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(2)



 ほろ苦いというよりは生臭い思い出に浸っていたときに店主が出してきた、血のように赤い鮮やかな鉄錆色の塊。白地に紺色で精緻な模様が描かれた伊万里の角皿の美しさの印象が目に入らない、ヤバいインパクト。


「これが東近江の赤コンニャクだ!」


 見た目は、まさに巨大な肝から四角く切り出されてきたかのような、肉塊。

 かつて商人の上等な宴席にお呼ばれしたとき、似たものを見たことがある。たしか、テリーヌといった。火が通ったくすんだ色をしていたが、あれも肝を使った料理だった。が、添え物を加えて良い感じの彩りの一皿にされていた。


 こちらのコンニャクには、一緒に煮込まれた鰹節が添えられている。これさえなんだか怪しい見立てのようにさえ思える。スッポンの腹側の甲羅を開いたときに溢れ出た、何か判別も出来ないような……



「ウッ」と思わず口元を抑える女。

「いや、ウチはゲテモノ屋じゃないから無理することないよ。俺が後で食うから別のんにし。」


「いや、食べる。食べたらおいしいはずだもの。ここで克服しなきゃ。」


 赤い塊を箸先で突つく。プルプルしている。案外にしっかりした固プルの感触だ。これならアレらとは違う。大丈夫かもしれない。きっと大丈夫だ。

 漂ってくる臭いも、臭みがなく、いつものお出汁の甘辛い良い匂いだ。

 グッとお腹に力を込め、一切れつまみ上げる。テラリとした光沢は生々しいが、上等そうな皿からお箸を使うという文明行為を通して見ると、じゅうぶんおいしそうに見えた。


 考えてみれば、刺し身を食べられてこれが食べられないはずがないじゃないか。マーチンがいらないことを言ったから身構えてしまっただけ。たぶんお出汁の味でおいしい。これはおいしいものだ。

 と心で念じつつ、思わず目を閉じて口に入れる。



 それ(・・)は口中でプルリと震え、弾力をもって歯を押し返そうとするも ふつりと切れる。同時に、かつおだしの風味がほとばしるように溢れ出る。

 目をつぶったまま、さらに何度か咀嚼する。そして口の中でまだクニクニと暴れる赤コンニャクを飲み込む。


「はぅ……」


 吐息とともに、自然に音が漏れる。その余韻を楽しみつつ、用意されていた酒に手を伸ばす。

 “七本槍80”。後にマーチンから聞いたところでは、お酒は米を磨いてつくるもので、特に上等のものは50%以上を磨きぬいて芯の部分のみ使用するらしい。が、この酒はお米の20%だけ磨き捨てて、残った80%、ほぼ白米でつくった野趣あふれる逸品らしい。


 たしかにズンと力強い味わいだが、野卑さは感じられない。キレイに澄んだ、香り高い、でも高尚にはならず親しみやすい、気の合う仲間に囲まれて守り守られしている、そんな気持ちを思い起こさせる酒だ。


 青磁の酒器もツルンと優しく滑らかな水属性で、聞けば真っ白のシノワの親戚なんだって。一段、格は落ちるけれども好きな人はこちらのほうが好き、という焼物らしい。そうだと思った。私も、好き。

 触れている指と滑らかな器肌の境が溶けあって、重さも感じない体の一部のよう。その先から苦くも辛くもある過去が(したた)ってなお甘い、甘露をすする至福。



「酒の名前は ”賤ヶ岳の七本槍” ってな、後に諸侯に昇りつめる若き7人の(サムライ)の戦物語にちなんで、七本槍。ええ酒やろ。

…で。お口直しにポテトフライと鶏唐でも作ろか。」


「いや、これを食べてからメニュー見て考えるよ。この期に及んで子供扱いは心外だわ。…うん、おいしいから大丈夫。」



 突き出しに出ていた白菜のタイタンもあの湿地を思わせるヴィジュアルだったが、似ても似つかぬ滋味あふれる豊かな草だ。噛むと、最低限の姿をたもつだけの膜がシャリっと弾け、お出汁の味が満ち渡る。そしてまたよく染みたお揚げさんの油の滋味深いこと!

 ブロック状のお出汁であるコンニャク、半固体のお出汁である白菜、そして酒。出汁、出汁、酒! 口福感の底なし沼に一人、頭の先まで沈みつつ(ほの)かな甘さでくるまれた思い出に(ひた)る。

 


 結局、あのクエストはどうにかこなすことができていた。散々に足を引っ張ったが、他の連中はみんな気の良い奴らで、少なくもない致命的なミスの度に自分も役に立てたから最終的には満足が行く仕事だった。

 心の傷になったものごともあったが、今日、人に話して酒と一緒に飲み込んでしまった。こんなに鮮やかに収まるならもっと早くにこうできていたかったものだ。


 彼らもこの店に呼ぼうか。

 デリカシーには欠ける連中なので七本槍の戦士のように高潔な雰囲気にはならないだろう、そこらの酒場の酸っぱくて気が抜けた濁ってぬるいエールがお似合いだし、赤コンニャクより猪の肝の串焼きに塩と酢をふりかけてかぶりつくのがお似合いだ。私とは違う。

 でも、今夜はあの日の奴らに乾杯。



「ところで、月とスッポンって言うなら “月” っぽい料理ってあるのかしら?」


「月ぃ? せやな、月見うどん、月見とろろそばとか、マグロの月見山かけ、とかかなぁ。」


「それは、どういう?」


「生卵の黄身をな、麺のスープやすりおろした山芋に乗っけていただくん。」


「やっぱりゲテモノじゃないの! 見た目がキレイなのは同意するけど、 あれは3年前……」


「四の五の言わずに喰ってみろ超うまいから。うどんかそばかマグロ赤身か、どれがいい。」


「それならマグロで。」


「また赤いナマな塊やけど?」


「いいのよ今日はもうそれで。あと、お酒もおかわり!」



 赤かった空は宵闇に沈み、代わりに赤いランタンの光が表を照らす。出来上がってきたヨランタの頬も、濡れた唇もテラテラと赤い。

 日本酒、そして日本の料理、奥深し。次に出てきた同じ近江の酒「百済寺樽(ひゃくさいじだる)」の盃を両手で持って、クフクフとひとり笑う女の夜はまだ長い。




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