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「それも、おいしそうだね。」
「キミのは、甘いもんがええ、って言うたからの砂糖バターやんけ。塩辛い側に変えるかね。」
「うぅーん、これ食べてから考える。」
あろうことか選べる酒器を黙ってお持ち帰りしようとした貴婦人、わらわちゃん、もしくは猊下ちゃん、改め、大主教ちゃん。には、さっさとお帰りいただくべく小鉢で鱈とバターコーン炒めを突き出す。
絢爛豪華には程遠いが、バターの甘味・塩っぱみに醤油の香り高さをひとさし、炒めて表面はさっくり香ばしく、内側はジューシーさが弾ける。小松菜とあられ切りのニンジンも少量添えて、彩りも豊か。
大主教ちゃんは料理が出るまでのお上品さを一瞬でかなぐり捨てて、飢えた犬のように掻き込む。
「ウマー! こういうの!この味が食べたかったんだ!」
ポーズだけは女子ポーズで、プルプル震えておいしさを表現している、らしい。そしてお酒をひと口。一合グラスなので、その一合180mlをグビリ。
盃なら自然に少しずつ飲むことを強制されるが、この飲み方、一升瓶の十分の一をゴッと飲んでしまうのは、いかな酒飲みでも行儀が悪い。
「ホントに、ウマー! どうしてこれだけなの、もっと、量を!」
*
「あー、糖尿と噂の大主教ちゃんとは知らずに出したけど、日本酒ととうもろこしは糖尿に良くないのよ。それくらいにして、もうお帰り。」
「フッフッフ、病は、もうじき治してもらえる手筈が付いておるのよ。今日は、前祝いを兼ねての敵情視察♡」
「敵…?」
情報をまとめると、彼女はどうやら王家の子女で、結婚できなくてもしくは再婚できなくて独身無役でゴロゴロしていたのを、政治の都合でお飾りの聖堂トップにジョブチェンジさせられたらしい。
日ごろの贅沢に病んだ体を治す手筈がついた、っていうのはたぶん私の今後の予定のアレのことだろう。
そういう内部事情を隠そうともしないのはどういうことか。そして、敵情視察、と確かに彼女は言ったけど、マーチンか、私は大主教ちゃんにとっての敵なのか? どういうことだね、楽士ルドウィク君。
「あ? あ、いや、猊下は隠し事をなさらないお方で。都合上、今現在替わりが務まる人がいないこともあって、何をやっても何を言っても罰せる法もなく、やりたい放題なんだよ。もともと馬鹿なのに歯止めが効かなく、おぉっと、まぁとにかく、そういうことだよ。
で、敵と仰ったのは、」
「それはわらわの口から言うわ。
敵は、例の〝狂狼〟イザッベラ。何かとわらわ付の予算を減じようとする憎いヤツ。
ところがここ数日、ヤツが何かと精彩を欠いているらしい。なんと、剣を握ることさえできなくなっていると聞く。ある日などは喧嘩して顔を腫らしたりしておってな。
探らせたところ、この店で食事をして以来のことであった。
狼めが生まれて初めて人並に懸想をしておるとか、追っていた罪人がそこの娘であった上に無実が証されて面目を失ったとか、他所で手をかけた罪人が神の奇跡で蘇ってその店に居たとか。
市井の噂としては楽しいが報告を上げた者にはムチをくれてやらねばならぬようなフワフワした調査結果ばかりでな。埒が明かぬゆえわらわ自らが来てみた。」
大主教ちゃんがペラペラと得意げに身内の恥を喋る。酔ってるのかしら?
対して、マーチンは冷静に返す。
「あー、それで、実態は掴めてへんけどイザベッラさんの関係者のお店ってことで、敵、ね。ところで、そこにいる娘さんが、例のタイタンの加護の回復術師?のヨランタさん。せっかくやから挨拶しときや。」
そうです、私が闇ヒーラーのヨランタです。よろしくはお願いしないよ。
それにしても、あの騎士イボンヌ。マーチンと奴と私で温かいお鍋を囲んでから、妙に腑抜けていたというか、気味悪く親しげにしてきて頭がどうにかしたのかと思っていたら、本当にどうにかしていたのか。
思えばあのときはマーチンさえちょっとテンションが浮かれていた。私も、実はいくらか絆されている所があった、どうにかしていた、危ない、危ない。恐るべし、お鍋。
落ち着くために、レーズンバターをもうひと欠片。甘い脂がじゅわりと口中に解けて、無意識の生理現象として口角が上がる。良き、良き。
「旨そうであるな。わらわにも1つおくりゃれや。…ふーん。この娘っ子がタイタンの?ありえぬぞよ。」
「とは、なぜ?」
「だって。わらわは報告書を読んだっきりですけれど、賊に身柄を奪われる寸前まで酷い罰を受けてたんでしょう。わらわも歯が抜けたことはありますが、爪って剥がれるものなのかと思って試してみましたわ。絶対無理。鼻を…なんて、書面の字を読んだだけでわらわ、めまいがして3日働けませなんだ。
それで生きてるなんて石のガーゴイルの同類みたいな女に決まってますわ。」
途中まで難しい顔をして聞いていたマーチンは〝ガーゴイルの同類みたいな女〟で盛大に吹き出してむせ返っている。どいつもこいつも、失礼な!
