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しばらく前から予定を入れられていた、大主教との面会・往診の日の朝。
結局ヨランタは自由な外出に成功できていない。肝心の大主教本人が〝あんなの〟であったので心配の必要もなさそうだが、別の意味では心配かもしれない。
結局、マーチンが付き添いで一緒に登壇することに。
ユリアンが隣で護衛するほうが八万倍安心だろうと思うが、彼に染み付いた血と鉄の匂いが緊張を強いるらしい。血と鉄ならマーチンにも覚えがあるが、そういう問題じゃない。と、ヨランタに言い張られると何が違うのか、弱いから舐めてるのか、とマーチンも微妙に穏やかでない。
いまいち気が乗らないクエストながら、冒険者ギルド主導でヨランタのために整えてくれたイベントだ。ブッチするわけにもいかない。
渋々、ヨランタが先日揃えた高級服と装身具で身支度を整えている間に、戸がガシャガシャと鳴らされる。
「わらわが来たぞよ!」
入口を開けると、目をパチクリさせた姫ヘアーの20歳に見える40歳女性が登場。
猊下ちゃん、お坊さんが朝から何やってんの。
「聖堂の飯はまずい!朝餉は特にまずい!店主殿の朝食を所望します!」
「ウチは、朝食のサービスはしてません。お帰りやす。」
「そんな、ひどい! 店主殿の朝食を所望します!」
「知ってると思うけど、ウチらこれから用事があるんで早い目に朝食済ましたんやわ。せやから、もう無い。」
「そんな、ひどい! 店主殿の朝食を所望します!」
「その言い方、なにかの伝承とか決まり事でも? …しょうがないな、バナナと桃缶の角切りにヨーグルトかけ。それにお徳用アールグレイ、どうぞ。文句は聞かんよ。それにしてもひとりで出歩いてきて大丈夫?」
「わらわは、外で陰から王家のS. G. G. K.(スーパーグレートガーディアンナイト)が守っているから。パンいちで。だからここは聖堂の寝室より安全なのですよ。
それに、昨晩あんなに飲み食いしたのに今朝はここ25年くらい無かったほど快調で!やっぱり、我慢が体に良くなかったことが証明できちゃった! そして朝から甘いもの!……ちょっと店主殿、乳酪が酸っぱすぎる、蜜を所望じゃ。」
「そういうのは体ぁ治してからにおし。
あ、さてはお前、ちょっと体調ええからってお前がブッチしてここに逃げてきたんやろ。違うか?」
「そうでっす! いま死ぬ心配がないんだから、ガーゴイル人間に体をいじられるなんて御免こうむる★」
「誰がガーゴイルだっ!」
「ヨランタ、大将、迎えに来たぜ!」
会話が穏やかな内容でなくなってきたところで、ようやく身支度を終えたヨランタと、迎えに来たユリアンとレナータがほぼ同時に登場。
「あ、レナータさん、この女が大主教。仕事が嫌で逃げてきたらしいから、取り押さえて。」
「なぜ? 大将、あんた何者だ…?」
*
聖堂へは、冒険者ギルドから馬車を仕立てられていて、それに乗って向かうことになっている。
マーチンとしては、ここまで来れば開き直って観光を楽しむ以外にできることがない。なりゆき上、握ることになってしまった右手の紐の先には大主教ちゃんが繋がれており、左側にはピッタリとヨランタが引っ付いている。
「ほんで、猊下ちゃん。パンいちのS. G. G. K.(スーパーグレートガーディアンナイト)はどこからキミを守ってんのん。」
「パンツは冗談だけれど、奴が出てこないってことは、これでもわらわに危機が迫ってない、みたいだからこの無体は許します。それにしてもその娘、本当に件のヨランタだったのですね。」
大司教ちゃんを連れ歩くことは、ヨランタが襲撃されたときには人質に利用できるような、大司教ちゃん本人が襲撃を受ける危険があるような、判断つきかねて居心地が悪い。
悪いが、普通にしている他どうしようもないので、普通に話しながら歩く。
「娘って年齢じゃないけどね。」
「マーチン! …いや、熟女好みのマーチンからしたら褒め言葉なのかもしれない、ここはまだ様子見だ。」
「ほう! 店主殿はそうなのですか! ほぉーう!」
ギルドでは、迫力の大型受付嬢3人組たちがヨランタを出迎える。
