口髭、危機一髪!
-- 前回までの『スナッキーな夜にしてくれ』 --
BARアイアンヘッドに君臨するイカしたマスター。その名は“GAGA”。
ダンディな口髭を貯え、常松を温かくというよりも熱く熱く出迎えたが、この熱い出迎えこそが、アイアンヘッドが魔窟と呼ばれる所以なのか?
口髭を英語でmustacheというそうだが、マスタッシュとマスターって何かが似ているような?
似ていないような? 正直どうでも良いので、この話は無かったことにして永遠の闇に葬り去ることにする。
口髭マスターは自らを“マーキュリー”と名乗る。しかし、マーキュリーなのに自分のことを『GAGA』と呼ぶことを常松に強く迫るのであった。
何故なのかは不明であるが、とにかく『GAGA』と呼ばなければお前の下半身が危険に晒されることになるぞ!
と言わんばかりに強要する。
しかし、何者かもわからない初見の口髭のオッサンに馴れ馴れしく『GAGA』と呼ぶなど烏滸がましいと考えた常松は『マスター』と呼ぶことを決意する。
そしてカウンター中央に腰を落ち着かせると、渋みのある男を演出するかのようにラム酒ロックを注文してみせる。更に弱みを見せないように、飲み慣れた風の態度で口髭マスターから情報を探ろうとするものの、逆に“夜のファンタジスタ”と異名をとったことなどは……全くない常松は、口髭マスターからの意表を突いた攻撃に曝されてしまう。
それは、口髭マスターGAGAの初手であったが、あまりに鋭利な情念に対し常松の下半身は恐怖してしまう。
手も足も出ないビビりーな常松に、容赦のないGAGAの攻撃が次々に繰り出され、もうダメなのか? こんなところであれなのかー! 俺の下半身はあれなのかー! 呆気なく手篭めにされてしまうのかー! と常松が観念しようとしたその時、“柔よく剛を制す”が如く、常松の最大奥義“前門の狼、肛門の虎”が炸裂する。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
かつて古の中国王朝を中華統一に導いた名宰相が、国家存亡の危機に際し味方の大将軍に授けたとされる
伝説の奥義。
――――― “前門の狼、肛門の虎” ―――――
長い年月と共に、その奥義の一切を知る者は皆無とされ、ごく僅かの文献にその名称が残されている以外は全てが謎に包まれた奥義。
最早伝説となった幻の秘奥義を、なんと! まさかの冴えない中年リーマン常松が華麗に発動させた。
常松のDNAに刻まれた古の記憶がGAGAきっかけによって目覚めたのであろうか!? それとも常松こそ、前世は古の中国王朝のなんとかいう名宰相で、その生まれ変わりなのだろうか? 否、冴えないリーマンの姿こそ、世を忍ぶ仮の姿であって、その正体は世界を股にかける超A級スナイパー、コードネーム“ゴルゴンゾーラ30”なのであろうか? ゴルゴンゾーラ30って誰だよ?? マジで、さいとう◯かを先生に怒られるぞ!
残念なことに……この物語の特性上、そのような設定は全くない。
しかし、そんな大それた幻の奥義を繰り出した常松の表情はみるみる険しさを増していった。
当然のことながら、このようなウルトラ級の大技を繰り出すには膨大なエネルギーを消費する。
常松の体力、気力がどの程度もつのかは定かではないが、目の前の恐ろしい強敵(注:ここでは“ライバル”と読まないでください)である口髭マスターの口撃が静まるまでは解除出来ない。
(やっぱり、ここは魔窟と呼ぶに相応しいな、そしてここのヒゲボス<※注1>はかなり強烈だ)
※注1:口髭マスターGAGAのこと
常松は、骨盤底筋をこれ以上ないくらいの精一杯の力で締め上げながら想う。
(しかも、この髭マス<※注2>から発せられる異様なオーラはなんだろう……)
※注2:口髭マスターGAGAのこと
「ちょっとお、常ちゃん、すんごい汗だわ〜、暑かったかしらあ、冷房入れた方がいいわね」
(誰のせいでこんなに汗かいてると思ってるんだよ、この髭マスはー!)
