まとの蛍
私の喜ぶ様子をともに喜んでくれるような表情をして一葉は「まあ、気丈なお方ですこと。まさしく士を見ます、あなたに、はい。ほほほ。これではあなたのことを判ることにはなりませんが、しかしあるいは一番わかったのやも知れません。あなたの身分や地位がどういうお方であれ、いまのお歌に一番あなたが出ているのでしょう。‘堪能’致しました」と云ってくれた。これに対して何をか云わむ、また云うべしや。先程もそうだが思い余ってただ一言を返すばかりである。「いや、ありがとうございました。師匠に褒めていただいて、こんなに嬉しいことはありません」、と。
この親和力の至りを見届けたかのように私の胸に帰還を伝え来るものがあった。もちろん彼女樋口一葉の帰還をである。何と云うか、伸びきったゴムひもの限界を伝えるような、それが元の適宜な場所に戻るのを促すような感覚で、自然からの促しのような感覚である。時空を越えてまで無理をして伸びてくれた一葉に、またそれを為さしめてくれた存在に、感謝の思いいっぱいに私はそれに従った。一葉を彼女の本来の世界にエスコートしなければならない。私は自然のうちに彼女の手を取ってこう云った。「ところで、さあ、もう帰りましょう、本郷へ。お母様と邦子さんが待っている、あなたの良きお友だちたちが皆待っている世界へ。私がご案内します」と促したのだった。これに何の疑問も言葉も差し挟むことなく一葉は私に手を預けたまま私と歩を進め始めた。林の一角に何かオーラのような暖かいものを感じる。時空の割れ目とすぐに悟った。もうすぐ、一葉はいなくなる。このやわらかな、温かい手を、その感触を私はいつまでも覚えていよう。ありがとうございました…。
このまま、豊穣の感覚のままで居れるような塵の世ならば私も一葉も苦労はしない。至福の、一番大事な今のこの瞬間でさえ、世の澱と軋轢は容赦なく襲い来る。「このプータロー!」と大声で罵ったあと悪ガキどもが爆音を轟かせながら公園の周囲を車でまわりはじめた。一瞬顔をしかめてそれを目で追う私に一葉が「こうしてあなたに身を寄せていると温かい。冬なのに身が火照って夏のようです、ほほほ。そう云えば林の向う側に何か蛍のような光が舞っているのが見えます」。「え?蛍?」と思わず聞き返す。ああ、そうか、悪ガキの車や他の車群が一葉にはそう見えるのかと合点する。「ええ、蛍が。それで思い出しましたが、先程の‘尚泣け’とおっしゃるなら、私は世の無体と無明を云うよりは、自らのそれを泣きたい気がします。私にはまだ何も見えない、私の目をふさいで、すべてを邪魔しているものの正体が。歌にすれば、‘思はめやまとの蛍の光なきしみのすみかとなさんものとは’とでもなりましょうか、ほほほ。いまだすべてが暗うございます…」。
確かにそうだ。世が人がというよりは自分の無明こそが自分を更生させず、闇に引き止めているのかも知れない。一葉に負けぬいまのこの不遇を「どうしようか」ではなく、ひたすら自分は「どうあるべきか」を探り、そして「大事なものは何であったか」を求め続けることが肝要なのだろう。しかし云うは易しである。今晩これからも、また私のこれからの人生も、それぞれ闇はなお深くなるのだろう。一葉同様光はまだいっかな見えない…。
いつの日か彼女とまたこうして人生や文学を語り合えるだろうか。時空の隙間に入る直前一葉が私の肩に頭をあずけてくれた。恋しい。いとおしい。この人こそが。まさに一葉恋慕である。その一葉がいま、消えた…。
「小説返歌」
世が人がとありかかりとひたみちに云ふが空しさ己心の魔ななり
花と咲きお蝶呼びたし我妹子をうもれ木ままでは果さざるらん
ー上二首著者