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新ゆめたちの使節団は、この国の新年祭にあたる春分の儀式に参加してから帰国の途につくという。
当初はその面倒を避けるべく予定を早めて到着し、さっさと帰国するつもりだったゆめだが、ここに来て本人がヨランタに弟子入りして技術を磨くと言い張るので、他のメンバーも足止め。思い思いに羽根を伸ばす時間がとれて歓迎されている向きもある。
そのゆめの思いつきから〝イザベッラを着飾らせてデートさせる大作戦〟が立案されている。
お節介おばちゃんという年齢ではまだないながらも、マーチンたちの大体の事情は察しているゆめ。ヨランタとは師弟の義理もあるが、気心知れた友となったイザベッラへの情もある。
当のイザベッラは以前にマーチンの店を訪れてから、心の牙が抜けて精彩を欠いてしまっているらしい。
ゆめはその件の時に居合わせていないので前後の変化は知らないが、今の妙に丸くなっているというイザベッラには好印象を持っている。
数日、付き合いを深めてから、マーチンの店からの帰り道、酒がいい感じに入っているときに本人に聞いてみた。
原因は、ハリハリ鍋であるとのこと。ゆめは知らない料理だが、鍋料理ならば大体の見当はつく。
寒い冬。温かい鍋を皆で囲んで。同じ鍋から同じ料理を分け合って、家族でおいしいねと笑いながら今日のことを話して、いつもより上機嫌で。あの店ならコタツは無いだろうが、湯気で頬と鼻を赤くして、寒さを忘れるくらい暖まって。
転移よりずっと幼い頃の自分の原風景を思い出して想像して、その場に居合わせられなかったことに、ゆめは軽い嫉妬さえ覚える。
その家族を幻視するような風景にイザベッラは心癒されるものを感じ、しかも当の娘役を散々に痛めつけた責任者が自分であること、その正当性を神に直接否定されたことで自信を失ってしまった、らしい。
そして、…酒に酔ってあやふやだが、〆の頃に「キミが三十になったら結婚を申し込みたい」とマーチンに言われた記憶が確かにある。らしい。あやふやなのか、確かなのかどっちだ。いや、絶対、聞き違えの思い込みだとゆめは思うが、しかし可愛らしいじゃないか。
冷酷無残の三ツ首狂狼、水の代わりに悪人の涙と血をすすって生きる怪物、と故国にまで名を響かせた女の。初々しい乙女な一面を見せられては、師匠・ヨランタには悪いが、協力しないではいられないじゃないか。
*
そう意気込んで、まずはイザベッラのいない間にマーチンに相談を持ちかける、ゆめ。
営業前の店内には糠水の煮える不思議な匂いが漂っている。
「ユメさんの視察仕事にかこつけて。あのイザベラさんに女装させて。市場やレストランや服屋を一緒に見て回る、それに理由もなく俺もついて回れ、と。
頭、大丈夫か。それに、これからしばらく、朝から昼間は筍を煮るのに忙しい。」
「あんなスタイル抜群で性格も可愛らしい外人美女から勝手に好きになってもらって何が不満だというのよ。」
「えぐい人殺しやんけ。俺も、あわやしょっぴかれそうになってどれだけ怖かったことか。」
「そ、それは、アレだよ。過去じゃなくて今を見てあげなきゃ!
それより、えーっと、こっちの世界も、イイ所はなかなか悪くないところをマーチンさんにも知らしめたい。ので、つべこべ言わずに、来い。」
「…言うほど過去でもないわ、つい この間の話やで、たぶん。……いきなりキレるのは旧ユメさんと一緒か。怖いわ。
しょうがないな、参加させていただきますわ。こっち料理には興味あるし。…俺、結構ビビりやねんで。」
そんな、だらしなくも屈服したマーチンの袖を後ろから引く手がある。
「ねぇ、黙って聞いてたけど、その間私はどうしてたらいいの?」
「え、留守番。」
「順番ですよ、順番。ヨランタ師匠は四六時中マーチンさんに引っ付いてるんだから、ここらで一回お休み。その後なら相談に乗ってもいいよ。
じゃあ、こちらにも用意があるから、また明日! マーチンさん、そちらもちょっといい服を選んできてね!」
言いたいことを言って去っていくゆめを見送って、脅されて安請け合いしたは仕方ないとして、途方に暮れながら思案に暮れるマーチン。
いっぽう、不機嫌の極みのヨランタ。
ムクレきってはいるが、ただ、拗ねてみせるのは下策であることはわかっている。自分からのアクションが取れなくなるからだ。多少は腹に据えかねても、自分の都合を押し付けていくスタイルでありたい。
「だったらマーチン! 私とはその後で春分の新年祭を一緒に回ってください。」
「何が、だったら、や。ダメとは言わんけど、いつまでも遊んでて大丈夫なんかいな。金はちょっとやそっとで無くならんくらいあるとしても、さ。」
「そんなに心配なら養ってくれたらいいじゃん。一生。」
「おかしいな、今日はまだ酒飲ませてへんのに。ゆうべの酒がまだ残ってんのか?」
「シラフですぅー。とにかく! お祭りは予約したからね。ところで!
