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第2部 開始★ 転移酒場のおひとりさま ~魔都の日本酒バル マーチン's と孤独の冒険者  作者: 相川原 洵
牡丹鍋 と 山間

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(挿話 辛口問題 と 三千盛)


「良いー、お酒だね、これ。三千盛(みちさかり)?」


「ええやろ。美濃焼の本場・多治見でウン百年作ってる酒蔵の辛口ブランド、のなかでも超辛口の純米大吟。」


「嘘だー。」

「なにがよ。」


「だって、辛くないよ。むしろフルーティ。」

「でも甘くないでしょ。」

「甘くないことと辛いこととは違うと思う。」

「あぁー、それね。」


「しばらく前から、これは聞かなくちゃいけないと思ってたんだ。ホラ、うんちくを語りなさい。」


 日本のそれとは違う妙な指さし方、両手の薬指と小指だけ立ててツンツンと突っつくジェスチャーでマーチンに返答を促すヨランタ。知らない所作だが、表情と併せて、どう見ても真面目なものには見えない。


「聞きたいことはわかるし、言いたいこともあるけど、なんかムカつくな。」




 引き続き、面倒なコダイソウが帰った後の店である。


 他の客は2人ほど、見たことがあるようなないような男たちが1人用の猪鍋をつついている。セルフの牡丹鍋ではない、マーチンが適当にぶっこんで煮た小鍋。


 猪肉はこういう時代感の世界でも、流通の問題で豚肉よりかなりの高級品。だが味が豚より上等なわけではないので〝猪を食べて強くゴッツくなろう〟という願掛けの食事として愛されている。

 ただし、この猪鍋はウマい。最高なので、客の数は絞られていても皆が皆、限界まで食べようと必死でガッツイていく。しかしドリンクは生中。


 マーチンの店でさえ、なかなかお酒の趣味性は広まらない。それどころか、この街ではお冷やの水がひどく喜ばれる。あんまりバカバカしいので〝お冷やはドリンク1杯につき1回〟としていたが、日本酒1合につき1回にしようかと考えているマーチンであった。


 水のことはさておき、要するに忙しくはないが堂々とサボれもしない状況。

 頼まれ方さえ問題なければ、付き合うにやぶさかでないタイミング。妥協点としては、



「ほな、こっち来て洗いもんを手伝いなさい。あんまり膨らむ話題でもないけど、その間に語ってあげよう。」


「今のお酒(ミチサカリ)飲んじゃうまで待って。」

「ちゃんと味わってお飲みなはれ。」





「何の話やったっけ。んー、辛口の辛、か。」

「そ。」

「まず、辛いという言葉の意味からやな。これがまた曖昧でな。」



 割烹着に着替えてきたヨランタが洗い場に入っている。

 客は1人帰ってまた1人来て、そちらにも料理を出したところでマーチンがダラダラと語りだす。


「古い基本的な日本語は語彙が貧弱でな。

 色といえば赤(暖色)か青(寒色)の2つ。数でいえば(ひぃ)から10(とお)以上は、あるにはあるけど実用的じゃない。121ももあまりはたあまりひとつとか。味は、甘い、苦い、酸いのほかが、辛い。つまり、甘くなくて苦くなくて酸っぱくない味が、辛い。」


 そういう基本的な語彙からはみ出す物事は、外国語から借りたり、言葉を組み合わせたりして適宜その場その場に合わせた表現をできる人が〝賢い人〟と呼ばれる文化。

 ひとを(ののし)るにしても〝バカ〟しか言えないヤツはバカ。いい感じのユーモアのある文学的表現で悪口を言えると、周囲から機転があるヤツだと一目置かれる。


 味の表現でも、上手い食レポのひとつもやってみせられないでは食通の(カナエ)軽重(けいちょう)を問われる。だが、やはり単語ひとつで表せる言葉には限りがあるので、甘口でない酒を示す基本的な語彙は、辛口。




「そうなの?」

「そうなの。」


 そもそも、外国語で日本語の〝辛い〟を示す言葉は、

 塩辛いのは(シァン)・Salty。

 ピリ辛で汗が吹き出すようなのは、(ラー)・Hot。

 山椒のシビ辛を(マー)、香辛料の刺激をSpicy、など。

 近年は日本語でも使い分けるが、外国語でも例外的なワサビの辛さも含めて基本的な単語はただひとつ〝辛い〟。

 ちなみに甘口のカレーは淡・Mildで、辛口カレーは辣・Spicy。その辺の感じ方も一筋縄でない。


 また、甘口ワインはSweet・甜だが、辛口ワインはDry・干。甘い感は世界共通だが、日本人的には〝ドライ〟の感覚がピンとこない。同様に外国人的に〝辛い〟も感覚的でないのだろう。日本酒でもワインでも、Hotなら熱燗みたいに思えるし、SaltyでもSpicyでも、麻辣でもありえない。




