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「スシ?」
「寿司。
千年前のそもそもは米を発酵床にした魚の漬物なんやけどね、それをマネしたインスタントなファーストフードといえる、かもね。
鯖寿司は、酢で締めたサバと酢飯を、箱にみっちり詰めて押し固めて、カットしたもの。銀色のサバに薄ーい昆布を乗っけると金色に見えて、キレイで旨い。
いなり寿司は、味付きのお揚げさんを袋にして、オニギリにした具を混ぜ込んだ酢飯を詰めたもの。お店で安いのん買うとめちゃめちゃ甘かったりするけど、ある程度は保存のためでもある。俺はあっさりめが好き。」
伊万里焼の鮮やかな大皿にそれらと漬物が盛り付けられてテーブルにドンと乗ると、神殿の荘厳にも負けない豪華さ。
お酒もグラスで配られ、皆の手にわたる。
「では。ヨランタさんのおたずね者指定解除を祝して。乾杯!」
「「「乾杯! おめでとー!」」」
「ありがとー♡ ところで、猊下ちゃんとイボンヌはなんで居るの?」
「そんな、ひどい。わらわなどは国と街の寄生虫どもと晩餐会の卓を囲んでろって言うのですか?」
「私は皆が帰り着くまで護衛するのも任のうちだ。ついでに食事の世話になったっていいだろう。」
「俺らがヨランタを祝うのがダメだなんて大将は言わねぇよな!」
「んー。まぁ、好きにしたらええよ。」
「あ、マーチン、私と2人きりが良かった? 明日はそうしようね☆」
「やかましい。この人数にはちょっと食い物も酒も足りん。…んー、足らへんなってから考えよう。さ、好きに食いたまえ。」
*
「肉厚のサバ、素晴らしいな! 酢も、魚の脂とバランスよくちょうど爽やかな具合で、懐かしいような…珍しいような…」
海産物の知識があるイザベッラは鯖寿司を実にうまそうに食べる。
「米のボリュームがかなりあるな。これ、遠出の時の弁当にできないだろうか? え、値段そんなにするの! セレブじゃんか。」
冒険者たちは自分たちなりの価値観で味わい、案外に上等の品であることを知ってペースを上げる。
「私はおいなりさんが好きだね。ご飯に混ざってる胡麻とかおじゃこと、お揚げの風味がすごく豊か。」
「わらわも、こちらが気安い雰囲気で好みです。〝イナリ〟って、店主殿の実家が信奉している、って儀式のときに言ってた神の名よな。」
ヨランタと大主教はいなり寿司が気に入ったようで、比較的落ち着いた勢いでつまんでいる。
マーチンは行儀悪く寿司をバラして、酒を中心にその他漬物と色々な組み合わせで嗜む。
「酒は、剣菱。今年でなんと520周年の歴史ある酒で、300年前には当時の英雄・赤穂浪士が決戦前に皆で飲んだ酒とも、将軍吉宗がサンバのリズムで飲んだとも、幕末の志士も剣菱を飲んで暴れたとも言われてる。
前に〝日本酒に古き良き時代はない〟とか言うたけど、これも今風の吟醸酒とは質的に違うけど、古典原理主義的にはええもんですよ。特に鯖寿司なんかには素敵に合うでしょ。
これがあって、未来の酒もあると思えば情報の味も奥深く感じるね。
……で、猊下ちゃん、なんか言ってた? あ、お稲荷さんの信者って。 いや、実家がお稲荷さんの氏子エリアにあったってだけで。ナンだっけ。〝汝いずれの神を奉ずるや〟とか聞かれて、ウチはお稲荷さんの氏子で真宗の門徒やったけど、いま住んでるエリアでいえば、下鴨さん?あるいは、制度があるんならこっちの神さんの氏子なんかも。みたいな、やったっけ。」
「酔ってる?大丈夫? マーチンってば、そこの神棚?にも、玄関の表にも怪しいお札を貼ってるよね。」
「疲れてると、回るね。…神棚のは愛宕さんの〝火迺要慎〟の御札で、ただの火防のお守りよ。
玄関のは神じゃなくて、比叡山は横川の高僧・元三大師の悪魔に対する戦闘モードな幽波紋の絵姿。悪いもんが入ってこないようにーって。効果は無かったみたいやね。」
「「「えぇー……あぁー。うん。」」」
「なんで、お見合いして黙るかね。霊験はあらたかで、これも千年の歴史あるデザインなんやけど。ちょっと、効果を期待するには比叡山はあまりにも遠かったかもね。
あ、もらってきた聖堂の破魔矢も、いま上げとこうか。ずいぶん本格派の矢やね。」
「魔も人も倒せる銀の鏃の退魔の矢だ。曇らせてはいかんぞ。」
「ホントにそれ飾るの? 私、矢、キライなんだけど…」
*
聖堂での儀式は大々的にお披露目される性質のものではなく、内々にひっそり行われた。
馬車から大神殿の奥に通され、高位神官の服に着替えさせられ、薄暗いシンプルな部屋でいかにも偉そうな年寄との多少の問答、その後に大貴族以上の治療室でヨランタによる大主教の回復を行い、そこでもいくらかのお話をして、終了。
準備の手間に比べればあっさりしていたが、派手にやられても困るので、ありがたい計らいではあったと言えよう。
