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この街の新年の祝祭が開かれている。しかしマーチンは特別に何をする気もない、普段通り。
7日も続く祭りのうちの1日は、せがまれてヨランタと見物に出かけることになっている。物騒な街の人混みを歩くなら、ボディガードにもう2,3人は引き連れた方がいいのではないか、とは思ったが、考えてみれば意外にも、ヨランタと2人で歩いても道で悪人に絡まれたことがない。だったら安心だ、とマーチンは気楽なものだ。
この店のある界隈、丹噴町でも、なにやら浮かれてざわついたような空気が流れている。
ここはそもそも、魔都になる前のこの土地が水銀や朱色の元になる丹(辰砂)の産地であり、かつて錬金術師の聖地だった地域の中でも特に、水銀が湧く泉があったらしいことからの地名だ。
そういう非常にうさんくさい由来のエリアなので、魔都の中で比較的便利の良い場所でありながら今でも街の厄介者たちが集まる、治安の悪い界隈になっている。
「デートコースのエスコートは私にお任せですよ、マーチン。厄介者は近寄らせないから、大丈夫!」
「それが言えても、まだ外に一人は怖いんかね。」
「もうちょっと!あとちょっと! なので、今回のデエトには気合い入れていろいろ賭けてるんですよ、私☆」
「デエト、ねぇ…」
*
祭りは、大通りや広場に露店が出たり、大道芸人や吟遊詩人が技量を競ったり、パレードがあったり、そこかしこに花が飾り付けられて街が華やかになったりしている。
また、それらの客狙いのスリや拐かしや警備員が目を光らせていたり、冒険者とごろつきの喧嘩が賭け事になっていたりの猥雑な面もある。
「こっち、こっち! 庶民グルメのおいしいのがあるよ!」
「そいつはええけど。なんか、変な方に歩いてないか。」
「花街の方面だからね。お手軽で料理人の腕が確かなのはそういうトコなのよ。今日は昼から開いてるし、スペシャルメニューも出るから。」
「うーん、キミはどうしても後ろ暗い方向に足が向いてしまうのね。」
「それは、まあ、そう。回復魔法と呪術のお得意様でもあるしね。あ、久しぶりに桃缶の配達もやっていくから、ちょっとだけ付き合ってよね。エッチなお店のバックヤードに入れるよ、マーチン、嬉しくない?」
「あぁ、それはええね。楽しみ。」
「そこは〝そんなことないぜ、お前が一番さ〟とか言ってくれないと!」
「嘘は、よくない。」
*
ヨランタのお目当ては、昼から淫猥な熱気が漂う色街の華やかな細い通りから路地に入った先の狭い空間。高い建物に囲まれて空が狭く昼でも暗い一角。そこには申し訳程度の花飾りと魔導灯の明かりがあっても逃げ出したくなるような、6席ほどの屋台があった。
「おっちゃん、肉スープ麦粥の祭りスペシャルとシュナップス2人ぶん、あと何か気の利いたものを!」
「……」
先客は色っぽい恰好の女2人。こちらには注意を払わずおしゃべりに興じている。その横にどっかり座り、空いた席をマーチンに指差しながら慣れた感じで注文する。
こんなヤバそうなところにズカズカ足を踏み入れておいて、何のトラウマだ。と、マーチンなどは言ってやりたくもなるが、そういうのは人それぞれだ。
店主の老人は黙り込んだままこちらに目も向けず作業をしている。
「あのおっちゃんは、聞こえたら耳を動かして合図してくれるから大丈夫。こじらせた世捨て人感ではマーチンの先輩かな。
ここの麦粥は絶品なのよ。今は時間が半端だから空いてるけど、夜にはかなり混むし、かなり偉い人もお忍びで来るんだから。……(ほら、耳が動いてる)」
「ふぅん。」
そして出されたのは、豊かな香りのドロリとした乳白色のもの・麦粥。それに肉の大きな煮込みが乗った、祭りスペシャル版。
それと樽ジョッキの火酒・シュナップス。色はわからないが澄んでいる。アルコールと謎ハーブの香りがきついが、ある程度薄められているくらいの匂い。それより、本物の樽ジョッキにテンションが上がる。
あと、小皿に見たことがあるような、無いようなものが乗せられている。
