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ファンタジー

クリスマスの夜に2008

作者: 知舘美衣

文章力・表現力がないにも関わらず、辛かった一年を振り返り、こんな日があったっていいじゃないかと言う想いを込めて書きました。他作品と類似する箇所もあるかと思いますが、完全な自作です。この物語はフィクションです。

 わたしの住んでいる日本では、毎年クリスマスを楽しみにしている人で街はごった返している。この、年の瀬に、なぜみんなはこんなに幸せそうなのだろう。


 ここ日本は、無宗教の国と言われている。人それぞれ、自分の信じたい宗教を信仰すればいい。そしてもし、宗教を信仰する気がないのなら、信仰しなくてもいいことになっている。それはある意味ではとっても自由でいいことのように思えるが、今日のような馬鹿騒ぎにはいささか閉口してしまうこともある。


 まあ、そんなことを考えるのもきっと、自分に恋人がいないからなのだろう。


 わたしも、これ以上の人はいないと思った時もあった。その人と生涯を共にしようと思った人もいた。だがそれは過去の話だ。今は別々の道を歩んでいる。これこそが真実であって、結局は彼とは縁がなかった、そう自分に言い訳をしなければ、どんなにかわいげの無い女だと噂されようと強くならなければ、人生なんてこの先やっていけないのだ。


 家に帰っても誰もいない。唯一恋人と言えるのは、家にある一台のパソコンのみ。現代の日本人としては普通のことだ。

 そしていつものようにパソコンを起動する。ネットゲームをしても、こんな日はクリスマス一色だ。まあ、バーチャルな世界でのクリスマスなら、きっとわたしの相手をしてくれる人がひとりくらいはいるだろう。


・・・・・・誰もいない。

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・しばらく待っても誰もINしない。

きっとみんな、バーチャルなクリスマスなどではなく、リアルタイムのクリスマスを楽しんでいるのだろう。


 ふと寒気がし、家の中を見回す。我が家は都内にある狭いアパートの一室。都内とは言っても安いだけが取り柄のワンルームだが、どんなところでも住めば都だ。今は家だってない人がいるんだから、家と呼べる場所があるだけでも幸せなことなのだ。


 そういえば、帰ってからなにも食べてない。暖房もつけるのを忘れていた。道理で寒いわけだ。ブルブルと震えながら小さな石油ファンヒーターをつける。おなかもすいた。冷蔵庫を見ても寒いだけでなにも食べられそうなものがなかった。スーパーで食材を買ってなにか作ろうと思っていたのに、あちこちどこもかしこも混雑していて嫌になってそのまま手ぶらで帰ってきたんだっけ。


