(1)
介護生活を通してマーチンとの精神的距離はグッと近づいた。もはや、濃密といってもいい。素晴らしい進展だね!
ヨランタはマーチンの背にしがみつきながら、顔が見えないのをいいことに悪い感じで北叟笑む。
それはいい。とてもいい。だけど、これが都合よく愛だと考えても。恋愛じゃなくて家族愛/隣人愛のジャンルだ。別に、それだってダメではない。ダメなわけじゃないんだ。
でも、せっかくここまで頑張ったのに、私もいい歳こいて娘ちゃん扱いじゃあんまりじゃないか。ご厚意を恵まれて愛を与えられたいんじゃない、愛を乞われて求められて、勝ち取りたいんだ。
……難しいなぁ。恋の駆け引きなんて生まれてこのかた二十数年、したことがない。せいぜい、変な駆け引き。いや、これは余計でした。
いろんな意味で悩ましい気分で、なにか考えているような、ただぼんやりしているような時間を過ごしていると、いつの間にか外は暗く。
蛍光灯のスイッチは、聞かされているけれども立ち上がれないので押せないまま、部屋も闇に沈んでいく。空腹は、お昼ごはんにありつけなかったので限界に近い。体の回復も、栄養が足りていないので思うに任せられない。不便なものだ。
とにかく、身動きとりづらい不自由な状況。お腹が減った、とマーチンを揺り起こしたいところだけど、それをやってしまっては本格的に被保護者になってしまう。冒険中には1日2日食事ができないなんてありふれたことだ。ガマン、ガマン。
お腹がぐぅと鳴るのが伝わらないためにマーチンから転がり離れると、今度は寒くてたまらない。風邪をひくのも困る、さてどうしたものだろう。
考えていると、やにわにマーチンが目覚めてガバっと体を起こした。
…けど、そのまま特になにもなく、たっぷり十秒ほどの時間が流れて、また急に表玄関の戸がシャガシャ鳴らされた!
「店主どの居られるか、なぜ店が閉まっている! 店主殿!どなたか!」
昼にも聞いた、あの声だ。なんて名乗ってたっけ、たしか、聖堂騎士の、イボンヌ? イサベル、だっけ? 今度こそ、居留守でいいと思うんだ。ねぇ、マーチン。
「腹が減った。ヨランタさんは?」
「超☆減ってます。」
「ほな、アレ追っ払って晩飯にしよう。なんやっちゅうねんホンマ。」
*
もう私が隠れている理由もないので、居住スペースからお店スペースまで担がれてカウンター席に据えてもらう。外からの呼びかけがまだ続いているなか照明が灯ると、やっと胸のざわざわがすこし落ち着く思い。
蛍光灯という灯りは、魔導灯ともちょっと違って得体がしれない。マーチンも理屈は知らないで使っているそうだ。
「ひどいではないかマーチン殿! 夜に客として来いと言っておきながら閉めているなんて!」
「言うたかて、その日のうちに来る人がいますかいな。〝後日〟って付け忘れはしたけれども。
あの一幕で俺は疲れ果てたので、今日はお休み。悪いけど、また来てね。」
「余計にひどいではないかマーチン殿! う…恥を忍んでここだけの話、私は肉が苦手で、この魔都に赴任して以来、野菜と魚介が食べたくて仕方がなかったんだ! 野菜料理を出す、って聞いたから…
それに、あの酒…!…極上の酒……無知蒙昧な兵どもに振る舞うのをあの場だけで何度止めようと思ったかわからない。」
招かれざる客が押しかけてきて、勝手なことばかり言ってるな。ほらマーチン、「お呼びじゃないぜ、帰れ!」とか言ってやってよ!
「野菜に、酒。ようこそお越しゃす。今日のメインはお昼にみんな食べてしもたから、適当なのでも良ければ。あと、ヨランタさんを半殺しにした件はちゃぁんと謝っときや。」
えぇっ、マーチンだって散々に脅されて面倒をかけられたのに、そんなのでいいの?って、この高慢ちきな騎士野郎が簡単に謝るはずもないけど。私は許さないよ!
