挿話 異世界料理と異世界ワイン
マーチンはこちらの世界でほとんど外出しない。
外で襲われたことがあるわけではない、だが、なんとなーく嫌な視線を感じる、ということはあるもので、こちらに来て間もないには多少のやる気もあったものだが、すっかり出不精になってしまっている。
幸いにも、タチの悪い客が店に入ってくることもなく、なんとか無事に過ごせている。強いていえば、ヨランタとイザベッラが最もタチが悪い。
先日、ヨランタの服を買うために連れ立ったのがいちばんの遠出になったが、その場では特に何の問題も起きなかったので、少々思い直して気を大きくしていたりは、する。
このとき、ヨランタの客観的な只者でなさは考慮できていない。ただ、彼にとっての魔都が〝危険地帯〟から〝人間の生活区域〟に変わった契機ではあった。
そこで、誘われたセレブ区域案内ツアー。普通に断る理由がなく、ノコノコと同意したが。その前日、
「なぁヨランタさん、ここの料理って、ドラゴンの尻尾ステーキとか豚鬼肉の丸焼きとか、あんのん?」
「魔獣肉は市中に出回らないよ。重いのをダンジョンから持って帰っても、骨や皮のほうが高く売れるしね。市場で売ってる魔獣肉は巡礼観光客向けのオオトカゲや猪肉だね。
冒険者はダンジョンで魔獣肉を食べなきゃならない事態もあるけど、危険を冒してのんびり料理なんてできないから。気合で食べる肉ね。」
「つまらんの。この世界は単純ロマンに欠ける。」
「のどかな暇人の夢のために私たち生きてるわけじゃないもの。
それに、私がニホン暮らしにロマンを感じるみたいに、マーチンだってこっちを知ればコッチなりのロマンを感じられるって!」
「もっと、シンプルでええんやけどもなぁ。」
*
そして当日、並の男より背丈も肩幅もでかい美女が花柄フリルひらひらピンク膝上丈ワンピモードになったイザベッラを右に、細目の中背巨乳美女ユメは目立たない上質シックな装いで左に。
挟まれた男はおじさんカジュアルジャケットに妙な柄物シャツを合わせた恰好で連行された。
視察デートは、はじめはなごやかに。
名目上はユメの視察に護衛のイザベッラ、アドバイザー役のマーチンがついて回るということになっているが、ユメはなるべく3歩離れて存在感を消している。
イザベッラが赤面して大汗かきつつ、たとたどしくも話をリードしていこうと気負って、しかしマーチンは物珍しくあちらこちらキョロキョロして、あまり話は聞いていないという調子。悪い雰囲気ではない。
当初の予定では小物売りや布地屋中心に回るつもりだったらしいが、マーチンのリクエストで食料品、乾物、調味料を見て回ることに。
日本ではあまり見ないハーブ、そもそもありえないような人の手の平型の干しキノコ、無造作に積まれた青い岩塩など……
「俺は、超楽しいけど。キミら、ひょっとしてすごく退屈?」
「そ、そんなことはないさ! マーチン殿が楽しむ姿を見るのは私も嬉しいものだぞ! そう、そうだ!あちらに屋台がある、アレも乙なものだと思う!」
「お、おう。ユメさんはどこやら行かはった?」
「え!? あ! あそこにいる、大丈夫だ、心配ない、行こう、あそこはちょっとオススメなんだ!」
無理気味に引っ張られて訪れた屋台で売られていたのは、硬いパンを器にしたものに盛られた、ドロリとした何か。その上に、干し草を砕いたらしいものが山盛りに振りかけられている。
「車輪豆にノコギリ薔薇草ハーブのスープだ。器のパンは、腹が減っていたら食べてもいいが旨いものではない。食べ終わったら、その辺に置いておけばいい。施餓鬼みたいなものさ。」
ふぅん。マーチンはしばらく眺めて、匂いを確かめる。周囲に漂う、豆と屑肉の混じったまったりした匂いの中にハーブの鮮烈でどこか甘い香りが和食にはない新鮮な印象だ。
他の客が、食べ終わった器を後方にポイと投げ捨てる。瞬間、どこからともなく走ってきた汚い子供たちがさながらビーチフラッグのように器のパンに群がり、勝者は戦利品を懐に押し込んで文字通り脱兎のごとく駆け去る。なるほど、貧しいガキへの施しでもあるのか。日本の公園の鳩や鴨よりも楽しそうだ。
「あ、匙はコレな。」と渡された木のスプーンで、まず一口。
悪くない、いや、旨い。ネットリ感がスープの概念を揺さぶるが、「魔都は他所よりマシだが、水は貴重だからな、これでも比較的にはスープさ。あ、白ワインにも合うぞ。ずいぶん薄いし、味は保証しないが、市場じゃぁマシなやつだ。」
塩味に豆味とうっすら肉味、どことなく燻製風味にハーブの香りの濃淡。イザベッラは最初からよくかき混ぜてハーブを均一にしている。マーチンはよく混ぜるべきものもあまり混ぜない派だ。ワインは喉越しがザラリとしていて味も薄いが、料理との引き立てあい具合は上々。
「車輪豆は、クセがない普通の豆でね。鞘がキレイな輪っかになるので、そう呼ばれてる。聖典でも祝福されていて、修行僧も毎日食べる。合わせるノコギリ薔薇草ハーブは、ここのオリジナルさ。ありふれた草だが、薔薇の花っぽい香りがするだろう。これもひと工夫いるのだが、なかなかのものだろ?」
「このハーブは買えるん?」
「売り物ではないが、私が口を利けば売ってくれるだろう。いや、売らせる。」
「そういうのは、ちょっと。暴力沙汰はナシで。」
食べ終えたマーチンが、すこし柔らかくなった器を平たく潰して、物陰に隠れながらソワソワ顔をのぞかせている小汚い女の子に向かってフリスビーの要領で投げてやる、と、四方から子供らがまた湧いて出てやっぱり奪い合いになった。
*
「偉いさんの視察向きではない市場とちゃうん?」
「コラ! お前ら、弱い子にも分けてやれよ! …お恥ずかしいが、ここでも市場としては世界的に上等な方だよ。次は高級商業地に行こう。
マーチン殿のお国は立派なところなのだろうな、タイガイと言われてしまえば恥じ入るばかりだ。良い知恵があれば、是非にもお借りしたい。
例のシュテファニエ猊下のおやつ3日分の金であの孤児ども皆が半年、毎日満腹できるはずなのだが…」
「わらわの悪口が聞こえたぞよ! このファニー大主教の耳を甘く見てはならぬ!
