お正月の 風の森
「もう、いくつ寝ると…お……正月? この国の暦って、年末年始はどうなってんの?」
「年末って。冬至祭りがあったばかりじゃん。新年は春分だからまだ先よ?」
朝食の後、今日のメニューをぼんやり考えるマーチンと、今日も外に出られないで退屈しきっているヨランタが低いテンションでボヤいている。
日本では、毎年冬至すぎ、昔は寒さの底を終える立春の暦あたりを1年の終わりと始まりにしている。そういうことを説明すると、
「いま時分にお祭りしたって寒いばっかりじゃん。日本は寒くないの?」
「日本かって寒いよ。ユメさんの青森なんか雪が2メートル積もる。」
「そんなトコでお外で酒飲んだら死ぬじゃん。ニホンには死んでも生き返る道具があるの?」
「無いって。祝う他にできることもない季節に祝っておく感じやね。春とかなら、祭りじゃなくても遊んで騒げるでしょ。」
なるほど? と微妙な顔で首をひねるヨランタに、マーチンが続けて言う。
「そういうわけで、日本ではもうすぐ新年の祝日になるんで、ユメさんも挨拶に来てくれるってさ。」
「おぉっ!」
「せやけど、こっちの世界まで来てくれとは言われへんので、京都まで来てもらった先は俺から出向く。ついでに実家と、古い友人との付き合いとかもあるから、2泊くらいダラダラしてくるんで、その間この店は閉める予定。」
「ふーん。……え?」
「なんで、ヨランタさんはお留守番。かしこくお留守番できるかな?」
「なんでなんで! そんなときこそ妻も一緒に挨拶するべきでしょ!」
「誰が妻やねん。キミは日本に行こうとしたら消えてしまうでしょ。ステイ。アンド ハウス。」
「気合で! 気合で渡ってみせる!」
「買い言葉で反応するんはやめときなさい。多少食べ物はつくって置いていくし、お酒はあるし、お湯とか多少の料理のやり方は教えたでしょ。あと、何かあるかな。ま、2,3日や。たとえ飢えても死にやせんよ。」
「きぃーっ!」
*
マーチンは行ってしまった。店の表には「რამდენიმე დღით ვისვენებ ვითარების გამო.(都合により数日お休みをいただきます)」と私がこの国の文字で代筆した張り紙を出している。
主が留守にしている店はしぃんと静まり返って、いつもと同じ部屋なのになんだか薄暗い感じだ。ここにいるだけで打ちひしがれる気分。すごくつまらない。
男の帰りを待つばかりの現地妻。まさか、自分がそんな立場になるなんてね。
……あぁー、浸った、浸った。暗い恋歌を口ずさんじゃったりね。
こんなじゃあ、ひとりでお酒を漁ろうというものだわ。
さて、留守中は冷蔵庫の中のものとお酒棚のものは「節度を守って常識の範囲で」好きにしていいと言ってもらっている。この建物は、いまや私の王国だ!ヒャホゥ!
お酒は、いつかの松の翠があるぞ。おいっしいんだよなぁ。お、これは乾坤一だ。その薄濁りバージョンだ。見るだけで脳がよだれを垂らす感覚。篠峯の澄んだやつもあるぞ。これにしようかな、いそいそ。雨後の月、月山。これは知らないやつだ。…ん、何だこれは、隠してあるぞ!
立派な化粧箱だ。高級感がある。でも、ためらいなく開封。銘柄は〝風の森 ALPHA 4〟。
明らかに隠してあったけど、ダンジョンに秘されたお宝の匂いがする。胸がドキドキしてワクワク。ふふん、これはスペシャルだ。絶対おいしいやつ。
と、なれば、マーチンが用意してくれたチーズちくわ/きゅうりちくわがお供で良いはずがない。きっとなにか良いものがあるはず。表面が虹色に光るお刺身とか。カッコいいお肉とか。柔らかいお野菜とか。
冷蔵庫を開く。いろいろある。でも、長く開けているとマーチンは怒る。冷気が逃げるから、らしい。でも今はマーチンがいないから時間をかけてじっくり選べる。ふふーん!
卵。今なら卵焼きを何度でも練習できるぞ。でも、今じゃない。…お刺身。考えてみれば鯛をたくさん食べたばかり。もうちょっと心に飢えがある時にしたいね。…お肉。ローストビーフの塊。わぁ、わぁ。
バタン、と冷蔵庫の扉を閉めて、バクバクいう心臓とクラクラする頭を鎮める。もし、だよ。もし、これを切り分けたりせずに横から直にガブリと喰らいつく、あの夢を叶えられたら。叶えたい。叶えるとき。それは今か?
