(2)
「七難八苦……」
「べつに、そのお酒とは関係ないけどね。新興の英雄に滅ぼされた古い主家の再興を誓った当代きっての麒麟児が、艱難辛苦の果てに、結局二進も三進も行かなくなって負けてしんだ話。」
「…そのお話のココロは?」
「ココロ!? うーん、頑張っても無理なもんは無理やけど、自分が好きなようにやって満足ならええんと違うかな、みたいな?」
「いい話だ……」
「そうか?」
「騎士の忠誠と魂の意地だな、わかるぞ。今日は私にもその酒をくれ。」
「あ、あのワイン、あかんかった?」
「いや、上等だったぞ。保存が完璧で驚くほどフレッシュだった。高級の品でも保存にしくじれば呑めたものでなくなるからな、さすがマーチン殿の腕は確かだ。確かに最上の品ではなかったが、肩肘張らない飲みやすいワインも良いものさ。
しかし今日はしっかり呑ませてもらおう!」
「ふぅん、そんならよかった。男も同じのでええか。」
「オレ、30年近く生きてきてただ〝男〟って呼ばれたの初めて。いや、それでいいよ。」
*
「まだまだ寒いからな、まずは熱燗から始めようか。こう冷え込むと、ちんちんにしたお酒にはまんまんちゃん、あぁん、ってしたくなるね。」
「うむ、まったくだな。」
「わからないけど、マーチン、今回は何の嫌がらせを企んでるの?」
「あ、そんな感じ? ちなみに今のん、どういうふうに聞こえた?」
「〝寒さが続いているので熱くした日本酒からにしよう。こうも寒いと、煮えるほど熱した酒を前にすれば神にすがるように礼拝したくなるね〟と言っただろう?」
「なるほど。そんな翻訳になるんか。はぁー ちんちんまんまん。」
「なにっ、マーチン殿、今、何を言った…?」
「うぅん、マーチンがどんな嫌がらせを企んでるのかと思えば、そういう。…いや、私はマーチンにもそういう面があることがわかって安心したよ。」
「悪かったから、冷静に分析せんでくれ。今のならそう翻訳されるんね。
聖堂のキミらはちょっと堅苦しくてかなわん。下の話をされても困るが、もうちょっとどうにか砕けた感じに、」
「それが言いたくてああなったのなら、不器用にもほどがあるぞ。なぁ、ルドウィク。」
「オレの耳は麗しい音楽を聞くためにあるんだ、つまらない雑音を挟まないでくれ。マスター、音楽を! そういうことなら、ある程度、猥雑な曲を。」
「あぁ、音楽。止めてたね。猥雑?なら、マイコーの生涯チャンネルをかけっぱなしにしとこう。そんなことより、飯と酒。
酒器はまぁ、好きに選びたまえ。突き出しは炒り豆腐。こういう常備菜は作り置きしとくと便利やね。ただし豆腐をあんまり細かくすると見た目が俺の好みでなくなるんで、その辺はわりと気を使ってる。さ、どうぞ。」
*
言うだけ言って、マーチンはお魚の料理に取り掛かってる。
カウンターに3人並ぶとそれなりににぎやかで、なんだか普通にお店っぽい。いつもがお店としてやる気なさすぎなだけともいえるけども。
お酒〝月山〟を、今日はいつかの織部焼と似た模様の白黒の酒器でいただく。こういう焼物は黒織部というらしい。深緑色が黒になるだけでずいぶん雰囲気が変わるものだ。
でも、器に描いてあるユーモラスなヘタ絵は変わらない。なるほど、イボンヌ、砕けた感じってこういうのだよ。この精神性、わかる?
で、ちんちんに熱いお酒を注意深く飲む。ㄘんㄘん。笑っちゃいそうだ。ひゃあ、熱っつい。でも、クッときて、キューっとして、シュッてなる。力強くも繊細。
男・戦士感とは縁遠い私だけど、遠国の麒麟児の涼やかさみたいな雰囲気は感じる。隣のイボンヌも満足そうな表情。
〝男〟は、音楽が流れ出した瞬間から酒も話にも見向かずに目をつぶって、なにやら楽器を演奏するみたいに手をウネウネさせている。
その様子は感心するけど、んー、いい曲だけど、料理に合う曲じゃ全然ないなぁ。マーチン、別の曲に変えて?
