陽花と矢部先輩の邂逅
「皆川まだ帰らないのかい……ああ、机が湿っているねぇ、汗かな涙かな?」
放課後、どうしても帰る気力が沸かず机に突っ伏していた俺の様子を見にわざわざ戸手が訪ねてきてくれる……本当にいい奴だよぉ。
「両方だぁ……俺はきっと女難の年なんだぁ……」
「はは、女難というのは女性と絡みがないと発生しない厄だからね……世の中に満ち溢れている女性と縁がない人からすれば羨ましいと言われる案件だと思うよ」
さらっと笑いながら言われてしまう、確かに陽花に会う前なら俺もこんなこと言うやつを羨ましく見つめていたかもしれない。
だけど実際に女難にさらされる身になってみると……身体が持たないよぉ。
「うぅ……女がこんなに面倒だったなんて……俺には戸手だけいればいいよ……お前と陽花だけいてくれればいいよぉ……」
「そんな嬉しいこと言わないでほしいなぁ、君はどれだけ僕を喜ばせれば気が済むんだい?」
「本心だよぉ……あの後朝一で矢部先輩に絡まれたと思ったら次は正道さんに一日中陽花のことを根掘り葉掘り聞かれて……周りはみんな酷い目で見つめてくるんだよぉ……うぅ……」
本当に酷いと思う、正道さんのほうから勝手に話しかけてくるのに取り巻きのような連中から邪魔者扱いされるのだから。
挙句に朝の件で女たらしの浮気者扱いされて軽蔑の視線で見られて、かと思えば一部の男子からは下ネタ関連の話題を振られて……俺はまだ色々と未経験ですぅ。
「正道葉月さんが一日中ねぇ……文武両道で真面目且つ快活で誰からも人気者の現生徒会長、だけど皆と平等に接していて一人に執着したという話は聞いたことないんだけどね」
「本当に何なんだろうなぁ……妹さんが陽花と同じ幼稚園に通ってるっていうからその関連なのかなぁ……」
俺の言葉を聞いた戸手は珍しく微笑みではなく乾いた笑みをこぼした。
「あはは……ああ、えっとなんて言うべきか……正道葉月さんは妹が居るって言ったのかい?」
「言ってたけど……え、まさか嘘なのか?」
「う、う~ん……下に齢が離れた子が居るのは聞いたことがあるんだけど……」
どうにも歯切れの悪い言い方だった、何を言いたいのだろうか。
「いや、僕は正道葉月さんとはそこまで親しくはないから君の言うことが正しいのかもしれないね……この話はやめておこう」
「な、なんだよ気になる言い方して……せっかくだし教えてくれてもいいだろ?」
「いや人にはそれぞれ事情があるだろうし僕が言っていいことなのか分からないからね……それよりも窓から校門を見てごらん、ほら矢部稲子先輩がこの教室をじっと見つめているよ」
「えぇ……ひぃっ!? ま、瞬きもしないでこっち見てるぅうっ!?」
滅茶苦茶怖い、何で戸手は笑顔で手を触れるのだろうか……しかも矢部先輩ガン無視して俺しか見てねえ。
「ほら早く行ってあげないとどんどん危険度が上がっていくよ?」
「軽く言わないでくれよぉ……戸手ぇ、今日一緒に帰ってくれぇ……一緒に暮らしておはようからお休みまでを隣で見守ってくれよぉ」
「あはは、それは素晴らしい提案だけど僕と君の気持ちだけで決められる問題じゃないからね……本当に残念だけどね」
そう言う戸手の顔が物悲し気に見えたのは俺の勝手な思い込みだろうか。
「特に今日は用事があるからね……ただ、何かあったら連絡してくれ、皆川がどうしても困ってるなら僕はすぐにでも駆けつけるよ」
「うぅ、いつだって戸手の優しさが俺には眩しいよ……」
「そんなことはないよ、何だかんだで頑張っている君こそ僕には美しく映るよ……じゃあそろそろ僕は行くからね」
