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お酒〝まんさくの花〟を、花にも負けない鮮やかな交趾焼でいただいている。
アテは、菜の花のおひたし。唐津焼の草模様の小皿にちんまりと盛られて可愛らしい。枯野原色の皿の上に濃い緑、その穂先は花の蕾になってうっすら黄色く色づき始めている。それの、湯掻かれたものにもお箸を伸ばす。
うぅむ、こんな、いかにもな草がこんなにもおいしそうに見えるのは、ニホン料理に染められきった証かもしれない。
〝おひたし〟という料理は、そもそもは青菜をお湯にひたしただけのシンプル極まりないものだったとマーチンは言う。それを鰹節とお醤油で食べたり。ただ、お店でお金を取るにはそれだけじゃアレなので、お出汁に浸したりキノコやらユバ?やらちょっとしたものを添えたり、一手間かけるのが今では主流になってるとか。
今、とか、かつては、とか彼の話は時制が私基準じゃないのでなんとも言えない。
人社会臭いややこしいことはどうでもいい。薄暗い店の中、まずは、お箸でつまんで、食べる!
シャキ、っと、瑞々しい歯ごたえが出迎えてくれる。
白菜や大根を煮込んだものとは違う、直に命が口中で弾けている感触。冷たさも、キリッと締まった味わいを引き立てている。そして青臭さが至福を感じるほどおいしく感じる。
鹿や羊にでもなった気分だ。確かに、戦士たちがこの味わいをわかってしまっては験が悪いというのもわかる。
そこに、熱燗のお酒をひと口。冷えた口中に熱が流れ込み、草と鰹節と醤油の後味を一体にして押し流す。
うん、人の仕事も、天地自然の働きのひとつだ。だって、こんなにおいしい。
*
「落ち着いた?」
「おっちついったぁー。フぃ~。じゃあね、次は……かゆい。」
「ん?」
「温まったら、冬の初めとはいえ10日放置した体が痒い。やっぱりお風呂入ってきます。」
「ゲッ、蚤や虱はおらんやろうな!」
「それは常に呪殺してるよ。それより、お風呂上がりに何を食べよう!」
トンカツ、いや、このおひたしはもう一皿ほしい。なら、よく合いそうなお刺身? 天ぷらや焼き鳥も素敵に合うだろう。そうだ、今日のおすすめは何かな?
「今日珍しく仕入れたのは、羊肉。それを小鍋で出そうかと思うてた。味噌味。」
「えぇー、羊かぁ。」
「ん? あぁ、親羊と違うよ、仔羊肉。まぁ、牛豚よりはクセがあって好みが分かれるらしいけど…」
「うそっ、ラム肉? お祭りでもあったの?何!何!?」
「いや、別に?…強いていえば…ヨランタさんおかえり祭りということにしとこうか。」
「ま、ままままままなにを言ってんのうっひゃあ、じゃ、じゃあ、念入りに湯浴みしてきますから出てきたタイミングでお願いね!」
「あいよ。……しかしそんなにラム肉好きやったか。レパートリー無いから困るなぁ。」
*
お風呂。そんなに汚れているつもりはなかったのに、シャンプーさえ泡立たない上にお湯で流せば何かわからない細かいものがポロポロ落ちて戦慄する。
後で、自分が座っていた椅子あたりキレイにしなくちゃ。男どもとか普通にもっと汚いだろうけど、だからといってマーチンの前で同類に堕ちるわけにはいかない。もし同類と思われてるのなら、そうじゃないことをアピールせねば。
断食は10日ほどとはいえ、お腹はちょっとスッキリした気がする。それでいて、胸は昔より大きくなってる、はず。これならひょっとしてマーチンを誘惑することも夢じゃないかも。パジャマのボタンをひとつ空けていこうか?
言ったとおり念入りに体を磨いて、トプリと湯船に浸かる。ふぅ。体のこわばりがほどけて、断食瞑想で入ってきた小動物成分、恐怖感・警戒心なども溶けていく気がする。溶けてもいいのかな? 痩せたから、一定の効果はあったことにしよう。
獣臭さが抜けたぶん、人臭さが戻ってきて思考が乱れる。
ラム肉は特別好きというわけじゃない。大人になってから何度か食べたことはあるけど、庶民にはお祭り限定の大ごちそうなので子供の頃には決してありつけなかった悔しさというか、憧れというか。
お金を持てるようになって貴族との非公開の縁もできて、贅沢も覚えた。でも、心の飢えを満たしてくれたのはマーチンの料理だけだ。ああ、一皿食べたせいでお腹が減ってたまらない!
