(1)
「ヒマ!」
体の怪我は回復させたが、いまだ心が回復しきれず外に出ることができないヨランタ。とはいえ暇であることばかりはどうしようもない。唯一できる魔法の練習にも飽きて、とうとうマーチンの部屋を漁ることまで覚えてしまう。
私物の本は持たず、雑誌がこの世界にあるわけでもなく、退屈しのぎの手段がない彼女にとって、マーチンの部屋の印刷物は宝の山にも等しい。それに、音楽も合わせれば無敵だ。が。
如何な、枯れた気取りのマーチンとて見られて都合の悪いものはある。幸い、そういうものの多くは電子に移行しているので紙媒体のものは限られるが、それでも大量だ。
紙であるものは、古い料理本、ぼんやり眺めたいマンガ、歴史小説など。そういったものを掘り出しては朝から晩までマーチンのベッドの上でゴロゴロと読みふける。時々、店スペースに押しかけては特に気に入ったアライ=ユーミンを流させながら本の内容についてマーチンに質問して邪魔する。
ついには「出来らぁっ!」が口癖になってしまったニート・ヨランタに業を煮やした男による、外歩き特訓が開始される。
「バレてた?」
「なんか隠してたつもりやった? 出来らぁってんならやってもらおう。」
「えっ、私がお外へ!?」
外の風景が怖いなら、麻袋をかぶって行けばいい。隙間が多くて真っ暗にならないから怖くないだろう。
前が見えないだろうから、胴から手へ縄で繋いで、その縄の一方の端をマーチンが引いて外に出てみる。
「お外、出られたやん。」
「出れてるの?それでも、この恰好はありえないと思わない?」
「うん。困ったもんやね。」
「じゃあ、自分の足で歩かなくていいから、台車で外に出てみよう。」
「なんだか、すごい雑じゃない?」
ガタゴトと青い台車の上に三角座りで、荷物のように運ばれるヨランタ。しかし、少し進んだところで失神してしまっていた。
しかし、やはりこの問題は魔法や呪いの神秘的・物理的な障害ではなくトラウマ問題であると考えて間違いはないようだ。なら、この女の強欲さにかけて釣ってみようか。
「難しいもんやね。少なくともご指定の日までには、それ用の立派な服も買わんならんのになぁ。」
「服!? を、私に、マーチンが買ってくれるの?」
「全然初めてちゃうやん。」
「服を買ってもらうとか、何回あってもいいモノだからね。」
「原資はキミの飲食費やし。あと、例の資金も計画が成功したらまるまる浮くわけやし。
…ほな、これでどうやろ。」
そう言って出してきたのはゴツいサングラスと、鏡。そして靴墨。
その黒眼鏡をヨランタにかけさせ、鏡に向かわせて、低い声でその耳元に囁く。「あなたの名はヨランタではない。ヨ…うーん、どうしよ、よし子。あなたの名はよし子。」
日本のとある歌手は、舞台に上がれないほどの極度の上がり症だったが、サングラスをかけ、ヒゲを生やし顔を黒く塗ることでお調子者キャラクターをつくりあげ、人気者となったことがある。その真似だ。
「ヨシコ……」
「そう。お尋ね者ヨランタではないので襲ってくる敵もいない。だからひとりで出かけても大丈夫。」
「そこは、一緒に出かけるから大丈夫って言ってほしい。ほら、マーチンもおそろいの黒眼鏡かけて。顔に墨もつけて。わぁ、ステキ。これで一緒にお買い物に行きましょう!」
「ウッキウキやんけ。急に、どないしたん。」
「私が生まれた地方では〝夫は花嫁に新しい名前をプレゼントする〟風習があるんだよ。」
「冗談はよし子さん。そんな因習奇習があるものか。」
「顔を黒く塗るほうがよっぽど奇習だよ、墨まではいらないと思う。」
「ん。ドーランはネタなんで、キミが正しい。しかしこれは笑かしではなくジャズをはじめブラックミュージックへの尊敬と憧れ、いやこれはキミにはどうでもええわ。じゃ、顔は洗って出かけようか。お前を連れてランナウェイ。」
*
ヨランタが聖堂の大主教との面会・往診するための衣装を買う。数日後のことなので、今からきっちり仕立てる時間はない。見本品などをできる範囲で調整して済ます方針。
ちなみに、マーチンが魔都の街に足を踏み入れたのは今回が初めてだ。かつて、日本にヨランタを連れて行ったときは言葉が通じなくなることがあった。が、店を離れたマーチンにはこちらの人々の言葉がわかる。不思議だが、ありがたいことだ。