やや、花柄狂狼、これは面白くめかしこんだものよ。しかし、安っぽいぞ。なぜ先にわらわに相談に来ぬ?」
「な、なぜ猊下が、ここに? …カヤ、貴様、裏切ったか!?」
「申し訳ありませんイザベッラ殿、大主教猊下に命じられては、いかんともしがたく!」
「〝殿〟だと?」
朝のピークは過ぎていてもまだ賑わいを見せるカタギ市場に、きらきらしく着飾った大主教ちゃんが、これも美しいロバに乗って登場。
ロバを引くのは騎士イザベッラの従士だったカヤ。場所の心当たりをチクったのも、おそらく彼女だ。以前は〝姫様〟呼びだった尊称が〝殿〟呼びなのがいぶかしい。
「ムッフフ、イザベッラよ、ここなカヤめにはS.G.G.K.(Super GANBARI Guard Kinght)の位を授けたので、今はウヌと同格よ。悔しければ、今までの所業を悔いてわらわの下に就くことだな!」
「馬鹿な。いや、カヤの出世はめでたい。その手段はともかく、後ほど祝いの品を届けさせよう。それより猊下、なぜ……」
「ヨランタが密告してくれたのよ。この呪法はすごいぞ、世界を変えるぞ。この術法を解き明かす功績を上げればわらわもきっと、王宮に返り咲ける!」
「あぁー、ハイハイ。犬から戻れたなら、結構。大皿の弁償しにきてくれたんやね。」
「あ! それは、その、まだ…イザベッラ、立て替えて★」
「へ!? あ、あのシノワの、うぅっ、マーチン殿、私の体で」
「「「 えぇっ!! 」」」
「いや、この仕事は実入りはあるが支出もトントンで多くて、不意の支出ができないんだ。私の働きで、皿洗いとか掃除とか、何年かかるかわからないが、……」
ケンカっ早い2人が一言で黙ってくれたので、遠くで様子をうかがっていたユメを呼び寄せて次の目的地へ。
*
「それで、それで!??」
「あとは、ヨランタさんとも行った服屋で俺用のこっちの服を仕立てて貰うて、上等の飯屋で飯を食って、お土産もそこで買うて、ずーっと猊下ちゃんがニヤニヤしながらついてくるんで何かシラけたから現地解散。一応、カヤさんがここまで送ってくれたから問題なく済んだ。そんだけ。
あの猊下ちゃんを呼んでくれたんは結果的にはありがたかったけど、ああいう面倒でリスキーなのは避けてほしいな。」
服屋でイザベッラ向けとユメ向けに小物を買ってあげたことについては黙秘。ヨランタにも同じくらいだがもっと気に入ったものを買っていたが、なんだか嫌な感じがしたので、いまは無かったことに。
「上等レストランでは、何を?」
「あぁ、なにやら、秘蔵のドラゴン肉があって、干し肉やけどドラゴン油に漬ければいつでも新鮮な肉に戻るからステーキで、って言われたけど胡散臭いから普通に雉肉にしてもろうた。
雉も、日本にも居るヤツやけど、初めて食べた。うまかった。この辺で買えるならぜひ仕入れたいね。」
「んー、そのドラゴン肉は惜しいことをしたかもしれないね。話だけじゃわからないけど。いつか、私が、食べさせてあげるよ。ムフフ。」
「いや、一般に売れへんようなもんは興味ないし。程々のモンを、普通に旨く、な。」
「ふぅん。お店ってのも難しいね。…でも、仕入れたいものは私に相談してよね。」
「急に、変な殺気を放たんでくれるか。」
「ダメ。これはマーチンじゃない私たちの戦いだから。ここからが、真の!」
「また、縁起の悪いことを言わんでくれるか。揉め事抜きのほんわかスローライフでお願い。頼むでホンマ。」




