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マーチンがいつも花を挿していた箙の、銀の破魔矢は磨かれて美しく光を反射している。
それでも銀以外の部分はそれなりに古びて、薄汚れてきた。矢入れ自体も同様にエイジングが進んでいて、その中には矢のほかに枯れ草が刺さっている。
確かに季節は晩秋に差し掛かって、もう野山の花も少ないけれど、だからといって枯れ草を飾るという発想はなかった。ちょっと、マーチンに突っ込んでやらねば。ほら、神様の花壺には中くらいのかわいい花が色とりどりにたくさん咲いているじゃあないですか、ねぇ。
「あぁ、神様のは、コスモス。わかりやすくていいよね。しかしこっちは枯れ草じゃなくて、薄。あるいは尾花。薄暗いとわかりにくいけど、こう揺らすと穂が銀色に光ってなかなかキレイでしょ。
日本では、これが野原一面に見渡す限りサワサワと風になびいてる景色があって、特に夕方とか絶景になるんやけど。」
マーチンが箙から一本だけススキを手にとってフリフリと揺らす。なんだか無性に捕まえたくなる。えいっ。
「猫じゃらしではない。それにキミはどっちかというと犬でしょ。
……ゆうても、花の季節がもう終いなのは仕方ないよね。あと? 、もう石蕗が咲いて、お茶の花は散って山茶花やら寒椿も咲いたら、あと蝋梅とか侘助椿が咲くお正月までお休みか。
探せば何なりとあるやろけど、破魔矢は返納しとこうかしら。猊下ちゃんが来たら聞いてみよ。」
「わからないけど、言われてしまえばちょっとキレイにも思えてきた。誰かか何かをバカにしてるんじゃなきゃぁいいんだよ。マーチンは自分だけに通じる範囲でひとをからかってることがあるから信用がない。悪い癖だよ?」
「やかまし。仕込みの手が止まってるぞ、割烹着ぃ着たいなら真面目にやりたまえ。」
「はい、はい。あー、この、肉の薄切りで花を作る冒涜的というか猟奇的な感触、癖になりそう。ニホンの人、ヤバイよね。」
「それは、まぁ俺も思わないこともない。でも客で猪肉の牡丹を見て喜ばへんヤツもおらん。猟奇といえば刺身の活け造りレベルになると、俺はキモイと思う派やけど。」
そう、マーチンは言ってる。でも私にはわかる。彼だって肉で遊ぶみたいなのがちょっとイヤだったから私にやらせてるんだ。ひどい。活け造りっていうのは知らない。
でも私はこういう作業を黙々とやってるとつい夢中になってしまうんだ。ほらキレイ。ピオニー樹の花。色艶キレイでこのまま食べられそう。 猪肉だから豚に輪をかけて生食は無理?
これから来る客なら大丈夫だと思うけどね。っていうか、私なら大丈夫だよ? ……料理したほうがおいしいよね、知ってる。
*
そんな用意まで済ませて迎える今日の予約のおひとり様は、例のコダイソウ。
迫力の年増美女にして豪傑の大侠客かつ商売人。バストウエストヒップ、二の腕から太ももまでゴージャスな無差別級のデラックス別嬪さんだ。今回の旅でも夜にさまよい出てきた食屍鬼を蛮刀片手に1人で蹴散らした強者でもある。迎え撃つマーチンも気合十分。
気持ちがわからないとは言わないけど、その気合の半分でも私に回してほしいもんだ。
そうボソッと言ったのを聞きとがめたらしいマーチンが「松茸のほうが3倍高いで」と、さも心外そうに漏らすのが聞こえたので、信じられないけど許してあげよう。
「オウおぅ、来てやったぜ子猿聖女! うまい肉を食わせろよ!」
夕刻、引き戸を間違わずにガラリと勢いよく開けて、話題の主だった怪女が来店。
「ぃらっしゃい、お好きな席に。」
「ようこそー。今日は虎ちゃんは?」
「虎子はおいてきた。飯屋で我慢させるのもかわいそうだからな。ところで今日も道々でチンピラをどつきながら来たら拳に砕けた歯が刺さっちまった。ヨランタ、頼むわ。」
「しかたないにゃあ。回復魔法、あまりオープンにできないやつだから気をつけてね。」
いきなりの濃い話にギョッとして固まってるマーチンが復活する前に手早く治療を済ませる。
「ところで私、回復魔法のこと言ったっけ?」
「すまん、ちょっとカマかけた。けど、闇ヒーラーの天才児ヨランタの名を知らんヤツもいないし、何も言われなくてもあの旅の間に怪我人も病人も一人も出なかったなんて奇跡もありえねぇからな。…黙ってるよ、そんな顔すんな。」
児、って。それはともかくいまだ、聖堂のために聖女をやってあげる気はないが、あらためて聖堂に喧嘩を売り直す気もない。ほとぼりを冷ますための長期遠征から帰ってきて、結局、私の態度は宙ぶらりん。
治ったコダイソウのばっちい手を八つ当たり気味に温かいおしぼりで乱暴に拭いて、ペチリと叩いてやる。
ちょうどそのタイミングで、
「ハイこちら、牡丹鍋の鍋。そして肉の皿、野菜の皿。」
いつかも見たカセットコンロに土鍋、私が飾ったお肉の花の皿に、みずみずしい野菜は白菜、葱、春菊、キノコ、ゴボウ、お豆腐の皿。土鍋にはすでに濃いお味噌の香りのスープが煮立ってる。
「鍋奉行はヨランタさんに任せた。煮える間のコダイソウさんの突き出しには、蒸し鶏。ピリ辛タレとゴマダレでつまんでてね。
で、お酒は猪鍋の強さにも合う、新潟のお酒〝山間〟。今風のキレイさと伝統派の臭みというかフルボディ感が上手く調和してる。蒸し鶏に合わせてもダメというわけじゃなし、とりあえずこちらでどうぞ。あと、酒器もお好きなのを。」
突き出しには青磁の角皿にキュウリの千切りを敷いて、その上に白い蒸し鶏を食べやすくカットしたものが出てくる。白い豆鉢には赤黒いタレと明るい茶色のタレ。おいしそうだ。……私のは?