予算は、かつて用意していた〝ヨランタ奴隷落ち救済資金〟金貨150枚弱、そのうちの50枚を充てる。ヨランタの経済感覚は、収入にはうるさいが、支出には有って無いような刹那的スタイル。その財布を握るマーチンも、劣らずのどんぶり勘定。
しかし、高級服屋にぶらりと訪れた怪しい黒メガネの一見親子な二人組、それも妙に堂々としているのに庶民派の身なり、でも、店主にきちんと対応してもらえる予算感ではあった。
結構な時間、トラウマに悩まされていたとは思えないほど浮かれて満面の笑顔の、よし子ことヨランタ。長時間の買い物を終え、衣装の大荷物を抱えさせたマーチンの肘に嬉しそうにつかまりながら店の前まで戻ってきた頃には、すっかり夕刻。
その玄関の前にたむろっていたのは聖堂騎士イザベッラと楽士ルドウィク。
濃いサングラス越しの視界は不自由さが顕著だが、眉間にシワを寄せた目線に驚きと、警戒と、戸惑いを乗せて交錯する。
「なんや、キミら忙しいちゃうかったん?」
「うむ、死ぬほど忙しいのだ。ただ、書類仕事で死んでは元も子もない。たまにはせめて、旨い野菜を食わせてくれ、と従士カヤに頼み込んで抜け出てきた。
マーチン殿、店を閉めて何を遊んでいたんだ!」
「いや、普通にお店は夕方過ぎからやし。あ!……まだ、ちょっと過ぎたくらいやん。ええやん。」
「そう言わず、手早いものでいいから恵んでくれ。」
「まぁ、騎士様に恵んでくれと言われたら。…おい、よし子さん、いまさらなんで隠れてんの。」
「(ヒソヒソ)いまさらでもなんでも、イボンヌは嫌い。」
「ところで、イボンヌとか適当な名前を付けるのは因習的に問題ないんか?」
「無いよ。愛情と小馬鹿にしてるのは違うよ。」
「キミの怖がり方は個性的すぎて理解できんな。
あ、そこのルドウィクさん、戸ぉ、開けるさかい、ちょっとこの荷物持って。落としたら呪われるで。」
「おいおい、楽人の手は生命より大事なんだ、変なもの持たせないでくれ!」
「何故コイツの名は一発で覚えてるんだマーチン殿!」
「あー。イザベッラさん、いや、なに、こっちの都合で反省することがあってな。おらルドウィク、ただの女物の服や。持ったら手がかぶれるとかはたぶんないから。そら、よっと。」
*
「マーチン殿に名を呼んでもらえるのは、不思議にテレるものだな、うむ。
…これは個人的な好意で伝えておくが、あの大主教猊下という女はこの世でいちばん信頼してはいけないタイプの人間だぞ。関わるのは止めたほうがいい。大主教なのに人望がないせいで派閥が崩壊して、残った小勢しか率いられていないようなヤツだ。」
「なんや、バレてんのか。って、えっ、糖尿の大主教さんって女性の人か。うーん、厄介そう。
でも、キミ関係のゴタゴタの後始末なんやからしょうがない。見逃してほしいね。」
「うぅ、私とてこのところ、何が正しくて何が信じられるのか、眠れないほど悩んでいるんだ。だから今日は、神託を受けに来た。」
「そんなメニューは無い。」
「占いみたいなものさ。ヨランタが白か黒か、決めさせてもらうよ。」
「どういうことか知らんけど。それは食べ物で遊ぶうちに入らんのかいな。
…で、今日届いてるメインの素材は……海のお魚、グレ。わぁ、真っ黒。」
「メジナではないか、懐かしい、この時期、旨いんだ!……黒だな。いや、料理なら皮をむくから、白か?」
〝グレ〟は西日本での呼ばれ方。図鑑的には〝メジナ〟の名で呼ばれる。姿は小さめの鯛にも似て、色は全体に青黒い。地方によってはそのまんま〝クロ〟とも呼ばれるほどだ。
が、皮の下は上品な白身。刺身でも、煮ても焼いても揚げても鯛に似て、それよりも少ししっかりした歯ごたえがある。
「これを、半身は刺身にして、もう半身は炊くか焼くかして出そうと思てたんやけど。ヨランタさんもルドウィクも、それでええかね。」
「得体が知れねえ。でも、マスターも狼姐さんも旨いって言うなら。」
「魚を炊く? 食べる食べる!」
「ほんで、お酒は出雲の〝月山〟。高級ではないが、今風のきれいなお酒よ。」
「わぁ、おしゃれラベルだね。」
「うん、洒落てる。田舎の蔵やから大吟醸とか特別版はなかなかこっちまで流通せぇへんにゃけどね。ええ仕事をええ商売にするんは難しいらしい。
〝願わくは我に七難八苦を与えたまえ〟の山中鹿之介の月山富田城があった、月山。って言うたら苦そうに思えるけど、まぁ、味は飲んでみたらええ。」




