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(2)


 良い感じにお酒が入って、張り詰めていた緊張を中空に飛ばし、放心。ズリズリと椅子に座る姿勢がだらしなくなる。


 本当は、店の奥に見えるザシキという、寝床のようなスペースに寝転がって心いくまで呑みたいと思う。でも、まだ早い。それは、この店の真髄まで究めたと思えたときのために残しておこう。

 後頭部がしびれるような酒の余韻を感じながら、椅子に座れば床に届かない足をブラブラさせ、次の料理、タイタンを待つ。



 ヨランタの少女時代は幸せなものではなかった。なんだかんだで故郷を飛び出し、胡乱(うろん)な師のもとでほぼ独学した神聖魔法ひとつを頼りに各地を放浪。やがて行き倒れた山中で伝説のタイタンの愛玩動物として1年間飼われたことは人生の転機にもなったが、その1年は幸せな時間だった。


 あのタイタンは女性だったらしい。人間から見れば性別などわからない。が、女性なのなら裸はマズい。そう勝手に思ったので、タイタンサイズの衣服を作ってあげた。これに要した時間が、1年だった。

 彼女の身長はヨランタの8倍。もし世界中のタイタンが衣服と武器を求めたならば、皮にする動物も、剣にする鉱石もこの世からたちまちに無くなってしまうだろう。だから、彼女らは多くを求めない。

 

 だが、稚拙なりに刺繍飾りを施した雑なプレゼントを差し出したとき、彼女は巨大な目からすさまじい量の涙をこぼして喜んでくれた。ついでに聖霊の加護も授けてくれたので、この世にヨランタほどの強力な術師はザラにはいないことにもなった。

 ヨランタにとって、タイタンとはそういう回想の主だった。



「お待ちどぉさんですぅ。」


 抱えきれないほどの肉塊を期待していたヨランタの前に供されたそれは、小さなビゼンの器にこんもりと盛られた小品だ。

 お醤油(しょゆう)でお雑魚(じゃこ)と煮込まれた、茶色がかった緑の、肉厚の野菜。

 嗚呼。いったい、これのどこがタイタンだ。


 かつて、不満を漏らしたことがある。なんで、この店では、肉でも何でも魚味にしてしまうのかと。

「だって、旨いから。」なんて曖昧な反論をされても、納得できない気分がその時にはあったのだ。


 そのときは結局、納得に至らなかった。ならば。今日、この料理が決着のときだ。いざ勝負。

 店主の見様見真似で学んだ箸を伸ばす。この、お雑魚(じゃこ)という素材も、かつて初めて見たとき背筋が凍りつくほど異様に思えた。チリメンジャコのワフーピザ。気味悪さに涙し、旨さにも涙し、結局酒が進みすぎてトイレを占領してしまったこと、忘れたい記憶だ。



 味が悪いはずはない。全体的に期待と違っただけで。…心の中だけで悪態をつきつつ咀嚼(そしゃく)する。旨い。

 柔らかく煮込まれながらも歯ごたえを残した野菜の青臭みと、ジャコの魚味。甘辛く、ほろ苦い。噛むほどに様々な味があふれ出し、混然とし、ひとつの世界が生まれる。

 そこに、松の翠をひと口。常緑、パインツリーのエバーグリーンが世界に新たな息吹を加える。不毛の岩山にすら生えて、栄えて、未来には豊かな土を作る、松。これも、タイタンの眷属に違いない。

 思わず、口元に笑みが浮かぶ。派手さはない、地味だが豊かなこの時間が愛おしい。


 もうひと箸、野菜をつまみ上げる。ポロッと、おじゃこがこぼれ落ちる。

 そうか。不意に、女は理解した。

 この緑の野菜は、山だ。おじゃこは、人の群れだ。それらが織りなす世界を掌中に、遥か高みから見下ろす私がタイタンだ。


 箸でおじゃこをつまみ上げてみた。店主のように上手くは出来ない、ポロポロこぼれ落ちる。いいんだ、タイタンは道具に頼らない。構わず、残った数匹のおじゃこを口に運ぶ。

 どうだ、怖いか。フフフ。……これは、ちょっと違うかな。タイタンの彼女らは長すぎる命、強すぎる力を持つせいで、自分の存在をかけて一生のうちに何事かをなそうという気持ちを忘れてしまっている。

