第一曲:友人との戯れ
「そりゃあ奏が悪いな。セクハラで捕まってこい」
「現在進行形で罪を犯しているお前が言うな」
学区内にある安賃貸アパートの四〇五号室に帰宅した俺は、しれっと不法侵入し当然のように人ん家の冷蔵庫を漁り平然と俺の好物であるプリンを食すチャラチャラした茶髪の屑友人──藤野裕也に彼女の名前だけは伏せて先程の出来事を包み隠さず話したら呆れたように指摘されたが、割と強めに言い返した。
だが、裕也は「その通りだわ」、と悪びれた様子もなくけらけらと笑うだけ。
こいつマジでぶん殴ってやろうか。
「それよりさ」
「俺がわざわざ小一時間並んで買ってきたクローバー印の濃厚なめらかプリンを許可なくぱくぱく食っておいて、それよりの一言で流せるとでも思ったのかっ?」
「そっかまた買ってこい」
「ぶっ○すぞ」
「お巡りさんコイツですっ!」
「うるせぇ……」
裕也の無駄にハイトーンな大声が鼓膜を刺激しキーンと脳天にまで響く。
問い詰めた俺が言えた義理ではないが、もう少し声のボリュームを抑えて欲しい。
ただでさえ安賃貸のアパートで壁が薄いのにこれでは単なる騒音問題。近所迷惑にも程がある。
しかし、当の本人は変わらず実に愉快げな笑いを浮かべていた。
こいつとの関係は小学三年のクラス替えからずっとこの調子で続いている。所謂、腐れ縁というやつだ。
裕也は見た目から分かる通りかなり明るい性格をしていて、昔から友人も多い。とても根暗でぼっちな俺なんかとは決して対等な友人として釣り合わないのだが。
こうも親しく話しかけ続けられていたら邪険に扱いづらくなってしまい、今では唯一の友達といってもいい関係性にまで発展した。
それに、チャラそうに見えて裕也はめちゃくちゃ義理堅いし意外とまめな性格をしているので、本気で俺が嫌がっていると感じたら引き際を弁えてくれているから俺としても付き合いやすい。
意外と人を見る目はあるのだ。人を見る目はな。
「まぁまぁ落ち着けよ、親友。俺とおまえの仲じゃねぇか!」
「ちっ……」
「そのツンデレ舌打ちも相変わらずだなぁ〜。いい加減素直になっちゃえば楽だろうに……そんなんだからオレ以外の友達が出来ないんだぞ?」
「おまえは俺のオカンか」
「奏の態度次第ではそれもやぶさかではない」
「やめろ気色悪い」
俺が嫌悪感丸出しでそう言い返すと、はっと何かに気付いたように目を瞠いた裕也がわなわなと肩を震わせた。
何やらしょうもないことでも考えているのだろう。
こういうところを理解できてしまうあたり、裕也のアホに相当毒されていると思う。
「は! でも俺が奏のオカンになったら奏に勉強を教えてもらえなくなっちまうっ! それは困るっ!!」
「そんぐらい自分でやれ」
「無理っ!」
「清々しいほどの即答だな」
そらみたことか。すげぇちっちゃい話だことだし、絶対に胸を張って自慢げに言うことじゃない。
こうして軽口を叩けるのも裕也だけ。そういう意味でもこいつの存在は必要不可欠といえるのかもしれないが、もうちょっとばかり真面目に成績は伸ばしてほしい。
毎回赤点を排出するのは、見ていても生きた心地がしない。
教えても教えても欠点赤点の大フィーバーになった時は、本気で友人関係を断絶してやろうか迷ったぐらいだ。
俺? 自慢じゃないが、俺は一応トップ一〇前後辺りの点数をキープしている。
毎日復習は欠かさずやってるし、それが一人暮らしをする上での両親との約束だったりするので、絶対に成績は落とせない。
「そんなテストのことはどーでもよくて話を戻すけどさっ!」
「テスト勉強はちゃんとしろよ?」
「うっせ! てめぇは俺のおかんか!」
「急に立場逆転したな」
「異議ありっ!」
「それは逆転○判な」
「おぉ〜! 奏のくせにちゃんとツッコめたっ!」
「おまえ俺をバカにしてんだろ」
「うん」