「ああ~行かないで~俺の唯一の安全地帯~~」
「大丈夫、君ならきっと上手くいくよ……僕と違ってね」
俺の声掛けに申し訳なさそうに微笑み返しながら戸手は立ち去って行った。
窓からちらりと外の様子を眺めると、ずっと瞼を開きっぱなしのせいで血走った瞳をこちらに向けて笑顔で手を振っている矢部先輩。
はっきりいって滅茶苦茶怖い、やっぱり約束なんか反故にして裏口から逃げだしたい……裏口があればの話だ。
(逝くしか……いや行くしかないかぁ)
俺はトボトボと肩を落として校門へと向かうのだった。
矢部先輩は俺の姿を見つけるなり駆け寄り手を取ってにんまりと微笑んだ……ちょっとひんやりしてすべすべで心地いい手触りだ。
「皆川君~、さあ早速悪魔を退治に行きましょうっ!!」
「陽花は悪魔じゃなくて天使ですぅ~……矢部先輩、くれぐれも言いますけど泣かせたら承知しませんよ?」
「もう、そんな甘いことでどうするのっ!? まあそこが皆川君のいいところでもあるんだけどさぁ」
共に連れ立って陽花のバスの停留所を目指す。
矢部先輩は精神面はともかく見た目はとても麗しい……胸部の振動率も実に素晴らしい。
そんな女性に嬉しそうに話しかけられながら並んで歩くこと自体は悪い気はしない……発言内容はともかくとしてだ。
実際にまたしても周りにいる生徒たちからは嫉妬混じりの色んな視線が飛んでくる、実はちょっとだけ気分がいい。
「はぁ、でもドキドキするなぁ……ちゃんとご挨拶できるかなぁ」
「はは、陽花はいい子だから心配する必要ないですよ……挨拶だって普通にすればいいんですよ」
「けど私初めて男性の、それも皆川君のお家に行くんだもん……親御さんにもしっかりいいところアピールしとかないと」
一体何の話をしているのだろうか……そういえば矢部先輩は俺の家庭事情を知らなかったな。
「矢部先輩、俺の家に両親はいませんよ……共働きで且つ二人とも単身赴任中ですからね」
「えっ!? じゃ、じゃあ皆川君と二人っきりっ!? 夜更かししてイケナイ読書プレイ決定なのっ!?」
「どんなプレイですかそれ……というか妹の陽花もいるし、そもそも矢部先輩を泊めるなんて一言も言ってません」
ちょっとだけイケナイ読書プレイに興味があるのは秘密だ……ピンクな小説の朗読会とか、或いはあの胸に俺オリジナルの栞を刺したりとかっ!?
(ああもう、矢部先輩みたいな魅力的な女性がそういうこと言わないでほしい……思春期の男子の俺には効果抜群だよ)
脳内が少しだけ危険な妄想に染まりそうになり、慌ててクールダウンすべく陽花の可愛いフリフリダンスを思い出す……ああ癒される、早く会いたいなぁ。
「むぅ……皆川君、今陽花ちゃんのこと考えたでしょ……鼻の下伸ばしてぇ」
「い、いやそんなことはっ!?」
鼻の下を伸ばしたのは矢部先輩の妄想が原因なのだが、しかし陽花のことを考えていたことは間違ってない。
どうしてこう女性は感が鋭いのだろうか。
「あ、ほらあそこですよ停留所……丁度バスも来るところみたいですねぇ」
「もう話をごまかしちゃってぇ、まあいいわ……よし頑張るぞーっ!!」
一体何に気合を入れているのやら、とにかく陽花のお出迎えをするとしよう。
「せんせーさよーならー、お兄ちゃんただい……ま…………なにそのうしちちおんなっ!?」
「う、うしっ!? き、聞いた皆川君っ!? こ、これがこの女の本性なのよっ!?」
「あはは、陽花ったら牛さんを思い出しちゃったんだね……だけどそういう言い方は失礼だからやめておこうね」
陽花の無邪気さにも困ったものだ……無邪気だからだよな、そうに決まってるよなよなっ!?
