惣菜パン と 紀土の春酒
「アイツラ、群れさすとロクなことにならんな。」
宴の最中で食べ物が尽きたのと、別件で起きたもめごとを避けるためもあって店を抜け、日本側の近所のローソンで色々仕入れてきたマーチン。
感情表現に韜晦癖が強い男だが、彼なりにいろんな人に家族愛や友愛に近い感情は抱いている。あまり豪華なものは準備が足りずに用意できなかったが、それなりの心尽くしをコンビニ袋に提げて、坪庭の異世界出入り口に戻ってきた。
が、店内が異様に静まり返っている。何か、悪いことが起きたのか。嫌な予感に駆られ、店スペースへ急ぐ。
そこにいたのは、座り込んだヨランタひとり。まずは、その無事に胸を撫でおろす。次に、床に散乱した伊万里の大皿の破片に気がついて、自身もガックリと膝をつく。
「あのー、マーチン卿。…追い出さないでください。えーっと、…ごめんなさい。」
この期に及んでまず自分の都合。そして絞り出すように、語句的にはごく軽い謝罪。まあ、コイツはこういうヤツだ。マーチンも調子を取り戻す。
「いや、考えてみたら、ああなればこうなるのは残念ながら当然。気にしてはもらいたいけど、これはしょうがない、俺も悪い。」
「怒ってない? あ、ひょっとして意外に安いお皿だった?」
「腸は煮えくり返っとるわ。皿は、ウン十万とは言わんがウン万円クラス、山猿の前に出して良いものではなかった。あーあ、趣味やないモンのなかではお気に入りやったのに。」
「ほぇー。これも、金継ぎ?で治せる?」
「いや、端が欠けるとか真っ二つならともかく、こう四分五裂すると強度的にも、どもならんな。他の皿の端が砕けたときとかに部分的に利用するとか、角を落として箸置きにするとか。
とりあえず掃除しよ。弁償は、くそ猊下ちゃんにさせる。」
「あ、掃除は私がやるよ! マーチンは座ってお酒飲んでて!」
「ホコリが立つがな。手早く済まそ。」
*
ざっとした掃除の後、マーチンが補充してきたコンビニ唐揚げと菓子パンと惣菜サラダ、店の生ビールで飲み直し。多人数想定で多めに買った乾きもの、冷凍ものは残しておく。
「マーチンのお料理には劣るけど、そのぶん気軽で、こういうのも乙だねぇ。」
すっかり静かになった店内テーブル席で2人。のんびりと言葉少なに、笑い声もあがらないけれど、しっとりした微笑みが浮かんでいる。
「あの猊下ちゃん、シノワの大皿の弁償しにくるかしら?」
「二度と来んでもええけどな。あの話の間、ヨランタさんは魔法中で聞けてへんかったか。
何やら、外国の使節が来るから聖堂で料理してくれって。頼まれたけど、オレはここでしか料理でけへんから断った。代わりに、店にまで来てくれるなら対応できるって言うてしまったから、そのうち打ち合わせに来るやろ。来なんだら、それはそれで嬉しい。
厄除けには高いアイテムになったけど、来たら30万円ぶんくらいは請求しよ。」
「もっといけるよ。金貨100枚からふっかけて30枚くらいで妥協が目標☆ みたいな?」
「あー、んー、ぬー、まぁ、敵は大金持ちやからな。ゆうて、あんまりふっかけるのもなぁ…」
「戦わないと! そこは、マーチン、譲れば殺されるよ!敵は、どうやってこっちからむしり取ろうか必死で考えてるんだから。」
「嫌ァーやなぁ、そういうの。今晩でもうちょっと考えるわ。その辺はまた明日。
それより、菓子パンとか見てたらゲベッケンのニューバードが食いたくなった。明日、買いに行こ。あそこは薄焼き卵のサンドイッチも旨いのよ。玉子サンドといえば京都では洋食コロナの厚焼きサンドも、持ち帰りはしにくいけど…」
「玉子サンドって、 出町柳でも食べたよね、おいしいの。違う? ふぅん。あれはゆで卵を潰してマヨネーズ和えにしたもの、さっき言ったのは玉子焼きのサンド。へぇ。それで、最初のは?」
「ニューバードは、京都ご当地ものの惣菜パン、らしい。ソーセージを包んだカレー味生地の揚げパン。珍しいようなもんやないけどね、定期的にどうしても食いたくなる。」
「定期?」
「半年に1度くらい?」
「そんな、気の長い。」
「売ってる店が多くないから。特に、伏見のパン屋のゲベッケンのニューバードは、これも関西ローカルらしい扇型ボロニアソーセージみたいなのを厚切りの平たい棒状にしてボリュームたっぷりで、これからの季節には行楽のカバンに忍ばせておくと心が豊かになる。」
