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【第一部・完結】七龍国物語〜冷涼な青龍さまも嫁御寮には甘く情熱的〜  作者: 四片霞彩
受け入れる覚悟と明かされる真実、世界を越えて果たされる約束

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【80】

 次に海音が意識を取り戻した時、何か温かくざわざわした湿ったものが、頬や額などをペロペロと舐めていた。重い瞼をゆっくりと目を開けると、目の前には白と黒の縞柄の毛をびっしりと生やした猫が海音を覗き込んでいたのだった。


「シロ……ちゃん……?」


 それが猫ではなく蛍流が神気で生み出した白い雌虎だと理解すると、海音は掠れ声で問い掛ける。そんなシロは海音が目覚めたことに満足したのか、音も無く海音から離れると、尻尾を振りつつ地面にお尻をつけて座ってしまう。

 小首を傾げて可愛らしく控える姿がまるで飼い主の傍らで大人しく着座する飼い犬のようで、恐怖心は一切感じられなかった。


「ここは……どこなの……それに蛍流さんは……?」


 ここが二藍山の山中であるのは間違いないだろうが、どこまで転がり落ちたのか分からない。そしてどれくらい気を失っていたのかさえも。

 ゆっくり身体を起こすと、近くでは激しい音を立てながら濁流が流れていた。ごうごうと音を鳴らしながら流れる茶色く濁った水の中には、どこからか流れ込んできたのか折れた枝や枯草が混ざっている。

 この山を流れる水はいずれも蛍流の心を現わすような清く澄んだ碧水ばかりだったので、台風が過ぎ去った後の川のように漂流物を巻き込みながら激しく流れる濁り水は見たことが無かった。

 あまりにショッキングな光景に海音は言葉を失ってしまう。


「そんな……このままだと青の地は……」


 この濁流が流れる先にあるのが、これまで蛍流が守ってきた青の地だとすれば、いずれ青の地にも暴走した蛍流の力による大きな被害が出てしまう。

 海音が倒れていた場所は木が生い茂っている場所なので雨が当たらないが、先程から雨は耐えなく降り続いている。

 このまま雨が降り続けば、河川の氾濫や洪水が起きるのは間違いない。その最中に濁流まで押し寄せたのなら、農作物はおろか人的被害まで出てしまう。住む場所を失うだけではなく、命さえ奪うかもしれない――。

 こうなったきっかけというのは抑えきれなくなった蛍流の力の暴走だろうが、当の蛍流はそうなることを望んでいないはず。きっと今この瞬間も蛍流はどうにかして力を制御しようと、自身から溢れ出る青龍の力と抗っているに違いない。

 早く蛍流の力の暴走を止めて、どうにかしなければならない。蛍流が自身の力に飲み込まれてしまう前に。


「早く戻って蛍流さんを助けないとっ……うぅっ!!」


 勢いよく立ち上がりかけたところで後頭部に激痛が走り、その場で呻きながら蹲ってしまう。

 急に身体を動かしたことで、傷口に負荷が掛かったのだろう。軽く触れば、大きく腫れて熱を帯びているのが分かる。

 乾いた血が指先にこびりついたことから出血は止まっているようだが、枝葉で切った無数の細かい傷が地味に痛む。特段整備もされていない急勾配を転がり落ちたにもかかわらず頭の傷以外に目立った傷を負っていないのは、落ちた場所が良かったのか、ただ単に運が良かっただけなのか。

 それでも身体と着物はボロボロで髪もぐちゃぐちゃ、手足には砂や泥まで付着しているので無事とは言い難い。姿見が無いので断言は出来ないものの、化粧を施した海音の顔は見るも無残な姿となっているに違いない。


(蛍流さんのところに戻らなきゃ……あの状態の蛍流さんを一人にしておけない……っ! こんなところで痛がっている場合じゃないのにっ……!)


 歯を食いしばりながら海音は空を見上げる。二藍山の上空を中心に展開されている重苦しい暗雲は幾重にも層を重ねながら徐々に広がっていた。

 この天候が蛍流の深層心理を表しているとしたら、今の蛍流は海音に裏切られたと思い込んで心を閉ざそうとしていることになる。恋慕を寄せていた海音が自分を捨てて昌真の元に行くと。海音にそんなつもりは一切無かったにもかかわらず。

 早急に誤解を解いて、蛍流に力をコントロールしてもらう必要がある。そのためにも蛍流の元に戻らなければならない。

 しかしいくらそんな心意気はあっても、傷だらけの海音の身体は言うことを聞いてくれない。頭部の怪我に加えて地面に打ち付けた手足は痛み、身体はふらつく。今から山を登ったとしても、それこそ辿り着くには一昼夜はかかってしまうだろう。ひょっとしたら、今度こそ遭難するかもしれない。


(伴侶じゃない私が戻ったからといって、蛍流さんの役に立つとは思えない。それどころか迷惑になる可能性だってある……でもこのままここで手を拱いて見ていることしか出来ないのはイヤ……蛍流さんのために私も何かしたい。一人で苦しむ蛍流さんの力になりたい……)


 伴侶では無い只の人間で、他の七龍に助けを乞えないからといって、このままここで立ち止まりたくない。それならせめて地を這いつくばってでも蛍流の元に行って、止めどなく溢れ力を抑えられるように手を貸そうと眦を決する。

 海音の声が届くか、無駄かなんて関係ない。今はわずかな期待であったとしても、奇跡を信じて縋りつく。このまま蛍流が心に負った傷を放っておくことは出来そうにないから……。

 ズキズキと痛む頭を堪えていると、またしても頬をペロリと舐められる。顔を上げると、どこか気遣うような顔をしたシロが海音を見つめていたのだった。


「シロちゃん? 心配してくれているの……?」


 身を寄せてくるシロの柔らかな毛と温かな体温に安堵する。蛍流が神気で生み出した幻獣とは思えない、本物と見紛うばかりの触り心地に自然と涙まで零れてくる。

 そのまますすり泣いていると不意にシロが立ち上がったので、海音も釣られるようにゆっくりとシロに倣う。そうしてまだ本調子じゃない海音の身体に合わせるように、静かに歩き出したのだった。


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