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『当店はユニーク来店者が200人に達しました! 店レベル3の特典は、【有線ラジオ】の音楽を鳴らせるようになります! 以後も鋭意、顧客数を伸ばしてこの地に文化を広めるよう希望します……します…ます…す……』
聖堂の僧兵たちが武装して押し寄せて殺伐とした昼間の店内に、お気楽な神からのお告げが鳴り響く。
「あ、待って。待て待て、阿呆かい。ジャスダックだかナスラックだかが押し込んできそうな面倒は御免こうむる。
せやったらそれより、ヨランタさんのペナルティを解いてもらえへんかね。」
『何故。この都に美食と佳き音曲を広めることこそ我が望み…ぞみ…み……』
「そういうことは最初に言うとけ。いや、美食はええけど。俺はマーチンを名乗ってるけどシャネルよりヒロトとマーシーが、じゃなくて。
料理は、材料がなきゃあパクりようもないからええけど。音楽はどうなんやろ?どないやねん。」
『この店だけで鳴らしたとて、そうそう同じものにはならぬわ。大陸の端に伝播するまでに50年、似ても似つかぬ面白いものになっていようよ。…うよ…よ……』
「いやぁ神さん、そいつは人間を舐めてるんちゃうか。俺は5年以内にはエレキギターではなくとも似た音の楽器を作って、まるパクりも可能になると思う。じゃなくて。
…ほら、ヨランタさんからもちゃんとお願いしなさい。ゴメンて。ニホンに行きたいですーって。」
さっきまで険しい表情でマーチンを囲んでいた僧兵たちは、驚愕と陶酔の混ざったような表情で膝をついて、天上に向かって手を組んで震えている。
ある者は涙を流し、またある者は聖句を唱え、あるいは上半身の服を脱いで より光を浴びようとしている。
その中央で無造作に、マーチンがカウンター裏の足元に隠れていたヨランタを脇から持ち上げて天に捧げるように掲げる。聖堂騎士とヨランタの視線が短時間だがバッチリと合って、お互い思わず目をそらしてしまう気まずい雰囲気の一瞬の後、すんでの差でいち早く我を取り戻したヨランタが唯一動く右手で騎士イザベッラを指さし、叫ぶ。
「それより、私に酷いことした悪人を捌いてください!」
「た、誰が悪人かっ!」
『そのことは我には関わりのないこと。粛々と現世の法にて解決するがいい。
これなる娘の犯したものは罪ではない、傲岸、不遜。我が願いにふさわしからぬゆえ、遠ざけた。だがマーチン、そなたの愛は我が本願に適うもの。ただし愛は移ろうもの。
…ならばこうしよう。もし1000人のユニーク来店客数に達した際、まだその望みが変わっておらなければ、その願い、叶えてやることとする。さらなる言葉は不要。なお励め。…はげめ…げめ…め……』
声は遠くなり、神気も去っていった。心なしか周囲に満ちていた光も減った気がする。
残された騎士たち聖堂勢は呆然としているが、マーチンとヨランタはもの言いたげな顔を見合わせている。
*
いまだ足が不自由なヨランタなので、担ぎ上げられた後も自立できずにマーチンに後ろから抱きすくめられている形になっている。2人とも要領を得ない憮然とした表情だが、そのまま顔を見合わせている距離感はとても近い。
ようやく正気に戻った騎士イザベッラが、その2人を指さしながら顔を真赤にして口をパクパクさせて、なんとか言葉を絞り出す。
「神敵ヨランタ、よくも顔を出せたもの…だ!? あれだけ痛めつけられて、もう治っているのか化け物め。神に見捨てられた屑め。これ以上罪を重ねる前に観念して投降しろ!」
「ハレンチ!」とも叫びたいところだが、先程の神の声が「愛は我が本願に適うもの」と言っていた以上、文句のつけようがない。
しかし。
「あー、騎士さん。さっきの神さんもご自分に関係ないて言うてはったし、ウチの客が千人になるまで様子見にしてくれはる言うてはるし、乱暴されては困るな。
それより、この牡蠣とかはその神さんがくれたヤツなんやで。キミらの神さんと同じ神さんかどうかは知らんけど。」