「〝ドライ〟には〝冷静〟みたいな意味もあるから、乾くというより〝芳醇〟に対する〝淡麗〟みたいなニュアンスなんかもね。」


「私は甘口のお酒だってズイズイ飲んで、小一時間後にすごく喉が渇くよ。」


「早いわ。普通は翌朝とか夜中に渇きで目が覚めるとかと違うん。

 まぁ、あの感覚なら乾く、でも(から)い、でも合ってんのかもな。一般的には辛口のほうが量を飲みやすいし。そっちのほうが、妙に納得。」





「……あれ? おしまい?」


「そんな膨らむ話題やない、って言うたやん。まだわからんことってある?」

「むぅ。」


「ホラ、お客さんが生中お代わりやって。ヨランタさん。」

「なんで私が。」

「何故と言うか?」



 相変わらず、働く気が気分次第でふわふわしている困ったちゃんヨランタ。だが、マーチンの方もたいがい気分次第なので()(ブタ)の2人といえるだろう。



「言ってないです。

 …ほらお客さん、ビール。たまには日本酒も頼んでね。

 そうだマーチン、1杯サービス、っていうか突き出しに日本酒おちょこ1杯つけるのはどうかな。」


「あー、あるよねそういうお店。」

「あるのかー↓ 」


「いや、ええと思う。どの酒にしようかな。」


「私は甘いお酒が好き。でも、この辺の人は渋いワインか酸っぱいエールばっかり飲んでる人たちだから。辛口のほうが受け入れやすいかも。」

「なるほど?」


「辛口か甘口か、名前に書いてなかったら飲んでみないとわからない?」

「何、まさか全部ひと口ずつ飲む気? 」



 酒の冷蔵ケース前にしゃがみ込んで物色している困ったちゃんヨランタ。だが、マーチンは無情に却下。


「裏ラベルに〝日本酒度〟って書いてあるやろ。それが+で数字が大きいほど辛口、-なほど甘口。数字で決まってんの。」




「えぇー。ホントに?」


「日本酒は、糖分が多くて甘いほど、糖分のせいで水より重くなるの。逆に糖分が少ないと水より軽くなる。アルコールは水より軽いからね。それを専用の器具で測った数字やから、どうウマイかは別として、嘘は無い。

 +で書いてあるのは辛口。数字が嫌いな酒蔵は書きたがらなかったりするけど。」


「気が付かなかった。」

「手で持ってもわからんよ。」


「あ、ひょっとして大辛口とか超辛口って言ってるのも?」

「うん、+6以上が大、+8か10以上が超。さっきの三千盛が+18。」


「超甘口は?」

「あんまり、その言葉を売りにしてるのは聞いたことないな。甘みは糖度より味の調整によるところが大きいのかも。キミに飲ませたなかでは〝讃岐くらうでぃ〟が-70やで。」

「覚えてない。」


「そうか? あ、あの時か。そりゃ、しゃあない。 …あ、お勘定?毎度。ほらヨランタさん、お愛想。お帰りのお客様にニッコリお辞儀して。」

「はぁい。またどうぞ☆」





 最後の客も帰って、気だるい空気が照明を落とした店内に流れる。

 割烹着姿の女ににこやかにお辞儀されて悪い気分になる男もいないらしい。たとえ女がヨランタでも「また来るよ―」とか軽口を残してすこぶる上機嫌で去っていく客の姿は、マーチンひとりの店ではありえない風景だった。


 助っ人にモニカ嬢が来たときでも、彼女でもどこか上流社会の匂いがあるらしく、客の側がよそよそしさを見せてきた。それを考えると店員・ヨランタは悪くないのかもしれない。

 欲を言えば、店員をやる気さえきっちりあれば。…これは無いものねだりか?




 それはそれとして、普通に疲れて気が抜けたマーチンが投げやりにつぶやく。


「俺は昔、〝辛口の酒〟というのは日本酒の味が実は好きじゃない人が付き合いで飲むのに、仕方なく味が薄い酒を選んでたもんやと思てた。」


「また、無茶な憎まれ口を。今は?」

「今は、いろいろあるからね。アルコールが体質的に無理でなきゃ、何か好きになれる日本酒は絶対どっかにある。

 出会えたなら、日本酒だけでお酒は事足りるはずなんやけど。」


「愛だねぇ。」

「愛、かねぇ。」


「ちょっとわかったよ。マーチンに愛されるには、私自身が日本酒になることだね。」

「どうやって?」

「飲む。」

「どれほど?」

「全部飲み干す。」

「いや、考えてみ。それは俺の敵や。」

「ぎゃふん。」  







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