「ヨランタさんは今日はオモテナシ側。働きなさい。多めの突き出しやから、上手いことやって分けてもらえばいいよ。」
なんということを。急いでお鍋を完成させなくては。
で、お肉をオアズケで酒器選びをさせられるコダイソウはといえば。
「お?お、おぅ。国焼きの雑器かと思えば、これはなかなかの……」
「あげへんで。」
「いや、いま盗まねぇよ。」
以前、ファニー大主教猊下がいらっしたとき躊躇なく懐にねじ込んだんだよね。だから今回は高価なやつを省いてる。普通の白磁ものは入ってるから、それで感心してるみたい。
「あーしは白より青磁が好みなんだが、もっと大ぶりのヤツはねぇかい。」
「それより大きいと湯呑みになるな。…あ、隠してたけどこんなんもあるで。翡翠削り出しの玉杯。キレイやろ。」
「…夜光杯! あーしみたいなのにこんなン見せちゃいけねぇよ、何やってんだオヤジ。や、それで頼むわ。」
「オッケ。片口までは翡翠製とか無いから、それは白磁のでね。…湯呑みでガブ飲みされて悪酔いされちゃあかなわん。」
…私がいない間、猊下ちゃんからもらった金貨200枚をずいぶん趣味の陶磁器に使い込んでいたらしいマーチンが新しい珍しいものを持ち出す。この人、存外お金にだらしないタイプだったのかも知れない。私も似たようなものだけど。
そうして、珍しい杯を手にしたコダイソウは一緒に旅した3ヶ月の間に見せたこともない感情を込めて、その夜光杯を大事そうに眺めてる。また、なんだか腹が立つ。
鍋の用意を急ごう。
「なんだ、なんだ、その肉の花はバラバラに崩しちまうんか、つまらねぇの。」
「えっ、ダメ? 間違った?マーチン、」
「や、それでええ。どういうつもりやったか知らんけど、そういうもんです。コダイソウさんは、それよりもお食べ。」
言われてみればもったいない。せっかく私がピオニー樹の花の形に積み上げたお肉も、花びら2,3枚ずつ摘んでお鍋に投入していく。諸行無常、色即是空。
その間、自分が発した軽口を気に留めてもいないように、虎女は蒸し鶏を真っ赤なタレにつけてキュウリと一緒に口に運んでいる。
「んー! ッまい! 懐かしい味だ、オヤジ、この味を何処で?」
「別に? 特別なものでは。俺は口水鶏って呼び名がキライで、あくまで〝蒸し鶏〟でピリ辛にも棒々鶏風にもできるようにしてる。
俺の中華は本格の心得は全然無いんで町中華以前のナンチャッテお家中華やけど、何となくキミには今日、肉鍋以外に中華系小品を出しときたくてな、それにした。
お酒も、紹興酒の準備はないけど、それもお米のお酒やで。どうぞ。」
後にマーチンに聞いたところでは口水鶏も棒々鶏も近代以降の料理で中世人の私らのものではない、と、そう聞いてもさっぱりわからない、彼の煙に巻く話術のアレではあるけども、とにかくコダイソウもわかったようなわからないような顔をしながら盃に満ちた酒をひと舐め。
そして目を閉じてグッと煽って、
「ウマイ! 瓶で寄越せ!」
「そういう、アホみたいに暴飲する酒じゃないの。あ、ヨランタさん、もう肉煮え過ぎちゃう? いくら猪肉でも、第一陣はそろそろ引き上げて野菜も入れてってね。」