「むむ……いいだろう。呪われしヨランタ、いや、ヨランタ殿。許せとは言わぬ。そちらに譲れぬものがあるように、こちらにも譲れぬものがあったのだ。が、神がお主の言動を是とはしなくとも非ともしなかった以上、こちらのやりようは不当であった。すまなかったな。」
〝すまない〟で済んだら何も済みはしないんだよ、そんなの謝ったうちに入らないんだからね、ムキーッ!…とは言いたいけど、これってマーチン的にはどうなの? 頬を膨らましながら、ちょっと様子見。
「はい、ヨランタさん、ゴメンナサイやって。そういうことやから、ひとまずそれで我慢してあげてね。俺の腹が減ってるんで、シンプルに行こう。
で。今ある食材は…水菜か。京野菜、神さんもええ趣味のセレクトしはる。夏にサラダにしたら涼し気でええけど、旬は意外にも今頃なのよね。」
なんだか、無関心なまでにあっさりと流されちゃってる。アナタだって私のためにコイツラには迷惑をかけられているはずなのに。野菜好きなら許しちゃうの?
え、もしかしてマーチンの中では私が悪いことになってる?そんなバカな。私が被害者!被害者なのだから悪の加害者には誠意ある謝罪を要求する!…なんてみじめなこと冗談でも言いたくないんだけどね。でも、主張しないとダメかな。
私が迷っている間にも、マーチンは即断で話を進める。
「今日は客商売モードじゃないんで、10分以内で用意して俺も食うから。ヨランタさん、そこの紙にマジックで本日休業、って書いて表に貼っといて。」
「私、足も左手も動かないからムリー。」
「じゃあ、そっちの、えー、騎士さんにお願いするわ。」
「名前忘れたの?確か、イボンヌだよ。」
「私は、イザベッラだ、店主殿。小さいのも覚えておけ、イザベッラだ。
…それで、紙に? 上等な紙だな、もっとどうでもいい反古はないのか。それに、マジックだと? 文字を書く魔法があるのか?」
「あぁ、そのペンの名前が、マジック。考えてみたら紛らわしいな。」
無駄口を叩きながらも、マーチンは草を洗ってザクザクと軽快に切って、鍋に湯を沸かしていく。良い手際だ。
それに熱い視線を注ぎながら、騎士イザベッラは無駄に荘重な修飾字体で〝本日休業〟と記して、…「あ、そのテープで貼り付けるんだよ」
わぁ、私、騎士様をアゴで使ってる。気ン持ちいい!
*
「お疲れさん。ちょうどお燗もついたトコよ。寒い外で待たせたからな、いつもの冷酒より熱々燗がええやろ。突き出しも、今日は作り置きから〝選べるお通し〟っちゅうことで。あ、酒器も選んでね。」
いつもの陶器選びタイム。
イザベッラは「我らは清貧を旨とするので、昼間のような華美なものは困っていたのだが。良いのがあるではないか」と、ゴツゴツした厚ぼったい黒を選ぶ。
「マーチン、この人あんな事言いながらしっかりいちばん高価な黒楽選んでいったよ!とんだ欲深坊主だ!いけないんだー!」
「目利きができとる。さすがの貴族やね。」
「えッ、これが高値なのか?」
「まさに武家貴族の清貧を表した黒なんで、貴族用の値がついとる。ええんちゃう?戻さんでええがな。あ、ヨランタさん、タヌキ復活したえ。清貧対決やったらアレ出せば勝てるけど?」
「イヤ。あのお昼のキラキラを私にちょうだい!」
「アレはアレで高価やから割ったら弁償やで。
ところでキミら、そんな離れてたら俺が邪魔くさい。席を寄せ給え。
で、選べるお通しはこちら。
大根葉とおじゃこの佃煮、切り干し大根、おからさん。騎士さんリクエストの青物野菜は後で山盛り出るから、とりあえずは。」
「ワォ、質素!」
「ヨランタさんはだまらっしゃい。こういうちょっとしたおばんざいと熱燗の組み合わせの良さがわからんわけじゃあるまい。」
「いいのか……こういうのを食べても。これは…こういうのでいいんだよ…」
「こういうの〝で〟じゃなくて、こういうの〝が〟いいって言いなはれ、失礼な。うぅむ、大皿並べたおばんざいビュッフェもいいかも知らんな、客がおれば、の話やけど。」
「私・ヨランタはおからさんを選ぶわ。」
「私は……全部ちょっとずつ欲しい…」
「アッ、ずるい!」
「かめへんがな。じゃ、それでね。」
「お惣菜」と書いたのは「おばんざい」の誤り?ではなくても間違いな気がしたので、修正しました(01/22)