「いやあ〜、大して暑くはないですから、大丈夫ですよ! 今日はいつもよりも飲みすぎちゃったから、ちょっとだけ顔が火照ってしまっただけですから、ホントご心配なく」
「あら〜、てっきり、あまりにセクスィーーなあたしを見て興奮しちゃったのかと思ったのに〜」
口髭マスターGAGAの口撃によって軽く1500PほどのHPを削られてしまう。
しかし、こんなところで倒れそうになる訳にはいかないと己に言い聞かせた常松は闘志を振り絞る。
「マスターって優しいのですね。きっと、そういう優しさがセクシーな雰囲気を醸し出すんでしょうねえ」
(よーーし、決まったぞ! ここは敢えて、さりげなく誉めてやるに限るな)
渾身の必殺ゴマ擦りカウンターが決まって軽くドヤ顔になる常松の前で、口髭マスターGAGAは突然クルっと身体を反転させる。
その唐突な動きにビクッと狼狽えながらも、GAGAの背中をよくよく見ると逞しいまでの像帽筋がムキムキと震えるように盛り上がっているのがわかった。
(ん? おいおい、なんだあー、このおっさん怒ってるのかあ! もしかして俺、なんか地雷とか踏んじゃってるのかあ?)
しばらくして、GAGAが再び身体を反転させ、常松に向き直る。
刹那!
振り向き様のGAGAは、常松に向かって鬼のような形相で顔を突き出してくる。
思わず肩をすくめて祈る常松。
(うわあー! こえええーーー、マジこええよーー、神様ー! くわばらくわばらー……...って、“くわばら”って何なんだあー!?)
くわばらが何なのかはどうでも良いのだが、GAGAの全身からは、天に向かって拳を振り上げて天の雲を破っちゃったどこかの兄弟の長兄みたいな闘気が陽炎のように立ち昇っている。
(これはもう謝るしかない!)
「ごめんな…………」観念した常松の謝罪の言葉をを遮って、GAGAの口髭が震える。
「常ちゃんってえーー!! なんてナイスガイなのおおおーー! あたし、嬉しすぎて感動しまくり〜〜、からのチューしたくなっちゃったわーーー」
その声はマイクもないのにエコーが効いたように店内に響き渡る。
(・・・・・・・・・・・・・・ええーーー!! 感動してたんかーーい! ん? いやいや、今なんか、このオッサン、どさくさ紛れに妙なこと言ったぞ)
度肝を抜かれまくりの常松が恐る恐るGAGAをチラ見すると、口髭のタコチューが目を閉じて顔を近づけてくるのがわかった。プライベートスペースを侵すGAGAの勢いに目の前の空気もビリビリと振動しているかのような緊迫感である。
まるで如意棒の如く迫る髭のそれ! 否、髭ではなくて、髭の下のそれ!
疾風の髭唇―――――
あわや! ―――――ゼロ距離!!
口髭、危機一髪!!!
ついにGAGAの突き出した髭唇が常松に到達するのかあ! と思われたその瞬間、常松は座ったままの姿勢で上体だけを後ろに反ってかわすことに成功した。
それはもう、背面跳びを繰り出す走高跳びの選手のような無駄のない綺麗な仰け反り。
これこそが、またも無意識に反応しているかのような常松の鉄壁のディフェンス「スウェーバック」である。
説明しよう!
このスウェーバックとは、ボクシングにおける超絶高等な防御技術である。このディフェンスをマスター出来るのはプロ選手でも困難だと言われているのだ。
つまりは、明日のためにその1とその2とその3を一気に修得してしまうような、トゥモロージョーも真っ青になるかもしれないような、そんな秘技なのである。
余談であるが、“秘技”という言葉の響きが妙にエロく思えてしまうのは筆者だけなのだろうか?
話を本筋に戻して、
常松はGAGAのあまりに禍々しいオーラをいち早く感じ取った瞬間に、自身に降りかかる災いを見事に受け流したのである。
――――――凄いぞ常松! 我らが常松! お前こそが明日のチャンピオン!
you're rolling ...........怒られるので、サンダーは書かないが、そんな曲が聴こえてくる。
常松の脳内に称賛の声がこだまするが、その額からは冷や汗が迸る。
(セーーーーフ!! アーンド、あっぶなーーーー!!!)
