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結局、ヨランタは騒動のほとぼりが冷めるまで自主謹慎していることになった。
もちろん、素直に聞くヨランタではない。が、マーチンが「開店までの時間はハッピーアワー・ドリンク3割引」を提案したので、パック酒制限解除も条件につけて謹慎を受け入れさせることに成功。なんでお前が偉そうなんだ。微妙に釈然といかない男たち。
…だが。
「ねー、マーチーン、ひまー。遊びに行こうよう。」
「そんなに遊んでられっかいな。1人でおとなしゅう遊んどき。」
「小さい子供じゃないんだから。じゃあ、何か仕込みを手伝うよ。何でも言っちゃって。」
「申し訳ないが、キミの悪評が足を引っ張ってる。〝ヨランタお手製〟ってバレたらお客さんが引く。普段、何やってんのん。」
「むむむ、じゃあ、日本に仕入れに行こうよ! 荷物持ちでも人力車引きでもするからさ!」
「出町柳に人力車引きがいるかいな。
……あ、キミ、例外が認められなくなったんやったら服とかも、こっちのモン持っていかれへんようなっとるんと違うか。」
「パジャマがあるじゃん!」
「パジャマで出歩いたら警察に捕まるわ。そのうちジャージでも買うてきたるさかい、ちょっと我慢…いや、ひょっとして今度こそカップ麺みたいに体ごとドロンと消えてしまうかもしらんやん。」
*
基本的にこの店の飲食物は、魔都に持ち出すと消えてしまう。先日の店のレベルアップにより、缶詰だけは魔都への持ち出しが可能になったが、屁理屈をこねて缶詰にかこつけてその他のものを持ち出そうとすると、基準が不明ながら容赦なく消えてしまう。
しかしマーチン本人と、その服、掃除用具は店先の掃除のために気軽に魔都へ出入りしている。今までこのことを特に不思議にも思わなかった。ちなみに、魔都を遠くまで散策したことは今までに一度もない。明らかに界隈の治安が悪くて物騒だからだ。
こちらの世界出身者のヨランタは、普通に日本に渡って散策を楽しんだが、考えてみれば蛮勇であった。今回、例外は許されなくなったと明言されてしまった。これが服だけの問題なのか、あらゆるお目溢しが解除されたということなのかがわからない。
最悪、前回と同じノリで2人で日本に渡ったら、最初からヨランタなんてこの世にはいなかった、なんて雰囲気で彼女の存在が消えている可能性も低くはない。
マーチンの発言は何とは無しの軽口だったが、ヨランタは顔色をなくして息を呑む。発言者も、言ったことが穏やかでないことに今更気付いて居心地悪げに肩をすくめた。
「じゃあ、マーチン、私の爪と髪を持って日本に行ってみてよ。これが消えちゃったら、おとなしくするよ。」
「相変わらず、泉のように悪知恵が湧くこと。うわ、見た目エグいな。」
回復術師兼呪術師がさっくりと作ったものは、爪の切りくずを髪を三つ編みにした細い束に植え込んで仕上げに血を一滴垂らした、おどろおどろしいアイテム。これをマーチンの右手の小指に結びつける。
「こういうことするから一般人に気味悪がられんねん。別の変な呪い、かかってへんやろうな。」
「大丈夫だってば。行ってらっしゃい。」
*
「消えてしもうた。ホラこの通り。」
「……そう……」
マーチンが1人で坪庭の鳥居をくぐって、待つというほどの間もなく戻ってきて、右手を広げてみせた。取り乱しはしないまでも、さすがに顔色を失っている。
対するヨランタ。マーチンの顔色の悪さの理由の幾分かは、この結果を見たヨランタがどんな思いもよらぬ厄介な反応を示すものか、怯えに近い警戒心を抱いていたためでもある。が。
怒るでもなく、落胆するでも悲しんで見せるわけでもなく。
「手間をかけさせてごめんね、ありがとう…」
無表情にそれだけ言って、至って普通の様子で物置部屋に戻っていった。
なんや、ビビリ損かいな。
可愛げのある反応を期待していたものではないにせよ、本来ならヨランタが静かにしていてくれるのはマーチンにとって願ったりの事態ではあるはずだ。なのに、心が波打つ。