「我ら聖堂の者が神と悪魔を間違うものか。それに、神は、神だ。神はただ御一方だ。それから、異邦人にせよ〝神さん〟などと言うな。ご近所さんであるまいし、神という一単語で無限の尊崇が含まれているのだ。」
「わぁかった、わかった、知らんけど。ま、そういうことなんで。せっかくやし、ウチは酒場なんで、この牡蠣は酒蒸しにしてみんなで1コ2コずつ食べよ。ウチは酒場なんで。それで今日は問題を持ち帰りにしてくれ。」
「うー、私も!私も!カキ!」
「ヨランタさんはしばらく奥で大人しくしといて。話がややこしくなるから。」
*
気付けに自分で1杯飲み、牡蠣の鍋に酒を足して火をかけ、ヨランタを物置に押し込め、戻ってしばらく騎士たちととりとめのない話をしていると、やがてしっかり火が通って酒蒸しの完成。
ヨランタさんは情婦とかじゃないよ、社会からの放置子の押しかけに居座られたみたいなモン。自分と身内の病気を治してもらいもしたしな。あ、キミらの世の中、奴のアレコレ以前に大概やで、ちゃんとしや。
そんな会話。
あの娘の救出されてきたときの惨状を思えば、ザマミロと言ってやれる苦境に騎士たちを放り込んでやりたい思いもないわけではないが。イザベッラひとりの責任にできる話でもなさそうだし、ヨランタも一方的に無垢な犠牲者だというわけでもない。加えて、そんな手段もない。
はい、イザベラの大将、熱々の蒸し牡蠣。俺が毒見しようか?いらん? じゃ、ハフムシャって食べて。めちゃめちゃ熱いおつゆが飛び出すよ。
あっはっは。やっちゃったね。そこによーく冷えたお酒。旨いやろ。いつでも誰でも、これくらいのうまいもんを頂けるのが神さんの望みなんやて。神さんの考えはることは、いやさ、神のお心の深甚なること我ら凡俗の考えが及ぶところではないよね。
ハイハイ、お付きの人らも。お酒は貝殻に注いであげよう。時ならぬお神酒頂戴のお振る舞いやね。鍋3つとレンジでこさえてるから後ろの方の人は第2弾をお待ち。どや、旨いやろ。女を殴ったやつは後で腹ァ壊すかもね。使徒さま?俺が!? 冗談きつい。そういうのはどっかで大工の倅でも探しやがれボケ。
みんな、酒は一杯ずつ回ったか? 足りひんかったら夜に金持って客で来い。普段はうまい野菜を出してるから。
ん、イザベラさん、何?金払ってくれるのん? 金貨なんかいらん、30人ほどやから銀貨3枚でええわ。ハイ毎度。もう来んでええよ。
いや、来んでええから。帰れ。ハイ、ハイ。
*
「あぁ~。あぅあ~。うぜぇーぇ_え ̄……」
「どうしたのマーチン。大丈夫だった?酷いことされなかった?怪我してない?毒を飲まされたりとかしてない?」
「…ゴニョ……ゴニョ……」
「うん?…なに…明後日までの接客力を使い果たした?」
招かれざる客を奇跡的に首尾よく笑顔で追い出すことに成功したマーチンは、塩1kgを撒いて表戸に厳重に鍵して、ふらふらになりながら何故か物置部屋にやってきて、ヨランタのために敷いていた布団にバタリと倒れ伏した。
ヨランタは部屋の隅で小さくなって震えていたが、マーチンの様子を見て這い寄って、ひとまず無事そうなことを確認して覆いかぶさるように引っ付いて、話しかける。
「うん……うん。…すごいねマーチン。戦わないで、何も失わずにアイツラを追い払えるなんて誰もできないことだよ。神様とかじゃない、あなたの戦わない心と技の素晴らしさだね、好き。…じゃあ、私もマーチンも、もう大丈夫?……わかんないの?」
「もう、後は向こうさんの出方次第。疲れた。もう寝させて。」
「牡蠣は?」
「もう無い。」
「明日、買ってきて。」
「ヨランタさん。キミ、そういうトコやで。俺の心は素晴らしいちゃうかったんかいな。」
「マーチンのお料理とお酒も負けずに素晴らしいから。もしここで「5つ残してあるから」とか言ってくれたら惚れ直したのに!」
「ほな、無くて正解やんけ。しかもなんで5つやねん。ホンマそういうトコやで、勘弁してよ。」
*
この夜、「野菜料理を客としていただきに来ました」とイザベッラが訪ねてきたのは、また次の話。
マーチンの女難は始まったばかりだ。




