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(2)


 辛子明太子、とはある種の魚の卵が詰まった内臓を唐辛子といっしょに塩辛(しおから)みたいにしたもの、だとマーチンは言う。

 ピリリと辛くて塩辛みも味も濃くて、プチプチした食感も皮のムニムニしたのも楽しく、どぶろくのモニュモニュした飲み口とも合う。白いご飯とも合うんじゃない?だよね、合うよね。でも今はいい、お腹が膨れるから。


 うーん、最初は辛くて往生したけど、どぶろくをひと呑みすれば無限復活できることがわかって調子が出てきたぞ。

篠峯(しのみね)のどぶろく」は、マーチンが言うには「篠峯」シリーズの中では変わり種になるが、およそ “どぶろく” という気安い言葉からは想像できない上等なお酒に仕上がっているらしい。そうなんだ~。

 奈良の葛城山という神話の聖地で造られていると聞けば有り難みも増して、ドロリとしながらシュワシュワと泡立つ姿にも、クリーミィな甘酸っぱさにも精霊の祝福を感じる。


 ちなみにこのどぶろくは一度開封したらさっさとひと瓶開けてしまわないと品質が劣化してしまうらしい。だから堂々と飲めるだけ注文しちゃうよ。



 台所からジャッ、ジャッと火と油を使ういい音が聞こえる。まだ心臓がばくばくと跳ねているまま、気持ちもわくわくと期待に持ち上がってきている。漂ってくる匂いも辛そう。

 激辛、まではともかく “辛いもの” という新しい扉が開きそうな期待感。さあ、どんと来い。


「肉野菜炒め、コチュジャン味。かけてある糸唐辛子は残してもいいし、気に入ったら追加してもいいよ。」


 おお、なんだかいつもより素朴な雰囲気。肉の薄切りと野菜のざく切りを一緒に炒めたお料理ね。


「辛い野菜炒めといえば豚キムチが主流やけど、俺がキムチの匂い苦手やからコチュジャン味で。それもええもんやで。酒にはそっちのが合うはず、たぶん。」



 ヒー! この糸唐辛子ってのは、あのときの鷹の爪みたいのを輪切りじゃなくて糸みたいに細く切ったやつね。辛っ! どぶ、どぶ!どぶどぶ。ふぅ、生き返る。

 しばらく前に食べた麻婆茄子とも似た味だけど、アレは本気を隠していたのね。


 (やさい)を噛むバリバリした歯ごたえも、肉の脂の甘味も、辛味噌の容赦ない濃い味も、混然となって思考力を奪う。全身から汗が噴水のように吹き出す。

 ただ、眼の前の皿から貪り喰らう見苦しい1個の機械になって、夢中で肉野菜炒めに向き合う。

 目も汗でふさがれる。お酒を呑むタイミングもない。行儀悪くお皿を掻き込んで、全部飲み込む。


 ああ、今日の嫌な出来事がぜんぶ汗と一緒に流れていった気がする。

 気がするだけで、食べ終わった瞬間にまたもモヤモヤが湧いてきた。けど、今までの重さはない。衣服と髪の毛が汗を吸って重たい代わりに、魂に溜まった悪いものも流れたのかもしれない。



 お酒で口を洗ってから、汗はそのままに、思ったことが素直に口から出る。

「マーチンはスゴイね、料理を食べることがこんなに良いって思わなかった。おいしい。」 


「ん、おおきにありがとう。ヨランタさんもええ顔になってるよ。」



 言われて気がついた、営業用のお化粧をしていたんだ。汗をかいたり泣いたりして酷い顔になっていたはず。白いタオルが、あぁ、やばい色になっている。


「酷い! トイレ行ってくる!」


「こんな時にイケズ言わへんがな。ごゆっくり。」




 トイレの鏡、これひとつとってもこの国の常識を凌駕している。これを見るまで、私は自分がカワイイなんて思いもしなかった。どっちかというと美人顔だと期待していた。それはともかく、これを見て化粧することでやり過ぎも抑えられるし、実際にレナータをはじめ周囲のひとからの顔の評価も上がった。

 この鏡を売れば儲かる、と思ったこともあったけど、難しいのね、商売。


 そうだ、マーチンの常識は私たちと違うんだから、マーチンの商売の常識を聞いたら革新的な、この国の常識をひっくり返す商売の必勝法になるかもしれない。

 彼自身は頼りないけど、聞いてみよう! 彼が商売人の心得とか語ったら絶対笑っちゃうけど!



