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第2部 開始★ 転移酒場のおひとりさま ~魔都の日本酒バル マーチン's と孤独の冒険者  作者: 相川原 洵
菜の花 と まんさくの花

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(1)

 生まれ変わったように体が軽い。


 身は薄暗い洞窟の中にあっても、心は広々と、水木(ミズキ)の果実に集う小鳥たちと交わり、糖の香りを放つ(カツラ)の古木を駆け上がり、霜が降りた楓木(フウノキ)の赤く色づいた葉を愛でる。



 これが何の役に立つのかといえば、人として生きるためにはまるで無用だ。

 遠くの風景を見られるのは有用なようだが、魂をむき出しにしているので、人どころか獣レベルの思考に晒されても自分の人格に響いてしまう。人間の悪人たちの企みなんて探りに出ようものなら、魂がヒヒ爺ぃに同調して染められてしまう。

 小鳥や虫の程度の思考なら、いつでもお腹が減ってたまらなくなるのと敵が怖くてたまらなくなる、季節によっては繁殖行動をしたくなるくらい。


 一応、色んな人と接して濁った心の一部を虫や小鳥や木々レベルで染め直して、純粋というかバカというか、そういう気持ちを維持する効果はある。

 純粋って善性ではなくて欲深の方に作用しやすい。群れの小鳥や木々の共生の性格は人の善性に近くても、根っこは生存戦略なのよね。

 私は欲に正直な動物的人間だからこういうことも楽しんでするけど、世の中のもっと真面目な瞑想と同じ言葉を使うのは申し訳ないような。文句は、地獄に堕ちてるだろう故人の師匠まで。



 何日くらいボンヤリしてただろう。ビールは早々に、カンパンも食べ尽くして、人の街に戻るためにスパム缶を空けてナマグサ刺激を身に取り入れる。


 素朴なソーセージを軽く焚き火で炙って、ペロリと食べる。あぁ、柔らかいお肉と香辛料。

 やっぱり、人は人の文明圏にあってこそだよね。昔は思いもしなかった感想が今の心にひらめく。


「とんかつ食べたい!」


 思わず声を出して立ち上がる。周囲の玄妙な空気があっという間に霧散してしまって、香ばしいソーセージの匂いにつられた地鼠も逃げ出す。

 キッツいお酒も飲みたい! トンカツもいいけど、天ぷらもいい。肉豆腐もいい。ありつきそこねたスキヤキというのもお願いしてみようか。甘いパンケーキもつくってもらおう。


 ソーセージを収めたばかりのお腹がグキュぅと泣き出す。あっという間に、欲に正直なおバカ娘モードだ。最初からかな?

 そうと決まればグズグズしていられない。軽くなった荷物をかき集めて、焚き火の始末だけはちゃんとしてから走! …ろうとして、膝がグニャリとしてすっ転ぶ。


 断食で体は弱まっている。3日分の用意で倍以上の日を過ごしたんだから、そりゃ、そうだ。予定外に本格的な断食をしちゃった。転んだ拍子に胸骨にヒビが入ってる。両膝と右肘と手のひらもすりむいて血が出た。けど、回復魔法であっという間に回復。あぁ、びっくりした。

 服は裂けちゃった。あちゃあ、これを貧乏くさくなく補修するのは高く付くぞ。いっそ、日本の服を持ち出せるようにはならないかしら。


 そういえばマーチンは服を着たまま普通に外に出てたわね。逆に、私もこちらの服のまま日本に行けた。ぜひ試してみよう。




「ただいまマーチン!」


「どなたさんで?」




 すっかり日も暮れた丹噴町(メルクリアリス)通りに赤いランタンを掲げた、相変わらずの酒場。引き戸を勢いよく開いたヨランタが、心ない一瞥(いちべつ)を伴うひとことを受けて固まる。