さっきから何を煮ているの。なんだかとんでもなくユニークな匂い。」
「あ、ようやっとこっちに触れてくれたか。これはね、筍の下茹で。
水に米ぬかを入れて小一時間、ひたすら茹でてアク抜きすんの。煮炊きする料理はそれから。あ、料理に糠の匂いは残らんよ。」
「あ、それなら安心。」
「筍も、結構何にでも使える食材やけどね。中華炒め物とかにはパックのやつで問題ない。でも和食の煮物には新鮮な旬のヤツが欲しい。俺としては筍の姫皮が好きなんで、このためにはどうしても自分で茹でなくちゃいけない。」
「うーむ、食べてみないと何ともいえないね。これは、野菜? 何の仲間かしら。ゴボウ?レンコン?ショウガ…ヤマイモ…」
「竹は、竹。草の新芽のようでもあり、木の根のようでもあり。味は…強いていえば、ヤングコーンはちょっと近いか? でも、それもこっちにはあるまい。
茹で上がっても自然に冷めるまで放置やから、食べるのは夜か、明日になるで。待っててもしょうがないから、どっかで時間つぶしてきたら?」
「その間、マーチンは?」
「ただ、見てる。ええねん、俺はこれが好きでやってんねん。」
「ほな、私も見てる。」
「エセ関西弁はやめてね。」
*
「おぉーっ、これが、タケノコ? キレイなものだね。これを、どう料理して食べるのかな?」
すでに夕方になっている。途中まで鍋を見ていたヨランタはいつの間にか眠ってしまって、目を覚ましたときには筍は皮が剝かれ美しく整えられていた。
「キミ、油断しすぎやで。寝言で犬になってたし。」
「うそっ! あっ、そんな夢を見てた気もする。私、ナニ言ってた!?」
「ワンワンって。」
「あー、それなら大丈?夫。大丈夫。」
「大丈夫ちがう。机、拭いときね。」
「ひぇっ、よだれ! うぅ、もうちょっと気をつけます。」
「筍は、まずワカメと煮物にする〝若竹煮〟。あるいはワカメとのお吸い物にする〝若竹汁〟。醤油タレつけてステーキにする〝焼き筍〟。他人丼風に〝牛肉と筍で甘辛く煮て卵でとじるやつ〟〝土佐煮〟〝天ぷら〟〝たけのこご飯〟とかかな。
あと、刻んで青椒肉絲とか春巻きや肉まんの具、佃煮とか山椒煮とかもあるけど、今はたけのこご飯以外には刻む気はないな。
とりあえず今日は、せっかく茹でたてなんでお刺身にしよう。
ホンマに掘りたて瞬間なら生でも食えるらしいが、茹でたて筍のスライスをわさびとお醤油でいただくのも便宜上、お刺身と呼ぶことになっておる。乙なもんやで。」
語りながらも手は動かしていたようで、サッと料理が出てきた。透けるように美しい薄黄色の、櫛のような姿のスライス。さらに薄い紙のようなぴろぴろっとしたのは、姫皮の部分。これも同じく出汁醤油でいただく。
皿は土っぽい伊賀焼、それに笹の葉を敷いて、上記の刺身が並べられている。ヨランタは竹林の風情を知らないが、繊細ながら野趣も感じられる、作品と呼びたい一皿だ。
「あ、酒器はこれを使おう。」
と、マーチンが勝手に決めて持ち出してきたのは竹筒のぐい呑み。凝った加工はしていない、かなり無造作に竹の細めの一節を切り出しただけの逸品だ。
「で、今日のお酒はせっかくの筍なんで、俺のお気に入り。〝櫛羅〟。」
「マーチンのおすすめ、有り難くいただきます。うーん。うーん……?」
コリリ、ポリっとひと口かじって、要領を得ない顔。目をつぶって、そのまま咀嚼して、
「あ、おいしいかも。ここで、お酒、お酒☆」
〝櫛羅〟は、奈良は葛城山の麓、〝篠峯〟と同じ酒蔵で造られている銘柄の純米酒。タイプは似通っているが、いずれにせよ旨いのだから問題ない。
「あ、おいしいわ。タケノコ、おいしい。お酒も最高。でも、この旨さがわかるのはこの世でマーチンと私くらいだね!」
「ンなこたぁない!と、願いたいね。いやぁ、久しぶりにこの季節の、この味。まさに最高やね。」
「仕事中に呑むねぇ、マーチン。それってどうなの?」
「店、開けてないし。ほら、赤ランタンもつけてないでしょ。考えてみれば最近、休日を取ってなかった。疲れるほど働いてもないけど、たまにはこういうのもええやろ。
アイツラは明日の準備があるっつって来ぉへんやろし。」
「気楽だねぇマーチン。で、明日どうすんの?」
「俺が聞きたいね。出たとこ勝負で無難に済ますよ。キミにはお留守番メシを作って置いてくから、ユリアンども呼んだりして待っといて。
今度こそはちゃんと留守番せぇよ。また無茶したら追い出すでホンマ。」
「はぁい、ガンバりまっす!」