とりあえずは習慣として仕込みを終わらす。最近はほどほどに客の入りもある、ともいえないほどにささやかではあるので大した量でもなく、昼前には終わってしまう。本当に習慣としての意味合いが強い。
いつもの習慣であればそのあと、のんびりと昼寝して、夕方に開店準備。酒場といっても日をまたぐほど遅くまで客が来るはずもなく、日没後数時間もすれば街は眠りにつく。大抵は、それで店を閉めてしまう。
ルーチンをこなした深夜、それでも出てこないので、これは、あの女、どうやら本格的に落ち込んでいるらしい。と目星を付ける、が。泣く女をなぐさめるなんて面倒はお断りだ。
ヨランタ部屋の扉は鍵などかからないが、ノックして声をかけても応えがない。でも腹が減ったら出てくるだろう。出てきたら優しくしてやろう。
そのまま2日。
「なぜ、優しくしてくれない!」
昼間から妙にケロリとした表情で登場。キッチンで何やら用意しているマーチンに詰め寄っていく。
「おぉ、ヨランタさんおはよう。扉の前に置いといた缶詰とパック酒が減ってたからね。2日間、素食に耐えてよく頑張った。感動した。ところでトイレはどうしてたん。」
「魔法で頑張れば…ギリギリ今までは。でもそういう問題じゃないんだよね。わかる?なぜわからない?」
「知らんがな。言いたいことがあったらその都度、言いよし。」
「言えないことがあるんだよ!!!!!!!!」
急な金切り声にビクッと体が跳ねるマーチンだが、これだけ叫べるヨランタなら心配は無用だ。落ち着きを取り戻して問い直す。
「やくざ者の気持ちなんかわからん。で、どうしたいの。」
「なにを、どう………それよりマーチンのそれは、何してるの。」
「お米を研いでいる。ヨランタさんも食べる?」
「お米…ご飯……お酒は……」
「もちろんOK。マナーは良くないが、人目を忍んで炊き込みご飯や海鮮丼で酒を飲む旨さも堪えられん。糖尿にも気をつけて。」
「それは?」
「ちょい、お待ち。
その間に、これを食べながら待ってて。」
*
言いながらマーチンが冷蔵庫から取り出したのは、鯛の刺身の短冊。それをスッ、スッと包丁で切り分けていく。
魚肉の美しい乳白色と紅色が清楚な花の花弁のように切り分けられ、見事に盛り付けられていく。全面深緑な総織部のお鉢に白い大根の剣との色組みもキレイ。
鮮やかな手並みも魅力的ながら、眼前に広がる魅惑のお造りに、とめどなくあふれるよだれをゴブンゴブンと飲み込み続ける。
今回、粗食に耐えてたのは望んだからじゃなくてマーチンの意地悪のせいだ。悪い男だ。でも、このお鉢を前にして拗ね続けるのは無理。本当に悪い男だ。
「全部は食べなや。半分は残しとき、俺も食うし、他にも使うから。それからお酒。日本盛・大関は最大手の蔵元なんやけど、それで日本を代表する〝灘〟の印象を悪くしてもらっちゃ困るから、いま最もこれぞと思うお酒を出してあげよう。
〝仙介〟の大吟醸。飲んで恐れいれ。あ、酒器も気合い入れて選べよ。」
そんなことを言われても。あ、これ、綺麗。前にはなかったよね。最近追加した?
「ああ、白磁・蛍手の。女子供に受け…子供にはアカンか。いかにも女の子向けの。俺も良いものや思うたから仕入れたモンやけどな。うん、きれいな酒器にきれいな酒、ええんと違うか。」
真っ白・滑らか・薄手のシノワだけど、穴が空いてるのかと思ったら透明な釉薬でガラス窓が空いたみたいになっている可愛らしい器。
わぁ、わぁと声を漏らしながら掌の中で上から下から眺めて、漏れる光の綺麗さに魅了される。女子供扱い、大いに結構。男だからって照れながらも、良いモノだからマーチンも仕入れたんでしょ。素直じゃないんだから。
「ハイ、仙介。」
片口の方も愛できる前にマーチンがお酒を注いでいく。「ニホ~ンさっかりッは良ぉいおっ酒~」とかなんとか口ずさんでいるのは、どうもいつでもちょっとズレている彼が誰に何を気遣っているのか、その気持の奥までわかろうはずもない。
ただ、その香りだけで天から花が降り地から雨が湧き上がる、約束の楽園の風景を幻視するほどにときめく。あぁ、飢えすぎだ。ものを考えるのは、この飢えをなんとかしてからだ。