もう急いでお風呂を上がりたいところなのに、体の疲労も目覚めてきて立ち上がることが難しい。どうしてくれようか。
結局、入浴最長記録をダブルスコアで更新して、多少のぼせながらお店スペースに戻る。
「いいお湯をいただきましたー。おや、他のお客さんも来てるね、いらっしゃいませー。」
「なんでキミが挨拶すんねん」なんてマーチンは律儀に反応するけど、居住スペースからパジャマで出てきたお風呂上がりの湯気をたててる人物なんて明らかに内縁の関係者でしょう。うふふ。
パジャマはセクシーに前を全開けにしようかとしていた寸前、他のお客さんがいることに気付いて普通に着直した。ちぇっ。
でも、そのお客はこの店には珍しい女性。しかもテーブル席に3人、みんな知ってる顔。ジグの女No.3と8と11。桃缶売りのお得意様でもある。そして彼女はパンケーキをミカンとクリームで飾ったものを嬉しそうに突いている。
不思議に、ジグの女たちはみんな仲が良い。私なんか、違う女がマーチンのスペシャルスイーツを食べているだけで嫉妬心に駆られるというのに。
それにしても、女性が集まって甘いものを前にしていると、それだけで違うお店みたいに華やぐ。勝てる気がしない。〝夜の女〟と〝闇の女〟、語感は似てるのにどうしてこうも違うのだろう。まさかとは思うけれど、マーチンを盗らないでね。
「あっ、ヨーラちゃんホントに帰ってたんだ!〝ヨランタさんおかえり祭り〟のごちそうのご相伴に預かってまーす!」
「あ、はーい。桃缶もよろしくねー。」
「え、混じらへんの? カウンターに1人?」
「マーチンさんよ。肉鍋をもってスイーツガールに混じったら顰蹙でしょ。あと、おひたしももう一皿! ごまドレッシングをかけてもおいしいと思うのよ。」
「あぁ、そうやね。マヨ醤油とか、中華ごまドレッシングとか、わりと何でもいける。」
「最高じゃないの。いろいろ試せるようにお願いします。それと、お酒のおかわりもね!」
*
いまだグラグラ煮えている黒鉄の小鍋が肉の香りをふわりと広げて、取り皿になる織部焼の小鉢とレンゲスプーンとともに目の前に出てきた。
鍋にはニラにキノコにもやしに、羊肉。味噌にごま油、ちょっと垂らされたラー油の辛い香りも飢えたお腹を痛いほど締めつける。
この中に菜の花を入れてもおいしそう。羊と草を一緒に食べるという発想はちょっと倒錯めいた面白みも感じる。鳥肉と穀物とか、仔牛のミルク煮とかも、そんな感じかな。考えてみると猟奇的だね。でも、猟奇でも好奇でもいろいろ楽しみを選べるのは、天然自然ばかりじゃない人の営みの成果だ。
「新しいお酒は、同じ秋田の〝山本〟。甘酸っぱい系やけどちょっと独特の個性的な香りがある。そこが俺は好き。試してみ。」
お風呂上がりにグツグツいう鍋の隣なので、よく冷えた冷酒を同じ黄交趾に注いでもらってる。うん、と軽く頷いてひと口。あっ、爽やか、香り高い。強い。調子に乗ったら「私、酔っちゃった…」みたいになるやつだ。マーチンに効かないのは先刻承知だけど。
そのまま、お鍋にもチャレンジ。はふ、ほ、へふ、へふ。おいしい! そしてお酒。おいしい! さらに菜の花。おいしい! 菜の花と羊肉。おいしい! もう一度お酒。おいしい! 語彙が死んでるのが自分でもわかる。でも、おいしい。お酒の個性も、あってもなくてもおいしい。仕方ないじゃないか。
「もう、何もかもがおいしいね。お酒も、飲み比べしなきゃ。」
「彼女らみたいな甘物も作ろうか?」
「う?ーーん、いや、せっかく痩せたばかりだから、今日は遠慮するよ。明日の朝食にパンケーキってアリかな?」
「凝った甘物でなければ。バターとシロップ味とか?」
「じゃ、それでお願い、いや、私が作りたい、教えて!」
「遠慮を覚えたかと思たら踏み込んでくるなぁ。あ、桃缶のバター焼きも添えていいか。バターの塩味が意外に合うのよ。」
気がつけば、ラム肉の香りに誘われたジグの女たちもすぐ後ろで目を爛々と炯々と光らせている。
やっぱり、おいしいものは強い。今までの戦士たちには〝自分で料理する〟という発想がなかった。でもこの女たちはそれなりの収入と料理技術があって、学ぶ態度がある。あ、私の立場がヤバい。美女たちの媚の目、すごい。
「客にいちいち教えてられるか。散れ、散れ。ヨランタさんに教えとくから、後でそっちから聞いてくれ。」
おぉ、美女の誘惑に負けない男マーチン。若干顔が赤い気はするけど、あらためて惚れ直すね。あとは、私次第だ。ウッフン❤ これは古いか。
「何をやってんの。鍋が冷めへんうちにお食べ。」
はいはい。でも、いつまでも私がこのままだとは思うなよ。




