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新年祭に出かけた日の夜、元日本人・新ユメがこっそり来店。
ご希望は〝軽い青野菜〟だったので、アスパラの焼いたんに決定。突き出しは、遠からず近からず、の長芋の短冊。
(あぁ、生卵に醤油のハーモニー。それを山芋のシャキシャキと粘りけが広げて空間を埋めて、わさびが味を引き締めて、さらに鰹節と海苔の旨味の暴力…。こんなにシンプルなのにこんなにゴージャス…。)
そこに、お酒〝19 Gattolibero(野良猫)〟。フルーティで澄み渡った酸味と甘味が、味の余韻を倍にも3倍にもふくらませる。新酒の生酒ならではのアルコールの荒さも〝野良猫〟の銘に似合って好ましい。
「おいしい…。日本酒の飲み納めがコレで良かった。」
「あ、もう帰国すんのん?」
「そう。滞在をかなり伸ばしてもらったけど、そもそもこのお祭りに参加するのが仕事だったからね。お国には子供も旦那も待たせてるから、もう帰らなきゃ。」
「むむむ。結局、もうひとりのユメさんには会えへんかったか。残念やね。」
「いやぁ、彼女には彼女の人生があるよ。こっちのことを忘れられるなら、無理に関わり続けないほうがいいと思う。」
現在、令和日本の青森に住む旧ユメとのメールでの交信は、マーチンのスマホを通して何往復かに及んでいた。旧ユメは、ぜひ新ユメに会って話をしたいと返信を寄越してきていたが、地元で働き始めたばかりの本人の都合が合わず、こちらの新ユメもこうやってイレギュラーな空き間に強引にサボるほか時間が取れないので、とうとう会えないままだった。
「タイミングが合わないってのは、無理に会わないほうがいいって神様が言ってるってことでしょ」と新ユメはにべもない。
旧ユメの方も、どこか「日本住みを替われ」と言われないか恐れているふうでもあったので、新ユメが遠慮したこともあるのだろう。
「そんなもんかね。ドライやなぁ。」
「私だって、この世界にいい思い出ばかりじゃないし。」
「アスパラは、オリーブオイルで焼いてバターで味付け、で問題ないかね。」
「急に話題変えるね。あ、今から焼くのか。ウン、それでお願い。
いやぁ、旦那の領地で作るバターとチーズが、細いけど味が濃いアスパラガスと相性バッチリなんだよ。マーチンさんにも食べさせてあげたい! でも、オリーブ産地の隣領と中が悪いせいで〝男はバターだ、植物油なんかオカマの飲み物だ〟とか言って使わせてもらえないんだよねぇ、オリーブオイル…。」
「それは……知らんがな。でも、魔都の肉食主義に似てるね。オリーブオイル、あるとこにはあるんか。それが政治や文化の問題で使えへんのは、辛い。」
「そう! そんな都合は知らないよ、って言ってやりたいんだけど、料理長も侍従もアンチオリーブでね…」
「苦労、したはるねぇ。」
「まぁ、それでも私は恵まれてると思うよ、今は。……帰った頃に家族が無事なんて保証がないこんな世の中だけど、だからこその家族愛もあるしね。でも、本当にどうしようもなくなったらマーチンさんを頼らせてもらっていいかな?」
「もし神様がいるんなら、そうはならんやろ。無駄な心配はやめとき。そしてアスパラの焼いたん、お待たせ。ここからバター醤油でもマヨでも、アジシオでもお出汁と鰹節でも、言うてもらったら対応できるんで、お好きに。」
「おぉ、これは、見事なアスパラガス。でもウチのだって負けてないから!」
「それはえぇから、おあがり。」
*
ユメのアスパラの味わい方は、まずシンプルに塩(マーチンは好かないやり方だが)。そして、こちら流に、酢。満を持して、マヨ醤油に鰹節。
シャキッとみずみずしい歯ざわり。はじける水分と旨味。醍醐味である茎の部分と、ホクホクして味の濃い穂先。
冬はずっと以前に終わっていて、いまが春であることを体の内側から心に叩き込んでくるような、無意識に口元がほころぶ、そんな感触だ。
塩だけでも新鮮素材の甘みを感じられるし、酢は日本人的には馴染みが微妙だが、これもアリ。マヨ醤油は自然の旨味を何倍にも広げて、その上に独自のマヨ世界を演出してくれる。
口を開けば余韻が逃げそうで、名残り惜しい。しかし、お酒が呼んでいる。キラキラと水面が揺れて手招きしている。この誘惑には打ち勝ち難い。
「あぁ……最高。」
「色っぽいね。おかわり、要る?」
「要る。あ、その瓶、ください。すごい可愛いから欲しい。」
「一升瓶やからなぁ。そうそう空き瓶にはならんで。ヤツが居ればともかく。」
「ヨランタ師匠、そんなに呑むの? だったら、早く来てもらわないと!」
*
「今度はマーチンが人妻を口説いている!」
またも、噂をすれば影。計ったように今度はヨランタが、玄関の戸を勢いよく開けて外から登場!