「who's bad! who's bad!」
「「イカすのは誰だってんだよ! イカしてるのは誰だってんだよ!」」
「や、やめて、なんでマーチンまで一緒になって詰めてくるの!」
「いやぁ、マイコーの歌には魔力があるね。映像付きでお見せしたいところやわ。」
「この歌はいいよ。音楽理論的にもとんでもなく深いが。柄でもない男性原理に巻き込まれて、でもその世界の華やかさ、綺羅びやかさにも魅了される男の喜びと悲哀が表現されてる。いいよ。」
「ええこと言わはるわ。男性原理、ねぇ。山中鹿之介みたいなんも、ひょっとしたらやむにやまれず、でやってたのかもしらんしな。俺が働くのも嫌々でやってるだけやし。」
「それはどうかと思うぞマーチン殿。それに私も、この曲と炒り豆腐の妙味は合わない気がする。」
わからない音楽論を述べる男性陣に、イボンヌこと騎士イザベッラは私側に立ってくれて、男性陣vs女性陣の構図が生まれた。
こういうときに戦わないのが、我らがマーチン。
「しょうがないな、マイコーは絶頂期が出揃ったここからがいいのに。ほな、中島みゆき大吟醸チャンネルに変えようか。ちょうど刺身もできたし。」
あまり大きくない魚でも、半身となると一人前の刺身にはじゅうぶんな量がある。
青黒かった元の姿からは思いもつかない、つやつやとした乳白色と紅色の美しい魚肉が盛られた皿の姿には妙な迫力がある。とてもおいしそうだ。
手元に運ばれるのを今や遅しと待ち構えて、最短の動作で、わさびを乗せて2切れをいっぺんにつまんでお醤油につけて、もくりといただく。こりりとした歯ごたえから無限に湧き出る旨味。そしてお酒。沁み入る。
「じゃあ、そろそろ冷酒に移ろうか。あと、お魚のタイタンもよろしく!」
「あいよぅー。」
慣れた感じで注文できた、と自慢してやろうと隣に目を向けるとイボンヌはぎょっとした顔で箸を取り落としている。酒食に手つかずのまま再びみゆきに沈んでいたルドウィクさえ恐怖が滲んだ目で振り向く。
なぜ?あ、タイタン? 今ではもう〝炊いたん〟だとわかってるけど、タイタン。聖堂の連中のタイタン嫌いも面倒なものだ。
*
「あまりに自然だったから普通に受け入れていたが、ヨランタお前、念入りに再起不能に壊した体が完全に治っているのだな。なぜこんな聖性の欠片も感じない小虫に、神は過ぎた力を与えたもうたのだろう? まさか、タイタンの加護というのも言葉の綾かなにかではなく、何かの真実を含んでいるのか?」
子供が驚いたような素直な表情でイボンヌが吐息混じりにつぶやく。まるで、虫の羽や足をもいだのにまた生えてきた、みたいに「念入りに壊した」って、いったいどういう脳の構造から出てきた言葉だろう。
こんなだから、真面目に恨む気にもなれない。だけどそのぶん、理解しがたいおぞましさレベルで怖い。
マーチンに言わせれば「役人なんて、そんなもん。ナチス・アイヒマンのタイプ」とか言うけど、さて彼女のタイプが日本でさえ珍しくないとしても、私がどう対処すべきかは別の話。
「お待たせ、グレート・タイタン。しばらく前、ヨランタさんが所望してた小鯛の炊いたんとだいたい同じ感じのメニュウやね。」
「おい、マーチン殿。これは、真っ黒ではないか。皮をむかないのか。それで、料理の名にタイタンを冠するとはどういうことだ。わかっていながら、神を軽んずるにも程があると思わなかいのか?」
イボンヌが震えている。怒ってはいるが、この震えはそれゆえではなく、迷子の子供の怯えのような震えだ。
面倒な奴だけど、こんなにいじめて、どうフォローするつもりだろう、マーチン?
「タイタンの料理名はちんちんまんまんと同じく、たまたま似た単語の言葉遊びやってキミもわかってるやろ。
黒かろうが、火が入った魚の皮は脂がとじこめられた旨味の塊やから、捨てる道理がない。ええから食うてみろ。どんな宗教的事情があるにせよ、もてなしの料理は食べてもいい、ってコーランでアッラーさえ言うてることや。食うた後なら文句を聞いてやろう。」
堂々と言い抜けて、後はそっぽを向きながら「〽毒婦になるなら月夜はやめなよ」とか口ずさんでる。酷い唄もあったものだ。空気を読まないルドウィクが「電車ってなんだ」とか詰め寄って、しっしっ、と追い払われてる。
「………おいしい。」
イボンヌ…イザベッラはひと言いって箸をおいて、「また来る。」と言いおいて席を立つ。
「あ、お勘定。んー、こっちに付けとくか。キミ、お残しは高うつくで。」
「ちょ、待てよ、時間かかってもちゃんと食うからさ。んー、時代が回る気配がするね。身の振り方とか考えるの嫌いなんだけど。」
肩を落として去っていく広い背中を肴にしつつ、一杯を高く掲げて飲み干す。極上の甘露!
「ヨランタさん、キミね、」
「わーかってますって。いいじゃないのよ今だけくらい。5杯飲むのがざ・ま・あ・み・ろのサインね。」
「それはユーミンやなくてドリカムやで。なんで混ざったかな。とにかくキミはやるべきことをスーパーでスペシャルに決めてくれ。で、敵を増やすようなことはせんように。って、言っても無理かな。」
「!、出来らぁっ!」
「じゃあ、イボンヌさんを追っかけてフォローしてきて。」
「えっ、私があのタコスケを!?」
「あっはっは、言うやんけ。そこの横着者も引いてるわ。その調子で、頼むでほんま。」
「マーチンの冗談はわかりにくくて困るよ。」
「フォローしてこいってのは冗談ちゃうがな。ほら、追いかけてぜんぶ食わせなさい、せっかく旨いのにひと箸しか手ぇつけとらへん。
上手くやったら明日はとんかつカレーにしたげるから。」