 いまさら外に出るのも億劫だな、と考えていると、玄関のチャイムが鳴った。はて、こんな日にわたしを訪ねてくる人などいないはずだが。

 最近では詐欺や痴漢、強盗などが世間を横行している。わたしは警戒しながら玄関にある小さなのぞき穴から外を眺めた。

 のぞき穴に嵌った凸レンズに、外でベルを鳴らした人物の顔が浮かんだ。どうやら女性のようだが、誰だろう、知らない人だ。


 知らない人には応じない方がいい。なにかの押し売りかもしれないし。わたしは再度鳴った玄関チャイムを無視することにした。

 玄関チャイムはしつこく鳴っている。それでもわたしが無視していると、外からか細い声が聞こえてきた。


「すみません。家を無くして困っています。失礼かと思いますが一晩泊めていただけないでしょうか。」

 わたしは再度玄関ののぞき穴から声の主を見た。さっきの人物がまだいる。これはどこかのテレビの番組なんだろうか。それとも素人を狙ったどっきりなのだろうか。

目を白黒させているわたしを尻目に、声の主はさらに続けた。


「お願いします。いつもはこの近くの河川敷で夜露を凌いでいたのですが、今日はとても寒くて・・・」

 そうは言われても、わたしだって女ひとりで暮らしているのだ。第一、そんな言葉を鵜呑みにするのはとても危険じゃないか。


それでも、声の主の声がこの寒さで震えているのが話し声でわかる。わたしの心の中の良心が、「入れてやれ」と言っている。だが、その言葉に素直に従う気にはなれなかった。


 今度は玄関を叩く音がした。これ以上この人の応対をしなければ、きっと近所の人にも迷惑がかかるだろう。自分の中でそんな言い訳を思いつき、玄関をちょっとだけ開けてあげる気になった。警戒する気持ちには変わりがなかったので、玄関の鎖を取り付け、ちょっとだけ戸を開けてみた。外にはほっとしたような表情の女性が立っていた。


「あの・・・」

その女性がさっきと同じ言葉を繰り返すのだろうとわかって、こちらから断りを切り出そうと、女性の言葉を遮って言った。


「ごめんなさい。今わたしひとりしか居なくて。主人に断らないと泊めてあげられないんです。主人は家に見知らぬ人がいるのが好きではなくて。」

もちろん嘘っぱちだ。結婚なんてしていないし、恋も面倒だ。昔は恋することに恋していた時代もあったが、30歳も過ぎると、恋なんてただうっとおしく感じるだけだからだ。


「ここから数キロ離れた駅の近くには、ネットカフェもあるはずです。そちらに泊まられてはいかがですか?」

ちょっと意地悪な言い分だと自分でも感じたが、女性は動じずに俯いた。


「はい。実はネットカフェにも泊まろうとはしたのですが、あちこちで今失業者が増えて、どこもかしこも空きがなくて。お金も底をついてきたので河川敷の鉄橋の下で寝泊りしていたのですが、今日はとても寒くて。勝手なお願いだとは思いますが、今日一晩だけでいいのです。お願い出来ませんか。」


 女性を見ると、何日も風呂にさえ入っていないのではないかと思える身なりをし、手にはいつから持っていたものかわからないが汚くなった手提げひとつ持っているだけだった。髪はボサボサで服もところどころ汚く汚れている箇所があり、浮浪者のそれとたいして変わりはないように思えた。


 見れば自分と同じかそれより少し若い感じなのに、この寒空の下寝る場所もなく過ごしていたのか。そう考えれば自分がとても裕福な生活をしているようにも思え、また目の前の女性が不憫にも思えた。そういえばさっきから、わずかに開けた戸から冷たい夜の冷気が入ってくる。もしかすると今日は雪になるのかもしれない。都会では珍しいことだが、時々雪は降ることもあるし、もし今日がその日で、ここでこの女性を断って、次の日には哀れにも凍った死体を目にするのもごめんだ。自分の良心に大義名分をつけて、不本意だがこの女性を家の中に入れることにしようと思った。もしかすると、少し体を温めるだけの時間をあげさえすれば、このなにかこの女性をうちに泊めることも回避出来るような名案が浮かぶかもしれない。それにもし、これがどこかのテレビの番組だったりどっきりだったりした場合、自分の冷酷さが全国に流れてしまうかもしれないのだ。


 渋々だが、玄関にかけてあった鎖を取り除き、戸を開けてあげる。女性は目に見えるほどガタガタと肩を震わせながら玄関に入ってきた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。」

今にも泣き出しそうになりながら、その女性は礼を述べながら玄関に座りこんでしまった。


「どうぞ。」

無愛想に手招きをすると、女性は靴を脱ぎ、いそいそと入ってきた。

女性が玄関に入るとすぐにわたしは戸を閉め、鍵を閉めた。


 女性は弱弱しい体で、顔は痩せこけていて、今まで見てきたどのホームレスよりも惨めに見えた。この女性ひとりなら、わたしを急に襲ったりはしないだろう。もし襲って来たとしても、大声を出せば隣近所にすぐ聞こえてしまう。頭の中で「もしも」の時のシュミレーションをしながら、女性にココアを出した。