深呼吸して周りを見渡す。高級そうな酒瓶が目に入る。そうだ、これじゃない、今じゃない。今日は、高級がテーマだ。
多少の未練はあるが、マーチン不在は今日だけじゃない。まだチャンスはある。今は、他を探そう。再び冷蔵庫を開く。
おや? 上の方に箱がある。踏み台を持ってきて、取り出す。美しく塗料と螺鈿で彩られた重厚な木の箱だ。否が応にも期待が高まる。開く。すごい! 色とりどりの見事なごちそうだ。エビ、肉、魚、鶏料理。黄色いフワフワは卵料理だろうか? 野菜のタイタン、よくわからないもの…の中にコンニャクも。隅っこにきんとんまである。
これこそ、ダンジョンの至宝に等しい、最高のお酒にふさわしい大ごちそうだ。マーチンありがとう、愛してる。
酒器は何がいいだろう、箱の内側の赤色に合わせて、これにしよう。たしか、赤楽。鮮やかな赤ではないけど、手元にあるぶんにはこれくらいの色が安らぐ。
お酒は、ちょっと変わった厳重な栓で封されている。真澄の上等のも、こういう栓だった。ふっふっふ、これしきで私を止めることはできないよ。グルグルと封印を解いて、ぽんㇷ!勢いよく栓が飛ぶ。瓶の中でシュワシュワ音がする。なるほど、こういうタイプね。
瓶は小さめの四合瓶なので、片口は省略して大ぶりのぐい呑みに直接注ぐ。トク、トク、トトトト。しゅオォォォ。おぉー。泡々の感じが強い。もう、何もかもがもどかしい。かの来所は後ではかります、いただきます。
至福。佳絶、荘重。
お酒には、親しみやすい楽しんで呑むものと、モッタイをつけて有り難く天地に跪拝する思いで呑むべきものとがあるね。マーチンが「ありがたがって飲め」と言うときとそうでないときの違いが、私にもわかるようになってきた気がする。
「旨いものを語る言葉なんて無い。人間、旨くないものを口にするのは命に差し障る問題やから、本能で原因を捜りもすれば改善策を探しもする。でも隙なく旨いものは、ただ魂がひれ伏すばかりなんよね。」
マーチンの食レポが雑なことを非難したときの彼の言い分だ。なるほど、脳がとろけているのだから言葉など生まれるはずもない。
箱入りのお料理も最高だ。これほど良いものをいただけるなんて、私の人生は間違ってなかった。
〝親しみやすいごちそう〟なら、仲間と一緒にワイワイ楽しみたいものだけど〝ありがたいごちそう〟は、こうやってひとり静かに豊かにいただきたい。
あぁ、最高だ。
*
そして全てが無くなった。最高は初日に消費してしまったけれど、2日目の次善のものたちも劣らず最高だった。マーチンは今頃ニホンで何を食べてるんだろうな。そういえば、なんて言ってたっけ。
「立派な箱の中のものは毒抜きをしないと食べたら死ぬから、まだ絶対に手を付けるな。」
とか、出発前に言ってたっけ。
……あ。……やっちゃった。頭がスパークして全てを忘れてた。いや、私に毒は効かないよ。って、そういう問題じゃないよね、食べたらダメって脅しだったんだよね。あははー。どう言い訳しよう。
さらに翌日の日中。マーチンが予定通り帰還。
「ただいまー。ヨランタさん、生きとるか。
…ん、泣いてるん!? どうした、何があったんや、こんな荒れ果てさせて。」
「うっ、うっ、グスン。実は。…マーチンの大事な酒器を割ってしまったので死んでお詫びしようと、毒だと聞いた箱のものを平らげたのですが、いまだ死にきれません。うわーん。」
薄暗さに目が慣れてきたマーチンが見たものは、うちひしがれて身も世もなく落涙するヨランタ。そして転がる、四合瓶で一本八千円だった酒の空き瓶と、これまたカラのおせちのお重。そして砕けた(砕いた)信楽焼のポン子ちゃん。
「はぁーっ、偶然なのか何なンか、斬新極まる無敵の言い訳をありがとう。まさか、そんな手口を実際に見せられてこんなに楽しい気持ちになれるとは思わなんだわ。
コ気味良い話じゃあないか、
ロマンさえ感じる普遍的で
ステキな展開に心が震えた。
ゾウモツをぶちまいてやろうか。
…待て、逃げるな。どこへ行こうというのかね。
嘘、嘘、ちょっと最後に何かがあふれただけ、怒ってへんよ。許してあげるから、仲直りの宴をしよう。俺は買うてきた上等の写楽で、キミはガブガブくんで乾杯。酔いつぶれたら箱に詰めて教会の玄関先に捨ててきてやる。さあ飲め。吐き出すことは許さん。コラ待て横着者。逃すものか。」
「あっはっは、ごめんね、許してぇ~」
「空き瓶でどつくくらいで許してやるからそこで待て。反省する気ぃ自体ゼロやんけこのボケ、コラ待て!」
そろそろちょっと話を進めるべく、軽く重めの展開を入れるつもりではありましたが、年末の締めにはふさわしからぬ感じなので、ここで閑話をひとつ。
閑話といえばもちろん全てが閑話ですが。
そんなお話ですが、来年もよろしくお願いします。