「聖堂についたらお迎えの神官が、パンいちで来るから。」「そうしたら名誉司祭の服、パンいちに着替えてもらいますよ。」「次に、小主教のおじいさん・パンいちの3人と軽くお話してもらいます。なんだか、お話がしたいんですって!」「最後に、ヨランタにわらわの病を治療してもらいます。パンいちで。」
この大主教ちゃんのパンいちへの熱い推しの姿勢にはヒヤヒヤさせられたが、現実になってしまったのは最後のだけだったのでマーチンは助かった。
貴人の肌に直接触れるかもしれない治療行為なので身に寸鉄も帯びてはならぬという理由はわかるが、治療中の話し相手としてマーチンに立ち会いが求められたのはわからない。ヨランタも腹いせに、治療のために大主教ちゃんもパンいちになる必要があるとうそぶいて唐突なセクシータイムが始まり、帰りの馬車ではお互いにかなり気まずい思いをすることになったものだ。
ともあれ、小、ではない〝主教〟たちとの面会は名乗りから始まった。
この国での庶民の名は、主に、本人の名に父親の名か出身地の地名をつなげて名乗る。我々の世界でいえば、ロナルド=マクドナルドと名乗れば〝ドナルドの子=ロナルド〟を意味するし、レオナルド=ダ=ヴィンチと名乗れば〝ヴィンチ村出身=の=レオナルド〟となる。
が、ヨランタにはどちらも無い。差別的な話だが、マッチョ信奉文化では〝父の名を名乗れない〟ことは〝不名誉な男の不名誉な子である〟となるし、出身地を名乗れないのは税を払わずに逃亡したことを意味する。
どちらも名乗れないともなれば公文書に載る資格さえ認められず、面会は叶わない。差別的な話だが。また、嘘の名を神の前で名乗れば、地獄に落ちる資格さえ失って魂は冥府魔道をさまようとされている。
しかし、ヨランタも準備を怠ってはいない。
「よし子。ヨシコ=ヨランタです。」
出鱈目だが本人には大切な名を、精一杯に胸をそらし、笑みを浮かべて晴れやかに名乗る。
マーチンは、本名は別にあるが、何となくいまヨランタの横で言いたくない。が、彼にはワイルドカードがある。
「神様にはマーチンの名で呼ばれている。」
続いて身分照会的な対話を求められる。マーチン自身はただの付き添いだが〝大主教のお気に入りで狂狼の友人〟という立場を利用して、「異世界出身の異教徒で〝呪われしヨランタ〟の保護者だがこの機会に改宗を希望」との舌先三寸でクリア。
高額の布施や厳しい戒律を求められるのでなければ、特にこだわりはない。
老人たちは大主教ちゃんによると「国の大臣の手先・聖堂内の人事と財産以外に何の興味も関心もない人たち」であり、〝大主教ちゃんを若死にさせてしまうと重く責任を問われるの立場〟なので、いわば大主教の生命を握っているヨランタ関係者に対して予想よりも遥かにゆるかったのだ。
ただ、雑談的にマーチンが希望した〝お守りの破魔矢〟概念には商機を見出したらしく、主教のひとりは固い握手を交わして早速に試作品の制作に取り掛かっていた。時制が前後したが、おみやげに貰った試作品が、神棚に上げたそれだ。
ヨランタの扱いはもう少し厳しめに見られるかとは思われたが、日本人から見ても十代で通りそうな外見が功を奏して、師匠譲りの昔からの素行不良も「若年ゆえの気の迷い」で片付けてもらえた。
問答無用のバイオレンス組織の一面と、いまの好々爺然とした老人たちの長閑さとの落差には目眩のあまり吐き気まで込み上げてくるが、彼らはこの無頓着さでもって、先日、ヨランタ捕縛の命令書に許可を通したのだろう。
そのヨランタが大主教の病を癒せると冒険者ギルドマスターに説得されれば、捕縛命令を覚えてさえいないように手のひらを返す。
依然、聖堂は魔窟だ。
*
「うぁー、やっぱり、家が一番だよ。」
「せやから、キミの家と違う……あ、ヨランタさん、キミもうお尋ね者じゃない正規ヒーラーの免許持ちやろ。もう、ウチに泊まる理由がなくなった、ってことやん。
闇・卒業! もうじき卒業シーズンやし、今度卒業式してやろう。」
「え!? あ!? う、それはない!ないよ! マーチンあなた、何度も何度も私の裸を見ておいてまだ他人扱いとか、許されざるアレだよ! 式をやるなら、結婚式を!」
いろいろすっ飛ばした叫びに、冒険者たちは「おおっ」と盛り上がり、聖職者たちは「待て」「まだ早い」と止めにかかり、次の瞬間にはつかみ合いに発展する。
ただしヨランタと猊下ちゃんは戦力外なので、ユリアン・レナータ組vsイザベッラ、その端で戦力外2人がわちゃわちゃしている状況。マーチンは「食い物が足りひんなったから買うてくるわ」とひっそり退場。
この一瞬後に、伊万里の大皿の割れる音とともに冒険者・聖職者連中は叫びすらあげず、蜘蛛の子を散らしたように逃亡。ひとり残されたヨランタは真面目に死刑囚の面持ちでマーチンの帰りを待つ羽目になる。