「あれ、外出してたん? いつの間に。」
「それよりマーチン、聞いて! 1人で外出できた! 暗くなってきてサングラスが無理になってきてから帰ってきた。でも、今日はお祝いだ!」
言われてみればグラサン姿のよし子さんモードだ。怪しい。思い返せば昼間の散策も2人してグラサンの怪しい男女だった、そりゃあ、絡まれないはずだ。
「ハイハイ、グラサン外して、お飲み。今日はユメさんのお別れ会なんで、よし子さんのお祝いは後でな。さ、早く酒器を選んで、駆けつけ三杯! 外出成功おめでとさん。」
「はいっ!? え、じゃあ備前焼で、あ、どうもイタダキマス。あっ、これはおいしい!」
「師匠、私からも三杯、どうぞ!」
「あ、そういう飲み方はマーチンが嫌っ…てない?の?」
「今日は許す。お祭りかつお祝いやからな。この瓶を空けちゃって持って帰りたい、らしい。」
「そうそう!」
空き瓶を持ち帰りたいがために内容物をヨランタの腹の中に捨てる、というような飲み方、本来は禁忌だが……
「あぁ、そう…でも、空き瓶だって店の外に持ち出したら消えちゃうんじゃ?」
「あ、それ。忘れてた。神様も根性悪やわぁ。」
「えっ? ダメなの? ファニーちゃんは〝殿方から花をもらった〟って宴席で大威張りで桜の盆栽を見せびらかしてたけど、アレってマーチンさんからじゃなかった?」
基本的なことを忘れていたマーチンに基本的なツッコミが入る。が、そこにまた面倒くさそうな指摘。
「それにしても異世界を全力で楽しんるよね、マーチンさん。十年以上ぶりに桜を見て、私は泣いちゃったのに。」
「そう見えるか? まぁキミらに比べればベタベタのかんたんモードなことは間違いないけど。俺かって結構悩んだり怖がったりしてるのよ。
あ、ヨランタさん、なに食べる?」
「マーチンは逃げることにためらいがない。そういうところ私は好きだよ。
…じゃあ、弟子が食べてる野菜で、肉といっしょに食べられるお料理で!」
「ん。じゃあ、アスパラの豚バラ巻き焼きにしてあげよう。突き出しも彼女とおんなじヤツで、ハイ。」
*
「ところで師匠。他の日本からの転移者の件だけどね、」
「あ、何か進展あった!?」
「え、何の話?」
「マーチンさん、以前ヨランタ師匠から、他の日本人について聞かれてたんだ。
確かに覚えはあったけど、昔のことでほとんど忘れてたの、昔の日記を見たら書いてあった。8年前だね、そりゃあ忘れるよ。」
「そんなん、持ち歩いてるの?」
「筆無精だからね、10年分でノート1冊分くらいだよ。で、ずっと東のカスピオイから来た老人がオサベ=ハルヒコと名乗ってサーベルの名手だった、私が聞いたときにはもう亡くなってて、そのサーベルを見せてもらったら錆びてたけど確かに日本刀っぽかった。ってだけね。
私自身も、今のフルワッカ国のどこにどうして転移してきたかはさっぱりわからないし。神様につれてこられたマーチンさんがこれだけ厚遇なら、私たちを連れてきたのは悪魔か、悪魔崇拝者の類だと思うね。〝別の神様〟って考えは、元日本人的には馴染みがあるけど今の私の立場では口が裂けても言えないから、悪魔。でもカスピオイはどこにあるのかわからないくらい遠いらしいし、あなた達の言う〝旧ゆめさん〟は、話を聞いたらフルワッカのすぐ近く、リュブラナに転移してたっていうから。調べるなら、あの辺がいいんじゃないかな。」
「ん~?」
「師匠?」
「あかん、ハイペースで呑ませすぎたかも知らん、その後も勝手にグビグビ飲んでるし。とりあえず俺がメモっとくわ。ヨランタさん、これ、料理な。」
「マーチン大好き!」
「あの、マーチンさん、私も実は転移者なことは秘密にしてるんで。できれば文字では残さないでいてくれると助かります。ベラちゃんにはバレてるけど、彼女は敵には回らないだろうから。」
「わからんで、あの娘。猊下ちゃんも信用はしきらんし。でもまぁ、文字にしないほうが良さそうなのは同意。けど俺、カタカナの名前を覚えるのは苦手。
とりあえずヨランタさんは、キミのお国周辺を調査するのがいい、って話やね。」
「そう、それで伝えてあげてください。
あ、もう酒瓶がカラだわ。すっごいペース。」
「いや、ヨランタさんが片口4つに注ぎ分けて確保してるだけや、いつのまにか。まったく、こういう悪知恵が……」
「じゃ、そういうことで、私は明日も早いですから。今回はどうもありがとうございました、帰ったら手紙を書きますね。」
「あぁ、そちらもお元気で。…ほら、ヨランタさんも。」
「あ~い。そのうち、マーチンといっしょに遊びに行くね。」
「いや、俺はよう行かんで。」
かくして、空き瓶を抱えたユメは去っていった。結局、瓶は消えてしまったが、それも泡沫の夢、一炊の幻。政治や神様の思惑は知らずとも夜は更けてまた新しい朝になる。
残った酒はマーチンもおいしく頂きました。
現地文化話は自分は楽しくて好きですが、書くのに必要なカロリーが高くて更新がなかなか大変です。
ひと通り必要なことは書いたから、しばらく現地話はいいや。と思いつつ、読んでくださる皆さんはいかがでしょうか。
(๑´ڡ`๑)