「あらあ〜、逃げられちゃったわね……ごめんなさいね、会ったばかりなのにね、まだ、ちょっと早かったかしら」
そんな常松とは対照的に口髭マスターGAGAは、謝罪の言葉を口にはするものの悪ビレもなく悪戯な笑顔を見せる。
(おいおい、ちょっとじゃなくて、かなり早いって!)
「いやあ、何だかわかんないんすけど、身体が勝手にというか反射的に後ろに反ってしまいまして、アハハハハ」
心とは裏腹に笑って誤魔化すものの内心、気が抜けない。
「ごめんなさいねー。あたしったら、常ちゃんがあまりに褒めてくれるものだから、ついつい嬉しくなってしまってね。そう思ったらもう我慢できなくなっちゃって、御礼のチュウを……ってね」
そう言い訳をしている側からGAGAはウインクを飛ばしまくる。
(――――こいつは一体)
流石にそのウインクまでスウェーバックでかわすわけにはいかないと思い笑って受け止める。
「こちらこそすみません。ちょっとビックリしちゃったんですけど、マスターの御礼の意思表示だったわけですね」
「そうなのよ〜、でもネ、誰にでもするわけじゃあないのよ〜」
(誰にでもしてそうな感じするけどなあ)
「そりゃあ、当然そーですよねーーアハハ…」
「あっ、でもね、常ちゃんには安心してもらいたいんだけどお〜。あたしってネ、こう見えてもイケメンが好物だからネ、常ちゃんは大丈夫よー!!」
(だから……? なんだ、大丈夫って何が? イケメンじゃない俺は安心しろってか? なんか、それって……安心するけど………なんか嫌だなあ)
GAGAの髭唇から漏れ出た“イケメン好物”発言によって常松の表情から作り笑顔が消える。
何となくクリスタルな感じに黄昏てしまいそうになり、妙によろしく的な哀愁が襲ってくるが、それを振り払うかのように常松は声を上げた。
「よーーーし! マスター、もう一杯、同じやつをお願いします」
「さすが、常ちゃん、ホントお強いのねえ」
そう言って、GAGAは新しい氷をグラスに放り込み、一気にラム酒を注ぐ。
(そうだ、こんなところで落ち込んでいる場合ではないのだった。早くここを脱出するための謎を解かないとだよ)
「ところで知っていたら教えて欲しいのですが、このフロアのエレベーターって何処にあるんでしたか……ねえ?」
ラム酒ロックをつくるGAGAの手際の良さに視線を遣りながら常松が切り出した。
「えっ????? エレベーター??」GAGAの手が一瞬止まる。
「ええ、ちょっと酔っ払ってしまったせいか、このフロアに寄るのが初めてなのもあってなのか、エレベーターの場所がどこだったのかわからなくなってしまって……考えるよりも訊いた方が早いよな〜なんて思いましてね……それで、どちらでしたっけ?」
ロックグラスを常松の前に差し出しながらGAGAが答える。
「ちょっとお〜、常ちゃんったらあ、いくらナイスガイだからってぇ、何言っちゃってるわけ〜」
「何って、エレベーターの場所を訊こうと・・・・・・」
「だからあ、ここにエレベーターなんて無いのよ〜、おかしな人ねえ」
「ええーっ?? いやいや、だって俺はエレベーターに乗ってここまで上がってきたんですよ」
「あらあ、エレベーターに乗るだなんて、妙な話ねぇ。だってぇ、ここは一階よ、地上階なの。それにね、このビルには階段しかないのよ〜、あり得ないわよ〜う! 常ちゃんってば、かなり酔っ払ってるのかしら、大丈夫〜?」
「――――――!!」
(……マジかよ! 無いってどういうことだよ!? でも、この髭マスが嘘をついているようには見えない…...が、一体どうなってるんだ?)
GAGAから視線を外した常松は、キリッと真顔になってシンキングタイムに突入。
それと同時に口髭GAGAはタバコに火をつけると、突然無口になってしまった思案顔の常松をジロリと見据えながら、煙を大きく吐き出した。