(1)
「あったかいねぇー。」
「春やなぁ。」
「春よねぇー。」
「眠い。ふぁ…」
ぽかぽかとした春先の陽気のなか、2人は店先に椅子とこの国風のチェス盤を出してきて、パチパチと鳴らしている。
勝負、というよりは退屈つぶしの具であって、ヨランタもコマの動かし方程度しか知らないし、マーチンも一手ごと教えてもらいつつのゲームだ。時折、通行人が盤面を覗いていくが、素人以前の駒配置を見るや眉をしかめて去っていく。
「こんなにええ陽気の日に働いてられるかいな」というマーチンの発案で、ヨランタも軒先から離れずに、一緒にいるぶんには外であってもリラックスできているようだ。
言い出したのはマーチンだが、日課の仕込みをサボる口実であって勝負にはまるで無頓着。対するヨランタはすぐにムキになる性分だが、いかんせん細かいルールを知らないので、ボロを出さないことを最優先にしている。
ちなみに、盤はヨランタが好きに動けている間に何処かから拾ってきて、そのままにしていたものだという。なかなかに上等物なので、きっとなにか言えない謂れがあるのだろう。
眠たくしょぼつく目に、チェスの駒を動かすヨランタの細い指が映る。キレイで頼りない、苦労知らずの手に見える。肌荒れや傷などは逐一魔法で癒やしているのだろう。この手が血まみれになっていたあのときの様子を思い返せば、その生命力に感心するような、なんだかいたたまれなくなるような。
つい視線を外した、その先に赤い唇、白磁のように白い歯。ちょっとドキリとして、若干の後ろめたさも胸を刺す。ロクに殴られたこともない、虫歯も、肩こりひとつない人生を送っている彼には、彼女の痛みも恐怖も想像すらできない。
その加虐の責任者である美女、先日、デート?をしたイザベッラのことにも意識が回る。
彼女のことは、普通に恐ろしい。〝ヨランタ奪取のための聖堂爆破事件の犯人グループ〟という括りならマーチンにも武器供与の責任があるので、いきなり逮捕・拷問されかねない。余計なことは言わないように、実はいつも、かなりヒヤヒヤしながら接しているのだ。
とはいえ、嫌う、という気にもなれない。動機は曖昧だが、好かれているらしいとなれば邪険にするのもかわいそうではないか?
最初のうちこそ、使徒だの、婿になれだの言ってきて正気を疑ったが、きっと、アレだ。冗談でも繰り返し言っているうちに、自分でもちょっとその気になってきて、しまいには最初からそうだった気分になってる、思い込みの激しい人にありがちなやつだ。
とにかく怒らせないように、無難に、現状維持。それに限る。
*
「寝るくらいなら、なにか楽しいことしようよぅ。」
「なにっ、寝るより楽しいことぉ? そんなものはなぁ、…
…あ、ヨランタさんって大主教猊下ちゃんに電話できんのやろ。以前、ヤツのお寺の庭に遊びに行く予約を入れてたんやった。ピクニック宴会しよう。今から行ってええか聞いてくれや。」
「えーっ。」
「酒と、ちょっとした料理は持参するから、ちょっとしてない料理はそっちで用意してくれ、って言うてくれへん?」
「お、なにかアイデアがあるのね。電話がなにか知らないけど、聞いてみましょう。ゴニョゴニョ。ムニャムニャ。……あ、あー。」
{猊下ちゃん、ファニー猊下ちゃん。申し、申し。いま、どう?}
{(…ライラする、腹立つ!ムカつく!どいつもこいつもわらわを貶めることばかり熱心に働きおって! なんじゃ、貴様)…む、む?おぅ。ヨラ犬か。ちょうどいい、わらわの愚痴に付き合え!}
{それは後で付き合ったげるけども。マーチンがそっちのお庭に遊びに行きたいって言ってるけど、大丈夫?}
{(腹立たしい!)いつ?(えっ、どうしよう★)}
{今日、いまから(大好きなマーチンが☆)。}
{今!? (準備しなくちゃ★)せめて(あいつ、どう処刑してやろう)夕方くらいまで待て。(急いで手入れを!)}
{聞いてみる。}
「マーチン、夕方にしろって。」
「ええのんちゃうか。春宵一刻、値千金。今頃の夕刻のぬるい気温も心地良いよね。
あ、そう、ユリアンども一党の祝勝会も伸び伸びで、まだやってなかった。猊下ちゃんにも関係ない話でなし、一緒に招いてもらおうぜ。」
「ふぇー。」{…って、ことだけど?}
{良かろう。(あのクソどもッ!)肉と甘味はこちらで用意しよう、(うわあっ、楽しみ★)マーチンには珍しい花を所望するぞ。}