 その深い切なさを我々は知ることができない。でも、これを彼女も口にできれば、お互いもっと心を通わせられるんじゃないか。

 そう思うほどに、この料理は良い。箸が止まらない。お酒も進む。無限ループだ。



 永久に続くかと思われたどうどう巡りは、あっという間に尽きた。お酒がなくなってしまったのだ。

 おかわりをするか、違うものに挑戦するか。贅沢な、嬉しい悩みに片口(カタクチ)をもてあそびながら浸っていると、マーチンが口を挟んできた。


「ヨランタさん、酒の味がわかる客にしか出さない“とっとき(とっておき)”があるんだが、どうだい?」


 そんなの、もちろん、カモン!

 出てきたのは、同じ “松の翠” の “超特撰” 、すなわちワンランク上のものらしい。あの、さらに上だなんて想像もつかない。いやが上にも期待が膨らむ。でも、

「お高いんでしょう?」

「そりゃあ、高い。けど、今回は常連様サービスだ、ホラ。」


 四角いマスの中に置かれた、滑らかで薄いガラス製のグラスを眼の前に出される。マスもグラスも、土塊とは正反対に極めてシンプルながら均整がとれて濁りひとつない、かしこまった高級感がある。

 そこに、中サイズの瓶からトクトクと小気味よい音を立てて、澄みきった液体が注がれ、グラスからあふれ出てマスをも満たす。


 女は目を見開いて、いつしか口もポカンと開いて、グラスの縁から盛り上がった酒を眺めている。

 注がれ終わって、スッと差し出されると特別な芳香が鼻腔にとどき、やがて全身に広がる。

 思考を一旦中断させ、泉に口をつけるようにグラスに口づけし、目を閉じて吸いこむ。


 味は、やはり淡い。爆発的な反応は起きない。だが、ゆっくりと、静かに心と体が満たされていく。これは、神酒(ソーマ)だ。世界樹の葉に落ちる露を一滴一滴集めて太古のタイタンがつくったという最果ての海に神酒(ソーマ)のさざ波が立つ、巨人たちが寝物語に夢見て、いつかそこに憩うことを誓う馥郁ふくいくたる理想郷に流れる水。

 

――私は、たどり着いちゃったかもしれないよ。貴女は今どうしてるのかな。懐かしい顔に会いたくなっちゃった。――



 眼前の万願寺の炊いたんの山が小さく、遠くに見える。食べて減ったからだが、それだけでもあるまい。離れていた間に心も遠ざかっていた。一緒に過ごした日々はもうどれほど前になるだろう。

 優しく、名も無い、不死のタイタンの彼女は、すこし目を離したりうたたねすると毎回毎回、そのわずかな間に私が老いぼれて死んでいやしないかと、独特の長過ぎる生命観でもって慌てふためいていた。

 あれから長い年月、私にはいろいろあったけど、彼女には一炊の夢の間だろう。


 このお店のものは“ルール”で、外に持ち出せないらしい。ならば、彼女にここまで来てもらってもいい。そうだ、それがいい。今度は逆に、私が彼女をもてなすんだ。


 炊いたんの山の向こうから、はにかんだ大きな顔が覗いている気がして、ひとりで大笑いしてマーチンをギョッとさせてしまった。







この章は短編版をかなり気合い入れて書いていたので、ほとんど変わっていません。でも店主に名前がついただけで、ただの舞台装置からだいぶ印象が変わったのではないかと思います。

次回は「コンニャクと月とスッポン と 七本槍」。

あと「とんぺい焼き と 乾坤一」「カレイの唐揚げ と 雁木」と続く予定。

ご笑覧ください。



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