甘くて美味しい恋
小鳥のさえずりを聞きながら、芝生の上で目を瞑っている。木漏れ日の中では心地の良い風が吹いていた。
「あ!そらくん!ずっと探してたんだよ」
雪奈の声がする。そっと目を開けると、雪よりも花よりも美しい白い肌の乙女が、澄んだ空の様な瞳でこちらを見つめていた。長い垂れ髪を耳にかけながら、僕の前でしゃがむと丸く愛らしい頬をぷくりとふくらませる。
「全く、君はいつも困ったさんだね」
彼女は不満そうにそう言ったが、すぐさま顔が綻んだ。
「でも、見つけられて良かった」
そうやってコロコロ表情を変える彼女がとても可愛いと思った。微笑ましく思っていると、顔に出ていたのか彼女が困惑したような目つきで僕を見つめる。
「もう、なんで口もとが緩んでるのよ。私は心配してたんだよ!」
「ごめんごめん、貴方を見ていると飽きないなって思っただけだよ」
僕がそう言うと、彼女は眉間に深い皺を寄せてしばらく考え込む。
「それって、いい意味だよね?」
首を傾げながらそう言う彼女が愛らしくて、僕は思わず吹き出してしまった。吹き出した僕を見て、彼女はまた不機嫌そうに頬をふくらませる。
「こっちは真剣に聞いてるのに、酷いよ!」
「ふふ、馬鹿にした訳じゃないんだ。許してくれ」
こんな何気無いやり取りに幸せを感じる、ずっとこんな毎日が続くと信じていた。
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「ケホッ…コホコホッ」
頭痛が酷い、あまりの痛さに冷や汗をかいている僕を見兼ねて、雪奈が医者を呼んだ。数時間前に来た医者はずっと僕の病気について調べていた。調べ終えたのか、考え込んでいた老年男性の医者が突然口を開いた。
「これは…奇病ですね」
静かな部屋の中、老年男性の声が響いた。
「…どんな病気なんですか?」
雪奈が僕の手を握り、今にでも泣き出しそうな震えた声でそう聞くと、医者は暗い表情で説明をした。
僕の病気に病名は無く、頭から大きなツノのような突起が生えてくるらしい。進行すると普段はとても食べないようなものが食べたくなるというものだ。
つまり、鬼になるということなのだろうか。
医者が説明を終え、家を出た後、雪奈は涙を押し殺しながら僕を抱きしめた。
彼女の悲しんだ表情に、心が締め付けられる。自分自身も状況を理解出来ない中、彼女に安心して欲しくて、笑いかけるが彼女は更に顔を歪めた。僕は一体どうしてあげればいいのだろうか。
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奇病が発症してから数日が経った。病気はみるみる進行して僕の身体を蝕んでいた。おでこの上あたりが少しずつ腫れていき、前までは対して好きでも無かった肉や、動物の内臓を好んで食べる様になった。ああ、僕は段々と僕では無くなっていくんだなというのが理解出来るようにまでなった。
「雪奈」
彼女の名を呼ぶ。あと何回、こうして君の名前を呼べるのだろうか。「どうしたの」とこちらを覗き込む瞳を、あと何回見られるのだろうか。僕が深刻そうな顔で彼女を見ていたからか、困った顔だった彼女は愛想笑いを浮かべる。彼女はあの日から心からの笑みを向けてくれなくなったのだった。そんな事を考えていると、彼女が口を開く。
「何をしたらまだ君の隣にいれるのかな。どうしたら、君の側にいる事を許してもらえるのかな。わからないよ。」とゆっくりと眼を伏せ掠れた声で言った。僕も何を言えばいいのか分からず、ふたりの間に沈黙が訪れる。僕のせいで彼女が悩んでいると思うと心苦しい。しかし、目の前で弱り切っている少女は何故だかとても美味しそうだった。
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「わあ!凄く綺麗!」
夜空を見上げながら、彼女は歓喜の声を上げる。ぴょんぴょんと子供のように喜ぶ彼女が愛らしい。僕の病気が徐々に落ち着いてきたので、落ち込んでいた彼女に夜空を見に行こうと提案した。これで少しは彼女の気持ちが楽になるといいなと思った。
すると、突然彼女が真剣な表情で僕を見つめた。
「何のために生きてるの?」
きらきらと光る星空の下で彼女が僕に問う。
「きみと一緒にいたいから」
そう答え、彼女を見つめ返す。僕は愛おしい彼女を見てら気持ちが溢れた。そして、口が勝手に動いた。
――愛してる。
そう伝えたら相手は緩慢な動きで顔を上げ、こちらを見た。視線がぶつかる。しばらくそうやっていると、何か言えと言われたからまた愛してると言ったら相手の顔が真っ赤に染まった。ああ、なんて彼女は愛らしいのだろうか。
星降る夜に、躊躇いの数だけ恋を重ねて「素直になってよ」そう言うと普段はピンク色の頬を真っ赤に染め、恥ずかしそうにこちらを見る彼女。
「わ、私も…愛してます」
耳まで真っ赤な彼女は、僕の視線に居た堪れなくなったのか僕から離れようとする。それを阻止しようと彼女の腕を掴んで抱き寄せる。僕より小さい彼女はすっぽりと腕の中に収まった。彼女の甘い匂いが鼻をくすぐる。彼女に顔を近付け、少し見つめあってから一度だけ唇を重ねる。ああ、なんて幸せなんだろう。
気持ちが高ぶって彼女をギュッと抱き締めると、彼女も僕の背中に腕を回す。彼女の首元に口付けを落とすと、僕は自分を制御出来なくなった。
彼女がとても美味しそうでたまらなかった。だから彼女を食べてしまった。可愛くてたまらなかったからだ。そう、彼女が悪いんだ。でも大丈夫だよ、もう一生一緒だから。
「そうだよね、雪奈」
――そう言うと僕はもう一度人骨を抱きしめた。