腹立たしさはあるけど、いまここで証明してやる必要も感じられない。そんなことより、食べ物の続きを!
「はいはい、ヨランタさんにはシュガーバタートーストのチョコアイスと苺添え、猊下ちゃんには鶏モモとエリンギその他のバター醤油炒め。お酒のおかわりは白い徳利に蛇の目の呑利きお猪口で。長っ尻しないのが流儀の庶民飯や、チャッと済ませろ、チャっとな。」
「店主殿はなぜ、わらわを早く返したがるのですか。」
「泥棒されたら嫌やから。ところでキミが盗もうとした4つの内、彩色と金彩の磁器は印刷の安物やで。模様については、実際細かいけどよう見たら網点が見えるやろ。こういうのは百均レベルね。金彩も、均質なのは箔押し印刷で大量生産できるからね、安い。」
「な、なんですってぇ。」
「蛍手の磁器も、生活雑貨やから高級品ではない。そこまで安くもないけど。
窯変は当たりと言ってもいいね。パクられるとは思わずに、偉いっぽい人に自慢の意味で出した。俺も俗っぽいな。でも、知らん客に出して割られてもしょうがないで済むレベルの品やで。
目利き、まだまだやな!」
「なんですってぇ…」
*
「トーストは、朝ご飯っぽいね。」
「まぁ、それはそう。ただ、甘いバターを味わうという点では、俺的にはこれが一番。」
マーチンはじめ多くの日本人にとって、バターは主食であるパンをおいしくいただくための調味料だ。が、本場の欧米文化圏では、主客が逆転して〝固くてしっかりしたパンはバターをおいしくいただくための土台〟であるという。いや、日本側が自己流に受容しているだけのことだが。
マーチンも、しっとり柔らかい食パンを分厚いスライスでトーストもせずにかぶりつくのが大好きだ。しかし、薄い耳だけスライス部分をしっかり焼き締めた熱々カリカリのパンにバターを山盛りにして食うのも同じほど好きなので、バター愛には一定の理解がある。
それゆえのメニューであるが。
「その娘! 偽ヨランタ! お主のも美味らしくあるな。半分ずっこしようまいか?」
「それ、いいね!」
「待った。俺の料理で人が死ぬのはかなんで。ミス糖尿にそれはヤバい。半分こはええけど、もしものことになる前にヨランタさん、なんとかしておあげ。」
「んもう。こんなところでまで、わらわの言動に注文付けないでくれます? …んぅー、バター醤油、最高! 油と塩が脊髄を伝うぅ……体がジャンクになっていく味がするぅ~…」
「ヨランタさん、ストップかけて! ドクター、じゃない、コックストップ!」
「大丈夫だって、今日明日に死ぬとかの話じゃないよ。でも腎臓だけ簡易治癒しておいてあげよう。ほら、シュガバタトースト・チョコアイスもおいしいよ。イチゴは私のだけどね。」
「わぁ、パンがカリッと、砂糖がジュワッと、砂糖がシャリッと! そして、このまったりとした氷菓の味は!? …って、ひゃうっ、脇腹をくすぐるではなぃ、うひゅっ、ばふぉっ、」
やれやれ、世話の焼けること。
では、彼女がうずくまって震えている間に私も、その鶏のバター焼きをいただこう。
わっ、ジューシー! 香ばしみが強い。鶏の唐揚げのコロモなし版って感じ? とも、ちょっと違うかな。付け合わせ野菜との一体感がある。その意味では野菜炒め的?と、いうには肉肉しいけど。
せっかくだから、お酒も彼女のをひと口。竹雀? なんだっけ、マーチン。
「それは、西美濃あたりの酒でな。きれいに澄んだ今風の辛口やね。俺の趣味はフルーティー系やけど、主張の強い食べ物を引き立てるにはその感じのがええかも知らんね。」
そう、私もそう思った。私側のTakachiyoとも飲み比べてみる。…オゥ、こっちだと互いの主張が喧嘩するね。決して悪くはないけど。竹雀だとスムーズだ。
「一人で全部飲んであげなや。」
「わかってるって。ところで、甘口のお酒は甘いのに、辛口のお酒は辛くはないのね。どういうこと?」
「んー、それに関しては、長くなるからまた後日に説明してあげよう。ホラ、猊下ちゃんが起き上がってきはるで。」
「……ス………」
?
「スイーツ!甘味!砂糖を、わらわに、もっと !!」
「うゎ、やばそうやな。便利屋楽士ルドウィクくん、責任持って彼女お持ち帰りしぃや。」
「オレかよ!? って、それしかねぇんだろうけど勘弁してくれぇ。」
「朝まで甘物を詰め込んでいくぞよ。ルドウィク、偽ヨランタ、供をせよ! 店主殿、頼んだぞ!」
「ダメ。もうじきお店閉めるからね。抵抗するなら潰して寝させて担いでいけ。俺は知らんからな。」