 のんびり、席に戻ると新しい料理がちょうど出来ていた。


「これはペンネアラビアータ。小麦粉もん、好っきゃろ。」


「大好き。でも、辛いんでしょう?…おぉ、なんだか気合が入ってるね。」


「気合?そう見える?」


「だって、料理に比べて皿が、見せつけるみたいに大きい。それも金模様の白磁でさ。野菜炒めから打って変わって貴族的な。」


「あぁ、それは洋食やからやね。ルーツごとの流儀があるの。」


「ふーん。マカロニサラダの魔獣みたいな顔してるけど。……ふン゙!」


「あ、さっきの炒め物よりちょっとだけ辛くしてる。辛さが足りひんかったら、これにはタバスコをどうぞ。どぶのおかわりも?」


「ㇶー。ㇶー。ㇷー。」


「はいはい、水のピッチャーも交換ね。」



 確かに、醤油系でも味噌系でもない、ラー油とも違うルーツを感じるとんがらし味だ。トマト味とマーチンは言うけど、生のトマトサラダとトマトソースはまるで味が違うので一度問い詰めないといけないとは前々から思っていた。


「甘い感じにしたかったら粉チーズを追加で振るのもオッケー。今でもそこそこかけてるけど、好みで。旨いよ?」


 挑発的にマーチンが緑の筒を振って見せつける。あ、絶対それおいしい。でも言い方が気に食わない。フン、私は辛いものを食べたいんだ。ここはタバスコを追加だ。


「難儀な子やなぁ。」


うるさい。



「よォよォヨランタ、さっきからものすごい匂いさせてやがんナ。今度は何の草だ。」


 うわ、本当にうるさいのがいた。別の客、いつの間に? あ、さっきトイレ休憩の間に?

 この男、冒険者仲間ではあるけどイマイチ反りが合わないのよね。アホのジグムント。別名、色男、色情狂。


「これはペースト料理。パンの親戚だから、あんたらの言う草じゃないよ。でも大人じゃないと食べられない辛い味だから、ジグはお呼びでもないのよ。……あ!!」


 急に横から出てきた男がむんず(・・・)と皿の上からペンネを鷲掴みにして一気にほおばる。


「吐いたら呪うよ!」


 天を仰いで動きを止めた男にひとこと釘を差しておく。タバスコを追加した部分をジャストヒットだ、馬鹿め。

 私の身長ではヤツの歪んでいるだろう顔を拝めないのが無念だが、口を手で抑えて、しかもその手にはタバスコのトマトソースがべったりついているので、内から外から唇が()かれているもよう。日頃の行いが悪いから(バチ)が当たったんだ。



 やがて、ジグは口の中のものを呑み込んで、盛大に咳き込んだ。で、私を(ニラ)みつけてくる。口元を真っ赤にして、悪鬼のような顔だ。アンタが悪いんだからね。


「……旨ェじゃねぇか、店主!俺にも同じものをくれ!もっと辛くしてな!」

「アイヨゥー。」

「あーっ、マネした、ずるい!」



「ところでヨランタ。オマエ昼間、地獄の鉄(つぶて)の樹の実を市場で売ろうとしてたらしいな?」


「何よソレ、ちゃんとした樹の実よ! …ねぇ、マーチン。」


「あー、あぁ。千年に一度だけ舞い降りる天女の袖が触れた岩がそれですり減って小石になるほどの時間を千回繰り返すほどの年数に一度だけ実る桃、やね。」


「うそ!?」

「嘘。っていうか、伝説。普通の桃やで? ヨランタさん、1つ売っておあげ。」

「お? 面白そうじゃん、1コ買ってやろう。」



 ぁ、あっさり1個売れた。って、知り合いでも下層の方じゃん、つまらない。そういうのじゃないんだよねぇ。群衆とか上層の方に褒めそやされたかった。まぁ、売れと言われれば売るけど。

 こうやってフタを開けて、そのまま食べるの。


「お、旨ェ! なァ、これ知り合いの女の子に配るから30個ほど用意してくれよ!したら、次はそっちから注文来るかもよ!」 



 夜も更けて、ジグは大量の缶詰を担いで去っていった。


「えぇ奴やんけ。キミが苦労してたウワサ聞いて助けに来てくれたんかもよ。」


「えぇーっ。私、スケコマシにコマされるスケじゃないよね。そう見えてないよね! あぁーっ、ワタシ商売の才能なさすぎ! やっぱり無理だったんだ!」


「いや、まず知り合い全員の力を借りるのは基本でしょ。俺の場合はアレやけど。しばらくはあの兄やんの人脈で商売するのもアリやと思うよ。」


「勘弁して……。」



 翌朝、トイレで悲痛な呻き声を上げながら我を張ることの愚かしさをヨランタは学んだ。

 得意の魔法も、どうにもならないことだってあるらしい。



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