陽花と過ごす朝
口元が何かに触れる心地、鼻にはとても清涼感溢れるけどどこかミルクのような甘ったるい匂いが入ってくる。
「えへへ……お兄ちゃんおはよー」
目の前でドアップに迫る幼いながらも整った綺麗な顔、義妹である陽花が布団の上から俺にまたがって顔を覗き込んでいる。
「おはよう陽花、何をしているのかなぁ?」
「おはようのちゅー……きゃぁいっちゃったぁはずかしいっ」
照れた様子で顔を火照らせて頬に両手を当てて、切り揃えられた艶やかな黒髪を振る姿はとても可愛らしい。
けれど幼稚園児という年齢故か微笑ましいとかいう部類の感情しか伝わってこない。
「あはは……うれしいなぁ陽花のキス、前にファーストキスも貰っちゃったしね……はぁ」
ほぼ毎日おはようのキス攻撃を受け続けている、初めては確か引っ越してきて半月ほど経ってからだっただろうか。
流石にその時は驚いてドキッとして……興奮的な意味ではなく犯罪的な意味でだがしてしまったのを覚えている。
でもそれから一か月、もう慣れてしまった。
最初は何度か窘めたり叱ろうともしたけれど、伝家の宝刀である女性の涙に幼子属性まで加われば勝てるはずがなかった。
(親父も義母も仕事だとかで家に帰ってこないし……誰か止めてくれないかなぁ)
だから血の繋がらない異性の衝動を止めれる者は誰もいないのだ、ある意味では信用されているともとれる。
最も両親たちからしても陽花からの襲撃は想像もしていないだろう……いや微笑ましい光景だと笑うだろうか。
「ほら陽花、ご飯食べて歯磨きしてお着替えして幼稚園行こうな?」
「はーい」
うん、とても良い子だ。
こういうところも含めて一つ一つの仕草が可愛くて仕方がないのは事実だ。
だからこそ邪険にはできないのだから問題が発生する。
「お兄ちゃん、たべさせてぇ……」
「わかってますよ、ほらお嬢様あーんして」
「あーん、あむっ」
食事は俺が作っている、元々親父が帰ってこなかったせいで疑似的に一人暮らしを続けていたから大抵の家事は出来る。
ただ幼稚園児の食事は作ったことがなかったから大変だったが、もう普通に食べれると聞いて楽になるはずだった……のだが。
「そろそろお一人で食べれるように練習しましょうねー」
「やぁー、陽花まだしょっきもてないのーおはしもむずかしいのー」
「幼稚園ではどうやってお弁当食べてるのかなー?」
「ひみつー、おにいちゃんあーんっ」
陽花の口に食事を運ぶ俺、多分義母の言う通り本当は一人で食べれるのだろう。
だけどこうしない限り陽花は意地でも朝食を取ろうとしないのだ、当然そうなれば遅刻は免れ得ない。
(早く食べさせないと俺、はともかく陽花が遅刻してしまう……バスの送迎に間に合わないと地獄だ)
何度か自転車で幼稚園に送り届けたことがあるが、背中を取った陽花がこちらが抵抗できないのをいいことに色々とちょっかいを出してくるのだ。
服をまくられて脇をくすぐられたり背中にキスされたりと、もう何というか……泣けてきた。
だから絶対に遅刻するわけにはいかず、結局食べさせざるを得ないのだ。
(完全に手のひらで弄ばれている感がする……流石に計算ではないと信じたい……)
最も天然ならそれはそれで末恐ろしい。
「はい終わり、御馳走様でしたしようね」
「ごちそうさまでしたー、おにいちゃんはみがきー」
「分かってますよお嬢様……はぁ」
当然歯磨きも俺の仕事だ、陽花の柔らかい歯茎を傷つけないよう磨くのは本当に大変な作業になる。
だけどこれも俺がしてやらないと愚図る。
家に来たばかりの時は一人でやっていたのを何度か見たのだが……できないと断言して押し通した陽花はやっぱり末恐ろしいと思う。
「んぁ……んんっ……おひいはぁん……」
「歯磨きの途中で喋らないの……ほらお水でぐじゅぐじゅ、ぺしようね」
「ぐじゅぐじゅ、ぺっ……できたー陽花のはきれいになった?」
磨き残しがないかの確認のためイーっと歯を見せつけてくる陽花、ちゃんと距離を取って確認をする……目がこちらの隙を油断なく狙っているからだ。
(前にここで油断して近づいて……強引に口づけされて唇切ったなぁ、あれは痛かった)
「んー、よし磨き残し無し……キレイキレイできたね」