途端に真剣な顔で首肯する裕也。直後、裕也に掴みかかる俺。
裕也のくせに本気で俺をバカ扱いするとはな。よかろう、戦争だ。
「それより話が進まねぇなっ! ……うぉっ!? って、強っ……え、力強っ!?」
「用件なら(潰される前に)早く話せよ」
腕を掴み合ってマウント取りを始める俺達。ギリギリと鬩ぎ合って拮抗する互いのパワー。
しかし若干俺の方に部があるようで、裕也の顔には余裕が無い。
容姿や体格だけなら完全に俺が劣っているように思えるかもしれないが、実のところ裕也は運動が苦手だ。
如何にも運動部に所属しているチャラ男みたいな雰囲気なのに実はインドア派な裕也は、体育の授業で漫画のキャラみたいなヘマを連発して俺達クラスメイトを慄かせてくる。
顔も整っている上に社交性はあるし憎み難い性格をしているので交友関係が広い。
故に、周囲から小馬鹿にされるといったことはないが、時折クラスメイトたちが裕也のことをまるで母親のような慈愛を含んだ優しい瞳で見ている時があり、そんな訳で女子達からは恋愛対象として見られていないそうだ(本人談)──そんなちょっぴり可哀想なやつなのである。
だからといって、今回の話とは全くの別件なので情けも容赦もなく潰させてもらうがな。
「おまっ……!? 今、早くの前になんか物騒な間が無かったか!?」
「それが用件なんだな? オーケー潰す」
「い、今っ! よ、用件のルビが絶対におかしかったろ!?」
「死ね」
「安直ぅうううう──っ!」
一気に圧殺せんとばかりに力を込めると、裕也は顔を青ざめさせて、
「ちょぉおおおおーーーとっ、待って下さいぃいいいいい──ッッ!!」
無駄に高音な声帯を大きく震わせ、部屋中に絶叫を響き渡らせた。
──数分後
「──ぜぇぜぇ……ふぅーっ…………酷い目にあった」
「全部おまえが悪い」
「それはどう考えてもおかしいって思わないのか?」
「で? さっさと続きを話せよチャラ男」
「無視かよっ!」
さっきまで死に体同然のようにぜえぜえと苦しそうに息をして仰向けに倒れていたのに、もう活力万点の声を上げる裕也。
その回復力には舌を巻くが表面には出さず、あらぬ方向に顔を逸らした。
「こんにゃろ……」と、なにかぶつぶつと言いながら不満を隠そうともせずに細めた瞳をぶつけてくるのだが、これ以上言っても無駄で不毛な争いにしか発展しないと悟ったようで話を戻すことにしたようだ。
「……もういいや。んで、話を最初に戻すぞ」
「賢明な判断だな」
「昔からなんか棘があるっつーか、一々癪に障る言い方するよなぁ」
眉根が下げて苦笑する裕也の口から呆れ交じりの溜息が吐き出される。
そこまで俺の物言いが偉そうに聞こえるのだろうか? こっちは全くそんなつもりないんだけどな。今後、幾分か気にかけておくことにしよう。
まあいいやといった感じで割り切った裕也はいたって真剣な面持ちを向けてきて。それによって弛緩しきっていた部屋の空気が一瞬でピリッとし自然と背筋が伸び切った。
普段おちゃらけた笑いしか見せない裕也のまじめな様子に何事かと焦燥しきった俺は、緊張で固唾を呑んだ。
その瞬間、たっぷりと間を取っていた裕也の口が漸くゆっくりと開かれた。
「………………そのパンツ何色だった?」
その直後、わりかし本気の右ブローを打ち込んで裕也の意識を刈り取ってしまった俺は、何も悪くないと思う。
夜の市街地は閑散としていて寂しさで満ちていると言われているが、俺はこの静けさこそが市街地本来の姿のように思えて個人的には好きだったりする。
そんな静寂が支配する世界だからこそ人とすれ違うことも基本的にないし、たとえすれ違ったとしても帰宅途中のスーツを着たサラリーマンぐらいなもので、普通はこんな時間帯に出歩いている学生は俺ぐらいなものだった。
「え……?」
——今夜、このピンクパンツ美少女と交差点の信号待ちで二度目の対面を果たすまでは。