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新年祭が終わって数日、ようやくひと仕事終えた騎士イザベッラと楽士ルドウィクが連れ立ってやってきた。「今日は旨い酒をしこたま飲むぞ!」ということだが。
来れなかったファニー大主教は、犬だった間ほか溜めに溜めた仕事に改めて追われているらしい。
「音楽を!もう耳にカビが生えてるんだ! 神の音曲、ヒラサワ=ススムをかけてくれ!」
「先日は、ユメ殿がひとりで良いものをいただいたそうじゃないか、ずるい。私も、なにかユメ殿に自慢してやれる、今ならではのものが食べたい!
ところで、ヨランタはどこに?」
「楽士さんのお好みはちょっと悪魔崇拝入ってないか、大丈夫か。そっとしておこ。
あー、イザベッラさん、ヨランタさんは大主教ちゃんに呼び出されてカレー粉とかの缶を売りに行ってる。」
「あの2人を一緒にするのはマズイ気がするぜ。マスターもそう思うだろ?」
「そうは言うがなルドウィク。売れない酒場の親父に出来ることは無いよ。俺よりイザベッラさんの仕事でしょ。」
「私は、忠良な秩序の信徒だ。意見も諫言もするが、謀反はできない。しない。
あの猊下の厄介なところは、悪人にたぶらかされたわけじゃなく自分一人の悪巧みでなんでもやってしまうことなんだなぁ……」
「ところで、聖女ってなんなん?」と、マーチンがルドウィクに。
「ところで、聖女ってなんなん?」と、ルドウィクがイザベッラに。
新旧のユメは〝聖女〟という言葉に特別の思い入れがあるらしく、ヨランタに「聖女!聖女!」などと絡んで喜んでいたものだが、マーチンはいまいち要領を得ない感じ。聖堂の2人も、微妙な表情だ。
「さぁ? 聖典には〝聖人〟はあっても〝聖女〟などどこにも記されてないな。
み教えがまだ曖昧にしか伝わってない土地では聖母信仰などという異端スレスレの信仰でも〝されないよりはマシ〟で認めているとか、女が猛々しい土地柄への布教ではオーリーヨンの乙女を聖女と呼んでことさらに盛り上げて関心を惹いている、それらはとても受けがいいから。など聞いたことがある。
邪道の浅知恵だ。女を軽んじさせたくない考えは理解するが、初手から姑息な搦手を誇示してドヤ顔する馬鹿に何を任せられるものか。
……失礼。ヨランタ自身は、それについて?」
「ヨランタさんは他人の思い通りにされることが何よりもキライやからね。たぶん大丈夫やけど、言いくるめようはいくつかあるな。」
「例えば?」
「聞いてどうする。売り渡せというなら、高いぞ。
それより、酒と食い物やな。今日の魚は…カツオ! 季節的にいえば、初鰹。おじさんになると一年が早いね。俺は江戸っ子ではないので別にこだわりはないが。でも、これは旨い。どうや、旨そうやろ。
腹側はそのまま刺身に、背側はバーナー炙りのタタキにしようかな、いまから藁焼きなんかでけへんし。いくらかはレアカツにしてもいいかも知れん。」
「マーチン殿におまかせするよ。絶対おいしいから期待している。」
「うん、任せろ。お酒は、鰹にはやっぱり土佐の〝酔鯨〟。これはもう味とか香りじゃなくて文化として、酔鯨。
突き出しは、そら豆の塩ゆで。ゆでたて熱々ではないけど、冷たいのもええもんよ。ちみちみ食べながら待っててね。」
*
白の花結晶の京焼皿、その上に2人前盛られた浅緑色の平たい豆。言われるままに薄皮を剝くと、鮮やかな翡翠色の可食部が姿を見せる。
この色を眺めるだけでも満足感を得られるが、せっかくなので口に運ぶ。ホクッ、と軽やかな歯ざわり、上品な塩味とかすかな青臭さ、豊かな豆味。これは、おいしい! と感じる間にも手は勝手に次の一粒に伸びている。
2人して、しばし無言で豆を剝いては食べ、剝いては食べ。
マーチンは持ち前のひねくれで、枝豆を突き出しに出していない。普通のメニューとして茹でたて枝豆を出したことはある。が、コスト感覚として、突き出しにその上位種であるそら豆を出すのはちょっとおかしい。何とも気楽な経営であることだ。
もちろん客にはそんなことは関係ない。夢中で、無限に豆を味わっている。
「ええけど、酒も飲んでね。」
「あ、失礼。つい、つい、な。お酒もいただくとも。」
酒器も、同じような、こちらは色付きの陶器。花結晶とは京都清水焼のいち手法で、釉薬が結晶化して花のようなキラキラ模様を器に咲かせたキレイなものだ。まったく同じ模様は世に2つ無いので、選び手のセンスも問われる。
「マーチン殿、この器も涼やかで美しくて良いな。しかし、この男とは来る方向が同じなだけで、特別に親しいわけでもないのでお揃いのように出されるのはなんだかイヤだぞ。」
「狂狼殿は手厳しいぜ。でもオレも同意見だ。つっても?器で味が変わるわけでもないし、いいけどさ。」
「いいや、変わるで?」
「味が?」
「マ?」
「お酒は、酔鯨。メインは鰹。となれば器も、イメージは海。イザベッラさんのの青はまさに海原のような、ルドウィクの琥珀色に灰青結晶のは夕日の海みたいな……」
「?……始めた説明を面倒がって打ち切らないでくれよ。言いたいらしいことは大体わかるけどさ。」
「わかる、わかるぞ。確かにこれは、あの美しい海を思わせる。海を眺めながらの食事は格別だった…そういうことだな。ならばマーチン殿、乾杯だ!