「ちゅーしたくなった?」
「ははは、ほらほらお着替えしようねー」
何とか無難に歯磨きを終えて俺は陽花を追い出すと、改めて自分の歯磨きを行う。
流石の陽花もトイレだとかお着替えとかは恥ずかしいらしくて自分で行うのだ……本当に助かってる、羞恥心万歳。
(早く着替えとかトイレ以外にも羞恥心を覚えて一人でやるようになってほしい……)
お世話自体が辛いわけではない……いややっぱりちょっと辛いとは思うけど嫌なわけでは断じてない。
だけどこんな調子で、どうせ将来的に成長すれば兄離れするのだから黒歴史を増やし続ける必要はないと思う。
(陽花の将来を考えればこそ早い段階での独り立ちを促さないとなぁ)
頑張って距離を置こうとしているのだが常について回るし引っ付かれてしまい、上手くいかない。
かといってちょっとでもきついことを言うと泣きついて謝罪の嵐になるからどうしても許してしまう。
(上手く距離を置く方法があればなぁ……はぁ)
考え事をしながら体を動かすのが上達してきた、気が付けば俺と陽花のお弁当を準備し終えていた。
「おにいちゃん、おきがえできたー」
「どれどれ……うんとっても可愛いよ」
「えへへーじょうずにできたもんっ」
この可愛いの一言が重要だ、これがないと何度でもお色直しとばかりのお着替えタイムが始まってしまうのだ。
自称アクセサリーの首元のリボンだとか玩具の髪飾りだとかを変えるだけなのは可愛いほうだ。
エスカレートするとボタンの縫い替えだとか紐で髪型を変えてだとか色々と要求されるようになり……ああ、あれは地獄だったなぁ。
「はいお弁当……お兄ちゃんもお着替えするから忘れ物ないようにしっかり準備するんだよ?」
「お兄ちゃん、おきがえおてつだいする?」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだから一人でお着替えできます、いいから準備してきなさい」
「ぶー」
自分が素肌を晒すことには恥じらいがあるのに、俺の裸はむしろ望むところのようだ。
おかげでお風呂上りなど何度待ち伏せされたことか……勘弁してほしい。
ササっと着替えを済ませてしまう、寝ぐせは歯を磨いたときについでに直してある。
(急がないと、陽花に襲撃される……また服装チェックと称したセクハラを受けるのはごめんだからな)
忘れ物がないかとお尻ポケットを執拗にまさぐられたり、ボタンを直すと称して胸元に手を突っ込んできたり、目にゴミが付いていると顔をまさぐられたり、口元が緩いとキスされそうになったり……勘弁してくれよ本当に。
「お兄ちゃん、じゅんびできたよー」
「こ、こっちも準備できたから今行くよっ!!」
「はやくはやくぅ……バスさんきちゃうよぉ?」
鞄を持って陽花の手を引いて、家に鍵をかけて幼稚園バスの停留所へと向かう。
「お早う御座います先生、ほら陽花挨拶は?」
「おはようございますせんせー」
「はいおはようございます、お兄さんいつもご苦労様です」
「こちらこそお世話になっております、じゃあ陽花ちゃんと先生の言うこときちんと聞くんだよ?」
「はーい」
壮年期と思われる女性に陽花を預けてようやく一息つくことができた。
(解放感がすさまじい……本当に何であそこまで俺に懐いてくれるんだろうか?)
もはや懐くというより執着に近い気がする。
何が原因なのかははっきりしないけれども、親が仕事がちのためずっと家で一人ぼっちだったことも大きいとは思う。
(俺も子供の時は一人ぼっちの家で寂しかったもんな……だから一緒に過ごせる家族が嬉しくてたまらないのかな?)
そう考えるとやはり邪険にすることには抵抗が生まれてしまい、恐らく今後もこの調子での生活が続くことだろう。
「はぁ……」
(可愛いのは事実だし、かまってあげたい気持ちもあるけど……やっぱり辛いなぁ)
思春期の男子としては一人になりたい時も多いのだが、陽花が来てからこっちずっと監視状態だ。
何とかならないかと頭を悩ませながら、俺は学校へと向かうのだった。
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