「…と、いうことだって。この通信、心の奥の感情が混じりすぎて改良の余地が大きいね。どうしたものだろう?」
*
ヨランタが手をヒラヒラ、謎のアクションをしてブツブツ唸って、次はユリアンたちと交信しているらしい。
呪いを交わした相手とは通話できる、と言っていたが、ヨランタの回復魔法にはいくらか呪術が混ざっているので、それを何度もかけた相手とは同様の通信ができるらしい。
「彼らは今朝まで仕事してて、ちょうど休みにしたところだから予定バッチリだって! さすがマーチン、タイミングいいねぇ!」
「おぉ、そりゃいいなぁ。じゃあ、店の食べ物は持ち出せへんけど、現地素材ならできるんとちがうか。ということで、市場に材料買いに行こう。
花見団子用に現地小麦粉と色のための現地ハーブ、あと適当な現地肉を缶のカレー粉やケチャップ炒めにして持参することにしよう。
よし子さん、案内と交渉は頼むで。」
「アイ!アイ!」
そして、買い物完了。
「思ったよりスムーズやったな。これなら、時々やってもええかも。
まずは、お花見に欠かせない花見団子。もち米はやっぱりなかったから、すいとんというか、九州の団子汁のだごみたいな感じになるかな。なれば幸い。
赤色は、ベニバナみたいなんがあったから着けられるやろ。緑色はヨモギっぽいので、出るかな? ひょっとしたら、こっち素材でアブサン酒が造れるかもね。」
「ひたすら、こねればいいのね。」
「その小さいお手々と軽い体じゃ限界があるやろけどな、こっちの仕込みが済むまで頼むわ。」
「まかせなさい!」
「あとは、謎肉をカレー炒めに。」
「謎じゃないし。猿ヤギの背肉、上等の生肉がたまたま買えるなんてラッキーなんだから。」
「そうかね。元の姿を知らんし、知りたくもない名前やからなぁ。先、ひと口、塩で焼いて味見してみよう。こっちのチーズも軽く炙って。」
「私も!」
「うん、脂が獣臭い! 赤身が硬い! いや、野趣の範囲内かな。でもカレー粉の出番やな。チーズも…うわぁ。どっしり系の酒が欲しいね。」
「えー。お肉も、チーズもこういうものじゃないの? 硬いのは、いつものお肉ほど薄切りじゃないからだよ、たぶん。じゅうぶん、上等だよ。」
「いや、ヨランタさんのお肉なら厚切りの赤身も柔らかそう。ちょっと赤身不足やけど。」
「え?……私?の、お肉?」
「冗談や。何でも肉質が気になるのは料理人あるあるやね。はい、小麦粉こねて!」
「がんばりますっ!」
「せや、小麦団子増やして生ショートパスタ・ケチャップ炒めにして付け合わせにしよう。チーズの臭みも、それならよく合うはず。」
*
ヨランタがあっという間に精根尽き果て、マーチンに交代した団子とパスタ打ちが出来上がる頃、呼んでいたユリアンたちのパーティー〝アポスタータ〟の面々がやってきた。
「あー、来たか。お疲れさん。」
「なんだ、こねるの、彼らに任せたら良かったんじゃん!」
「いやぁ、偉い女の人の口に入るかも知れんもんやから。なんか脂汗とか混じらせたくないし。
あとはもう仕上げるだけやから、ちょっとお待ち。」
「おーッス、大将!」と、景気よく一番に入ってきたレナータが、入口近くに飾られた大皿の破片の作品を見て、固まる。
「キミらに弁償は要求せぇへんよ、さすがに。」
「お、おぉ、助かる。で、祝勝会を、よりによって聖堂で?」
一応、パーティー代表のユリアンが額に一瞬で湧いた汗を拭って、露骨な安心と、警戒を隠さない声で応える。
「まぁ、キミらもヨランタさんも、言ってみれば大主教ちゃん派になるわけやろ? 深入りはせんでも、ちょっと観光させてもらうくらいは問題あるまい。それと、ちょっとした荷物運びをお願いしたい。」
荷物とは、缶の飲料。以前からマーチンが探していた、缶の日本酒だ。
銘柄は、京都伏見の新しい銘柄〝十石〟。缶に詰めているのは酒蔵とは別のメーカーだが、伏見の酒がいろいろ集められて、1合(180ml)入りの缶にして売られている。
その中でマーチンが気に入った〝十石〟を20本ほど仕入れていて、これを持ち出そうという算段だ。
「なァるほど、缶詰かい、こりゃいいや。」
缶詰解禁の際に居合わせた紅?一点・レナータが嬉しげに反応する。
「よっし、料理もでけた。味の保証はないけどな。ま、向こうさんにもなにかあるやろ。じゃあ、行こうか。」