……うぅむ、私が飲んだ中では、イシヅチよりもケンビシに近いな。タマノヒカリとの中間くらいかな。食べ物と合わせたほうがウマいやつだ。そうだろう?」
「さすが、イザベッラさんは目利きが達者やな。酔鯨にも山ほどの種類があるけど、今回のはスタンダードタイプやしな、伝統派のお味やね。
ではこちら、お待ちどうの鰹の刺身とタタキ。刺身はわさび醤油ないし生姜醤油で、邪道としてはマヨネーズをつけるアレンジもあり。タタキは、薬味とポン酢。本場ではニンニクスライスがどちらにも欠かせないらしいんで、お好みで、お好きなように。」
*
「おお、魚の肉も虹色に輝いているな。これは?」
「あぁ、イリデッセンス現象?っていうらしい。いい刃物でスパッと切ると魚の脂がすごく反射してピカピカになるんやって。」
「皿の結晶模様?は隠れてしまったが、そのぶんまで肉が輝くわけか。まさに多重奏だな。ヒラサワの重厚な調べにふさわしい。
じゃあ、オレは、レアステーキからいただこう。…ところで、オレはステーキは塩で食べる派なんだが?」
「ぬ……まずは基本で食べてみ。飽きてきたら味変でやってみたらええわ。」
「ならば私は刺身から。
おお、柔らかい、とろけるようだ。…そうだ、味で思い出した。この魚は煮たり焼いたりするとめちゃめちゃ硬くなる、あの魚だろう。子供のころ、アゴが疲れて困ったものだ! 生で食べればよかったとは…。」
「ステーキ…タタキもウマいぞ! オレは祭りが済んでしばらくのんびりだから、もうニンニクがウマいのなんの。狂狼殿はなんだかんだずっと仕事でニンニクは控えなきゃだろ、災難だな。」
「うッ、臭! マーチン殿、やはり皿は別けてくれないか。」
「まぁ、まぁ。大皿に大きく盛るのも視覚的ごちそうの条件やから。俺も、どちらかというとニンニク苦手なんでダブルニンニクパーティーになったら なんか なぁーて思てたところや。控えめでいいよ。」
「あ、ああ。それなら(残念だが)控えるよ。…それは?」
「これは、刺身では外した血合い部分をつみれにして、生姜を利かせた汁物にしてる。あと、鰹の尻尾の方のレアカツ。かぼすを絞って、ソースか醤油で食べるとタタキともまた違って旨い。まずは熱いうちにひと口、その後は、まぁごゆっくり。」
今日は予告なしで開かれたカツオパーティー。赤身魚ならではの鉄っぽさも、戦士や金管・鉄笛の奏者には慣れ親しんだ味。これがまた、酒に合う、合う。
4月の初鰹は脂がそれほど多くないが、そのぶん弾ける肉感が充実して、たまらない。
タタキにもタマネギスライス、ネギ、みょうがなど薬味をたっぷり乗せてポン酢をかけて、大口を開けてひと呑み。レアカツはウスターソースをかけて、レタスで巻いてガブリ、ザクリ。
しっかり味わって飲み込んだら、〝酔鯨〟が追いかけて、胃から頭にキューッとした何かが登って、脳に花を咲かせる。世界の彩度が上がる。
「あら、もうみなになりそうか。まだ食べる? …じゃあ、せっかくのカツオ尽くしなんで、鰹節たっぷりのお好み焼きか、シンプルに鰹節ご飯か…」
「「両方!」」
「えっ、お好み焼き定食を? 通やね、ならばそうしてあげよう。」
*
そして夜は更けて、満ち足りた空気が漂う。食卓はきれいに片付いた。
あまり酒に強くもないイザベッラはニッコニコと満面の笑みで頬を赤々とさせて、しかしピシッと背が伸びたきれいな姿勢で座って、先ほどから無言。時々、含み笑いのような息が漏れているので、生きていることがわかる。
「ごちそうさま、オレはそろそろ引き上げるよ、お勘定。」
「待てルドウィク。この娘はどうする。」
「娘、ってか。帰れなさそうならどこかに転がしておいてやったらいいんじゃ? ヨランタちゃんも住まわしてやってんだろ? ひとり増えたって。」
「アホか、ぜんぜん変わるわ。アンタはアンタでものっそいニンニク臭いし。お勘定は、金貨百万枚!」
「ツケにしといてくれ、じゃあ、また!」
「こら、横着者! あー、あー、あー。もう。
……ヒラサワは静かな曲もええなぁ(現実逃避)」