「ほぉ…カレー味! 私のぶんも明日、お願い!」
「この流れやから、もともとそのつもりやけど。せっかくやからパン屋巡りしてこようかな。ヨランタさん、行けへんのは不便やねぇ。やっぱり神様に頭下げて千人目指す?」
「…ぅ~! ……嫌!…でも………うー!」
「気が済むようにおし。」
*
「で、朝から出かけてお昼飯にいろいろ買うてきました。ついでにお酒も、前には純米を呑ませたやつの、季節の春酒。〝紀土 春の薫風〟。」
「わー、パチパチ。」
「お外の早春の花が咲く公園にでも持っていこうかね。」
「この街にそんな文化的なのを期待されても困る。強盗男と盗人孤児によってたかって身ぐるみ剥がされるよ?」
「あかんなぁ、この国。」
「そうなのよ。」
ピクニックは魅力的だったけど、世知辛い話はやめよう。お腹も減った。
「とりあえずは、昼やけど酒からいこか。」
「わぁい。じゃあ、今日の酒器はは復活のポン子でお願い。」
かつて私が砕いた、信楽焼の獣人人形の片口と、そのレリーフのぐい呑み。私が自分で補修した痕の金色のラインが顔や体にも走って、すこしズレてしまった顔が恨めしげな表情になっちゃった。
その後、私も痛い目をみたので申し訳ない気持ちと親近感と愛着を覚える。が、それでもやはり小面憎い、すっとぼけた顔だ。その目を凝っと見ていると、なにか胸の奥に言い表せぬ感情のモヤのような影が湧いてくるみたいな……
そんな物思いを破って、甘酸っぱい春の香りが押し寄せてきた。
「おじさんにはちょっと気恥ずかしいタイプの酒やけど、この酒が好きでね。季節ものなんで、2月末から4月いっぱいくらいまでしか売ってへんのを毎年楽しみにしてるのよ。」
軽く乾杯を交わして、まずひと口。期待を裏切らない、陽光さえ感じる爽やかさ。閉じこもって沈みがちだった心も日が差して浮き立つようだ。
こころなしか、ポン子の目もさっきより笑って見える。
「いいねぇ。じゃ、パンを頂きましょう!」
「ハイハイ。じゃあ、俺が時々食べたなる惣菜パンシリーズ。
まずは、下鴨から北山方面に進んだところのお洒落パン屋グランディールの〝サーモンクリームチーズパニーニ〟。
それから、普通に全国チェーンかと思ってたら京都だけやった老舗の大手、進々堂と志津屋の、金ない頃にお世話になった〝ハムチーズ〟と〝ジャンボポテト〟。
で、言うてた玉子サンドとニューバード。久々に、京都の北から南までちょっとした旅行感まである買い物やったな。」
「私がさみしくお留守番していたというのに、ひとりで楽しそうだね。…いや、ひょっとしてひとりじゃなかった? 日本に現地妻が!?」
「おらへん、おらへん。俺はひとりが落ち着くタイプなんは知ってるやろ。ん、値段は上がっても味は変わらずウマい、いやぁ、食いたいもんを食いたいときに食う、ソロの醍醐味やね。」
私も、もともと1人が安らぐタイプだったけど。体が弱ると心も弱るようで、お留守番の数時間が耐えがたく辛かった。前の数日のお留守番のときはどうやってしのいでいたんだろう。もう春なのだから、あれくらいには回復しないと!
もちもちしっとりで具もジューシーなパニーニ。カリッとハードで焼きマヨのジャンク感がたまらないハムチーズ。マヨソースの薄焼き玉子が耳つき食パンのふんわりさと香ばしさで一体感を醸し出す玉子サンドイッチ。
それらを、果汁のように甘酸っぱく香ってしかもカッと身を灼く春のお酒がまとめ上げて、いつもの部屋の印象をピクニックのようにを鮮やかに彩る。
そして。
「それにしてもマーチン、呆れるほど健康だねぇ。内臓が若い。」
「ん? あぁ、ニューバードは油も味も濃いぃね。いや、しかし俺も衰えては居るよ。コンビニの〝まるごとWソーセージ〟とかは若い頃の勢いで食える気がせんもの。
ま、酒やね。旨い酒と合わせればまだまだ大概は食える。キミは若いんやから、ほら、志津屋のジャンボポテトをガブリといっとけ。」
「ポテサラとハムのバケットサンド? 絶対おいしいんだろうけどさ。ん?…むー!むー!」
「はっはっは、それ、絶対にキレイには食べられへんやつ。バケットのしっとり耳が噛み切れへんでポテトがあちこちからはみ出して、口も手もぐちゃぐちゃになんのね。うわぁ、すごい顔になってる。あはは。
でもウマいやろ。」
「むー! むーーぅーーー! うーーー!」




