴なことばっかり。でも、あんまりきつく束縛されるのは無理だけど軽い仕事なら、条件次第で協力できないことはないよ?」
「聖女になってわらわと一緒に王都の迷える民たちを導いてやる簡単なお仕事。」
「その束縛はキツすぎ。それに、いちばん迷えるなのはあなたでしょ。次が、私。ムリだってば。」
「何を気弱な。為せば成る、ヤればデキる。王宮で贅沢三昧、王族リッチなキラキラ男たちに囲まれたキラキラ生活。この世でこれ以上の何を求めることがありましょうや。」
「(それでもニホンのキラキラには及ばない…)
うぅーん、私からの提案としましては、猊下ちゃんは回線の呪術に興味がおアリらしいので、この開発と改良には協力します。そのかわり、聖堂の書庫での調べ物を許可してもらえれば。
…これくらいだね。こんなので勘弁してよ。」
「まっじめぇー。そんな真面目ちゃんな話は聞いてられないし聞きたくもない! 書庫で、調べ物? そんなことがしたいなら、いくらでもすればよいが…なら、こうしよう! 書庫に行く前に1時間、わらわの犬になれ、この首輪をつけて! そうしたらその後は好きにするが良い。」
「なんで首輪なんか用意してるの。ダメでしょ。イヤよ。」
「即答かや。そなたの欲の皮はそんなものか。言っておくが、わらわは一度言い出したらしつこいぞ、他の案など聞かぬからな!」
そんなことを言われても、さすがにそれは人としての尊厳の問題だ。確かに犬になることは断食の瞑想で小動物などの気持ちになるくらいシンプルな思考になれてスッキリするが、アレとは違って心も体も制御しきれないから危険すぎる。
私も後遺症として、ありもしない尻尾を振りすぎてお尻の付け根の筋肉が痛くなったりしたし、あの後、ふとマーチンを御主人様と呼びたくなる瞬間がある。それは、さすがに違う。別にそれでもいいか、と思ってしまいかねないところが特にやばい。
やはり彼女みたいな輩とは関わり合いにならないことが最重要。ここは、人生の損切りの一手。目的を果たせないのはイヤだけど、逃げよう☆
*
「ほんで、逃げ帰れはしたけど真夜中になってしもた、と。貞操は無事か?」
「無事。なかなか逃げさせてもらえなくて。変なところで巧妙なんだから。それで、納得してもらう代案に〝来客300人記念神様登場イベント〟を強引に起こして猊下ちゃんにも立ち会ってもらう約束になりました。いま、200人から何人くらい?」
「なにを勝手なことを。えーっと200人ゆうたらイザベッラさんと仲間たちのときか。それ以後の新顔は、特に誰もないな。」
「えッ、ゼロ!?」
「いや、その猊下と、楽士の男で2人。あと、そのルドウィクが明後日貸し切り予約して15人ほど連れてくるって。せやから、あと83人? どう詰めても入らへんから、お断り。」
「だから、屋台スタイルで入れ代わり立ち代わり。一番安い食器でさ、外出たら汚れた皿も食べ残しも消えるんだから、後片付けは楽だよ? 迷惑かけちゃうけど、お願い☆」
「その冒瀆的なんは、アリか? あ、迷惑でいえば、いまヨランタさんの寝床に酔い潰れたイボンヌが寝てる。その世話をお願い。それでお互い様にしよう! 助かるわぁ。」
「えっ、ウソっ! …ちょっと、それ、割に合わない!」
「そんなこと無いわ。この機会にヤツに恩が売れるんやで。じゃ、頼んだ!」
「むむむ、むむぅ。じゃあ、屋台メニューはとんかつカレーでね! …交渉ごとって苦手だわぁ…」
「いや、ヨランタ草のヨランタ花が、シャガはないわぁ。薄暗い日陰で、凛としてヒッソリ。どういう自己評価してんねん。」
「じゃ、マーチンは私に似合う花は何だって言うのよぅ。」
「うーん、ヒマワリとかのアホみたいな花、あるいはトケイソウみたいなキモチワルイ系の花?あ、アレがあった。木瓜。」
「ひどい。」
「可愛らしい花やで? 日向が似合う、鮮やかな。木瓜は荒ぶる神のシンボルでもある。」
「でも、ボケだって私を嘲笑うんでしょう。」
「なにを拗ねてんのや。まぁ、飲め。まず飲め。」
「フーン。甘いのを!甘いお酒を!」
「ハイ、ハイ。」