「あ、あの、ヨランタです。えっ、と、物置部屋を寝床にお借りしてました、えと、…」


「あ、ヨランタさんやん。おかえり。あれ、そんな顔やったっけ? なんか雰囲気変わってて見間違えたわ。結構時間かかってたけど、すごいね断食。」


「んも、もう!驚かせないでよ! …顔、そんなに変わってる?いつからぶりだっけ?」


「10日ほどやね。お店空間の翻訳機能の効きが遅れたくらいには何か変わったんと違うか。

 どうする、先お風呂? とんかつ?」



 一瞬の緊張の後、すっかりいつも通りの調子をマーチンの側は取り戻した。が、忘れられかけていたヨランタとしてはアハハーと済ませられる問題ではない。

 心臓の動悸が激しくて貧血を起こしそうだし、小刻みな震えが止まらない。


「あ、そうね、10日、10日も森だったんだ。じゃあ、お風呂入ったほうが? でも、その間にまた忘れ去られたら…それに、いきなりお風呂って厚かましくないかな?でも、臭くなってないかな、土埃とかも体じゅうに……」


「なんや、遠慮覚えたらそれはそれで面倒くさいな。じゃあ、熱燗一杯飲んでお風呂入ってき。別に臭くはないし、むしろマイナスイオンが吹き出てる感じはしてる。けどホコリっぽくはあるかな。」



 しゅうしゅうと湯気が立つお湯に、魅惑のお酒が注がれた銚釐(ちろり)が浸けられる。ああ、外気はもう冷たかったんだ、私は、凍えていたんだ。

 熱を感じて、いまさらにブルッと震えて上着をかき寄せる。


「寒い?」

「大丈夫。寒いまま温かい最初の一杯を楽しみたい。」


「んー、ろくでもない酒呑みやな。

 今回のお酒は、米どころ・水どころの秋田の気取らないながらきれいに澄んだお酒、〝まんさくの花〟。まんさくの木ぃは知ってる? こっちにもあるのか知らんけど、春前に黄色くてチョボチョボした花が咲くあんまり大きくはない木。ま、知らんでも関係ないな。


 そして今日の突き出しは、初物の菜の花。こういう花はこっちにもあると思う。これも春先からの花やね。その蕾ができ始める頃の先っぽの方をいただく。

 カブも白菜も、ブロッコリも人参も全部仲間で、だいたい同じ黄色くて小さい花がつくけど、おひたしにするのはおひたし用の菜花(なばな)やから。他のんが食えるかは知らん。」




 小鉢には鮮やかに濃い緑色の草たちが上品に盛られてる。晩秋の枯れていく野原と一体になっていた身には涙が出そうになるほど愛おしい緑。こういうの、どこからどうやって収穫してるんだろう? 詳しく聞いても仕方ないけど。

 それより、まずはお酒!


 酒器は黄交趾(きコーチ)の煎茶碗。ピカピカの磁器に鮮やかすぎるほどの黄色に鮮やかすぎるほどの緑の唐草模様のキレイすぎるような、ちんまりした器だ。これは?マーチン。


「それは、キミらの言うシノワの焼物のちょっと未来の南国バージョンになるかな。天然素材では出しにくいべったりした派手色を実現した異国趣味のモン。今となってはオモチャっぽくも見えかねへんけど、それも味やね。キミらには珍しかろう。」


 うん。黄色いつながりで選んだだけでした。明らかにマーチンの趣味じゃないのに、最近ちょっと丸くなってるのかな。でも私は好き。お酒を注いだ姿も良い。

 では、いただきます。



 やっぱり日本酒はいい。10日ぶりのお酒が体に沁みわたる。

 今朝まで天地自然の狭間に心を遊ばせるために山に分け入って(ギョウ)(おさ)めてしていたけど、ここではただおいしいお酒を飲むだけで心が自由に広がる。熱燗の湯気と一緒に、心が身体を離れて浮かび上がるようだ。


 まんさくという花には心当たりがない。でも、なんだか、勝手に情景が思い浮かぶ。

 大きくはない木だというから、鬱蒼(うっそう)とした森ではないだろう。人里も近い程々に開けた風通しの良い林で、冬枯れの間は明るく日が差しこむはずだ。くすんだ茶色の寒風が吹く世界にそこだけポカポカと日だまりができて、その中の一本の木に黄色い小さい花がたくさんフワフワと咲いているんだ。


 夢に見るような景色に魂がさまよい出そうになるけど、手元の交趾焼にも心が惹かれる。技自慢・腕自慢を感じさせない自然を模した土物陶器たちの良さにいまさら気づくが、人工美の専心の巧みの石物磁器も、また愛おしい。

 お酒も、ただ天然自然のものだけではない。人の技も加えて、醸し出されているんだ。

 自然美も人工美も、いいとこ取りで楽しみたいね。人間だもの。


 ああ、お酒がおいしい。




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