「うぅ……お兄ちゃんいつもどおりだっこぉっ!! あといつもどおりちゅーもっ!! このおんなに陽花がせいさいであることをみせつけないとっ!!」
飛びついてきた陽花をいつも通り抱き上げる……はは、気が付けば抱っこが当たり前になってしまった。
「陽花ったらぁ、抱っこはともかくキスはしてないだろぉ……あと陽花が繊細なのは見ればわかるから平気だよぉ……」
「皆川君っ!? この子正妻って言ってたんだよっ!! 全然無邪気じゃないよぉっ!! しっかりしてぇ目を覚ましてっ!!」
「あははは、矢部先輩肩を掴んで振り回さないでぇ……目が回りますよぉ」
「お兄ちゃんっ!! なにいちゃいちゃしてるのぉっ!! ほら陽花だけみてっ!!」
「陽花ぁ、お兄ちゃんの首根っこ掴んで揺すらないでぇ……二重のシェイクでお兄ちゃんぶっ倒れそうだよぉ……うぅぅ……」
声を大にして言いたい、俺が何をした……何でこんな目に合わなきゃいけないんだ。
ああ戸手の幻覚が見えてくる……えっ俺が優柔不断だからだって、戸手はそんなこと言わないもんっ!!
しっかりしよう、頭を揺らされ過ぎて吐きそうなぐらいクラクラするけど目の前の現実をちゃんと見つめないといけない。
「はーい、みてのとおりお兄ちゃんは陽花せんようなのですぅっ!! だからもうあっちいってしっしっ!!」
「何言ってるのっ!! 後から割って入ってきてぇっ!! 私と皆川君の仲はそんなんじゃ断ち切れないんだからねっ!!」
「ふふん、たちきるようななかじゃないだけでしょっ!! 陽花とお兄ちゃんなんかちゅーしあうかんけいなんだからねっ!!」
「私たちなんかお互いに大切な思い出を共通し合う仲なんだからっ!! 今日だって一緒に手をつないで歩いたのよっ!!」
「陽花だってまいにちおててつなでるもんっ!!」
目の前の現実を見つめて……見つめて……ああ、現実逃避したいわー。
(戸手ぇ、どこにいるんだ戸手ぇ俺を助けてくれよぉ)
携帯で思わず救助を依頼したくなったが、こんなことであいつに迷惑はかけれないと思って何とか我慢した。
しかしまさかここまで矢部先輩が幼稚な争いをするとは思わなかった。
家に寄っていいと許可を出した以上は責任をとってこの場を納めなければならない。
(いや、俺が頑張んないとな……俺全く悪くないと思うけど頑張んないとなっ!!)
自分に一喝して気合を入れると、二人に向かって微笑みかける。
「二人ともすっかり仲良しだなぁー、とりあえず立ち話も何だしお家に行きましょうか?」
「お兄ちゃんこんなおんなを陽花たちのあいのすへごしょうたいするきなのっ!? しょうきっ!?」
「陽花ぁ、あの家は親父の持ち家だから俺たちの愛の巣じゃないぞー」
「あっはっはっ!! 聞いたかしら陽花ちゃん、これが皆川君の本心よ……皆川君はねぇ私と本を読んだ感想を語り合いたいのよっ!!」
高笑いを上げる矢部先輩……悪役かな?
「矢部先輩、俺はあんな辞書の感想を語り合う気はありませんよ……ついでにいうと辞書を渡したらさっさと帰ってくださいね」
「あはははっ!! きいたうしちちっ!! お兄ちゃんは陽花といちゃいちゃしたいからさっさとかえれっていってるのよっ!!」
「皆川君、こんな子といちゃいちゃしたいって正気なのっ!?」
現実が……現実が息苦しいっ!!
俺が何をしたって言うんだ……ああ、道行く人々が俺を露骨に屑を見る目を向けてくるぅううっ!!
(違うんだ、これは修羅場じゃない……修羅場じゃない……ただちょっとあれだ、あのえっと……修羅場以外の何物でもねえよ畜生っ!!)
「ちょっとお兄ちゃんっ!! きいてるのっ!! このおんなにちゃんと陽花がいるからあっちいってっていってやってよっ!!」
「ちょっと皆川君っ!! 聞いてるのっ!? この子に私と至高の読書タイムを過ごすから邪魔しないように言ってやってよっ!!」
「ああ、そうですねぇ……そうですねぇ……そうですねぇ……あはは……うぅぅ……っ」
(空の夕焼雲が綺麗だなぁ、あれはどこに流れていくのかなぁ……おーい、俺も連れてってくれー)
もう何もしたくない、俺は何もかも聞こえないふりをして帰路を歩み始めるのだった。
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