「おぉ、これは旨い。ラム肉やからひょっとして、羊骨の出汁か。洋風も奥が深いな。野菜もよう効いてる。…そうか、溶かし込めばアイツラでも野菜食えるわな。
酒も、わざわざ軟水でうめてあるんと違うかな。なんか、肌に合う気がする。
小皿のは、完熟きゅうりのピクルスか。こっちではきゅうりは熟させる意味がないんで青いまま食べるけど、まぁ、肉の塊と酒にはありがたいね。」
「細かい感想をありがとう、おっちゃんもしっかり聞いてるみたい。
でもここはゆっくりするお店じゃないから、次行こうね。色っぽい女の子のお店。ま、私より美しい子はいないけど☆」
「キミのそういう自信だけはホンマに尊敬するわ。」
「オトメゴコロだよ、オトメゴコロ。その後も、いろいろあるからねっ!」
*
で、桃缶売りの後、2人で大道芸やパレードを見物して、夕刻には帰宅できた。途中、妙な道を曲がったり急に引き返したりもしたが、微妙に頼りない案内人の野生の勘の導きであったのだろう、拍子抜けなほど安全な道中で、ヨランタのドヤ顔が冴えわたる。
今日は店を休む気がなかったマーチンとしては、仕込みはしていないが自分のキッチンに入ってようやく今日が始まった気がする。
ヨランタも、なんだかんだでトラウマを克服しつつあるようだし、自分もこちら世界に少しずつ馴染みはじめている。結構なことじゃないか。自分に言い聞かせるように考えてみたが、どうにも違和感がある。
自分も、自分がどうしたいか、成り行きまかせ過ぎているんじゃないだろうか? 現状のシチュエーションで深く考えようもないが、みんな頑張っている間で自分が頑張ってないのは確かなことで。さてどないしたもんやら。
らしくないことをマーチンが考えているなか、さっそくに来客。お一人様、新ユメさんだ。
「儀式だの宴だの、ベラちゃんもファニーちゃんもヘロヘロげんなりで働いてたよ。私は、立場が正使じゃなくて副使だからね、抜けられた。
でも胃がヤバい。何か、軽ーい青野菜ものをください。」
「あぁ、今日は仕込みができてないんで、その注文は助かるね。えーっと、あ、旬のアスパラがあるわ。おひたす? 焼く? 豚肉巻きフライとか天ぷらとかは時間かかるよ、重いからいらんやろうけど。」
「おーっ、アスパラガス、懐かしい! じゃあね、じゃあね、…〝焼き〟で!」
「渋いね。それに、助かる。突き出しも胃に優しいものにしてあげよう。長芋を短冊に切ったやつでもええ?」
「最高だね。せっかくだから、お酒もお願いします。」
「大丈夫か? じゃあ……いや、ここで度数低いめとかはつまらんな。ちょっとお祭りっぽいやつ…じゃ、これ。〝19 Gattolibero(野良猫)〟で、どうえ?」
「かわいい! ねこちゃん!ねこちゃんの絵、かわいい! 」
「うん。長野の女性杜氏の酒でね。永遠の19歳なお酒らしい。じゃ、これでね。酒器は、何にする?って、キミには言ったっけ?」
「あ、最初に聞いてる。じゃ、今日はもう、シンプルなこれで。」
「白の素焼きの盃と瓶子ね。あれ、こんなん混ぜてたかな。神棚に置くような。まぁ、ええか。」
「はい、こちら19。それと突き出し、長芋を生で短冊に切ってお出汁かけてわさびつけて鰹節と海苔ふりかけて卵の黄身乗せたん。混ぜて食べて。」
「ありがとう……ところでマーチンさん、ヨランタ師匠は?」
「ん? そういえば、どこ行ったんやろ。奥に引っ込んでて…」
「あーっ!いや、いいです! お祭りの浮かれた雰囲気のなか、仕込みもせずに朝から2人は…」
「アスパラとイモリの黒焼がご所望かな。」
「絶対ダメ! 謝りますからそれだけは勘弁して。アスパラガスは思い出の味なんです!」
「ふぅん。」
「どうでもいいって顔してるね。アスパラガスは私がいま住んでる国でも作ってて、旦那との出会いの味なんですよ。
マーチンさんが皮剥いてるそれほど太くない、細くて硬いヤツだけど、絶対に冗談にされたくないの!」
「せやったら、わざわざウチで頼まんでも。」
「魔都料理の肉々攻めに心を折られて、里心がついちゃった。ベッラちゃんの苦労が偲ばれるね。
それより、突き出しからいただきます。」
「ん、おあがりやす。」