そもそも、多少の問題が山積みされていようと腕の確かな回復術師は、組織の維持管理責任を負う立場の者には神々しくさえ見える存在だ。加えて、性格の悪さ・欲深さは標準の範囲に収まるし、愛想と愛嬌は申し分ないとなれば、日ごろ荒くれの相手ばかりしているギルド受付嬢にとってはまさしくアイドル。
「心配したのよぅー」などとよってたかって担ぎ上げられ、振り回されている。
ヨランタも嬉しそうなのでマーチンらはその喜びの輪を遠巻きに見学していたところ、奥から走り出てきた巨大な影がある。それはマーチンの少し右側足元に滑り込むようにひれ伏し、吠えるように叫ぶ。
「大主教猊下、このようなところにお越しいただき、お出迎えもせず、ご無礼をお許しください!」
影の主は、ギルドマスターだという。巨大で筋肉質の老人だ。室内に雷が落ちたかのような大声に、喜んでいた皆がビクッと振り向いてヨランタは地面に転がり落ちる。
いまだ紐に繋がれているままの大主教ちゃんは「よい、よい」と鷹揚な態度。しかし老人の顔色は冴えない。
「奥に、馬車のご用意を……テメェら、礼拝しろィ!死ね! 見せもんじゃねぇんだ、散れッ!殺すぞ! ヨランタ! 迷惑かけやがって!次やらかしたら俺が引きずり出した貴様の腸で縛り首にしてくれる! さ、猊下、お目汚しでしたが、どうぞ…」
大主教の威光とは、これほど乱暴な男を忠誠の老執事のようにしてしまうものか。猊下ちゃんさえ表情がこわばり気味で、腰をさするヨランタを連れて一行は奥へ。
ギルドの建物は角地に建っており、一般は冒険者通りの入口から出入りし、貴人は聖ハイアセン大通りの大玄関に馬車で直接乗り付け、出発できる造りになっている。
今日はヨランタと仲間たちも人生で初めて豪壮な大玄関から武装馬車で出立する。
襲撃に備える武装というより、乗る者の秘密性重視の、真っ黒く窓のない車体だが内部の設えは格調高い。金細工の装飾は薄明かりを夢幻的に揺らして、緋色のビロード生地のソファは美しく、座ればふわりと沈む。
「本日、護衛の任につくイザベッラ隊である! …なんだ、マーチン殿もいるのか。
って、猊下!? なぜホスト側が彼らと一緒に? そして何をニヤついているのですか。」
「フフン。店主殿は年増趣味らしいぞよ。良き男子ゆえ、わらわが汝との間を取り持ってやっても良いぞ★」
「結構です。私は若いので。猊下と違って、まだ若いので。それなら猊下こそ、どうです。どう抜け出したかは存じませんが彼の料理はお召しになったのでしょう? 」
「マーチン、肉食ババアが勝手なこと言ってるよ。ガツンと言ってやらなきゃ。F●ck! って。」
「それはアカン。一応にも坊さん、尼さん?相手にはちょっと洒落になりにくいわ。キミも、せめて今日だけは大人しゅうしとけ。」
ガタリ、とソファが揺れて、馬車が動き出す。ただ、中から外の様子は伺えない。
ユリアンたちは外で、イザベッラ麾下の僧兵たちと一緒に歩いて警備しているらしい。車内には、マーチンとヨランタ、大主教と騎士イザベッラの4人。
大主教の胴に巻き付けてある紐は解こうかとマーチンは目を向けたが、レナータが固く結びつけた結び目がある女性のお腹あたりをウニウニするのは危険な気がしたので、見なかったふりをしてそのままに。
そのまま、馬車は居心地の悪い緊張をはらみつつ、悪の巣窟・伏魔殿とも思われる聖堂の魔都神殿へ入っていった。
*
「あー、やっと終わった。たーいへんやったなぁー。」
「うぇー、疲れたー。やっぱり、家が一番ねぇ。」
「キミの家とちゃうわ。」
「またまたぁ。まだ、ね。」
なんだかんだ煩雑な儀式を終えて、続いての晩餐会は丁重にご遠慮申し上げて、困憊した体を引きずって店に帰り着いたのは結局いつもの夕方ごろ。
「今日いまから料理はようせぇへんで。でも、こんなこともあるやろ、と買い置きの寿司があるから、それを晩飯にしよう。寿司。
キミらは、肉が欲しければ他所に行くといい。」
マーチンが冷蔵庫から出してきたのは、鯖寿司といなり寿司。
「京都人にとっての〝寿司〟は江戸前じゃなくて、鯖寿司といなり寿司、それか昔ながらのちらし寿司。
江戸前寿司を食うなら、俺としては刺し身で食べたいし。ちらし寿司よりは俺が鯖寿司好きなもんで、こっちで。
お酒は、せっかくなので伝統原理主義最強格の〝剣菱〟を用意してある。じゃあ、呑もうか。そっちのキミらもな。」