 この女性は、身なりは汚いが、出身はもしやいいところのお嬢様だったのではないだろうか。夜の月明かりではよく見えなかったが、家の中の明るい所にいると、しぐさのひとつひとつに、なにやら気品のようなものが感じられた。こんな人が、悪さなどするはずもないか。


 いくばくかの警戒心が溶け、女性がなぜこんな身なりをしているのか、そしてなぜうちを選んで戸を叩いたのか、疑問が沸き始めた。

 彼女を狭い部屋の真ん中にあるコタツに座らせ、わたしも彼女の向かい側のコタツに入って聞いてみた。彼女は細々と語り始めた。


 彼女は、とある場所にある大きな会社で派遣社員として働いていたらしいのだが、アメリカの株の下落とともに勤めていた会社が倒産寸前に追い込まれたらしく、いわゆる「派遣切り」を始め、路頭に迷うことになったのだそうだ。最初は会社から貰った最後の給料があったためにネットカフェを転々としたり、次の就職先を探しながら電車に乗ってあちこちに面接に行ったりしていたらしいのだが、ここへきてとうとう当座を凌ぐ路銀も底を尽き、実家に帰ろうにもすでに実家はなく、両親も数年前に他界してしまっていたので、最後に行き着いたこの家の近所でホームレス生活をしていたのだそうだが、今日は特別寒く感じ、いつも見かけていたわたしの後をついて来てしまったのだそうだ。


 話を聞けば、怪しいと突っ込みを入れたくなる場所もなくはないが、そういえば最近ニュースなどでよく「派遣切り」の話は聞いていたことを思い出した。わたしの会社はそう大きな会社ではないが、先日のアメリカの大不況の影響は少なからず受けていて、わたしも給料が減らされるかもしれないと聞いていたので、なんだか他人事とは思えない気持ちにもなっていた。


 とりあえず、家に入れてしまったのだから、この女性に湯を使わせるくらいのことはしてあげようと、コタツから立ち上がると、また玄関のチャイムが鳴った。玄関ののぞき穴から覗いてみると、またひとりの、今度は男性が立っていた。女性の生い立ちを聞いて緩んでいた警戒心がまたぶり返した。


「どなたですか。」

無愛想にわたしが返事をすると、外の男性は言った。


「すみません。女性がお世話になっていると思うのですが。ちょっとその人と話させていただけないでしょうか。」

なんだ、彼女の知り合いなのか。むくむくと復活し始めた警戒心が少しまた溶け、女性の方を見た。女性は、男性の声で、自分の知り合いだとわかったようで、すでにコタツから出て立ち上がって、玄関の方に来ていた。


「ごめんなさい。あの人と話をしてきます。」

女性はわたしに会釈しながらそう言うと、玄関を開けて外へ出てしまった。

なんだか、珍しくわたしの中に沸いた親切心を相手から断ち切られたような、惨めな気持ちになってしまった。と、同時に、あの女性を我が家から外へ出せたことでほっとしてもいた。


しばらくすると玄関が開き、先ほどの女性がまた入ってきた。


「本当に、申し訳ありません。」

こちらが逆に恥ずかしくなるほど恐縮をしながら入ってきた彼女は、なにか言いたげで、だがそれを言うのをはばかるかのようにモジモジしながら、元居たコタツに座った。


「どうしたの?」

わたしが聞くと、彼女は赤面をして、それから飲み込んだ言葉を反芻するかのように言った。


「いえ・・・・。実は先ほど訪ねて来た人も、わたしと同じ場所でホームレス生活をしていた人なのですが、その人が・・・・・。いえ、いくら貴方が親切な方でも女性ですし、それはあまりにも失礼・・・・でもしかし・・・・」

 そこまで言うと、彼女は俯いて泣き出してしまった。なるほど。つまりあの男性も、うちに泊めて欲しいと頼んでくれとか言ったんだな。でも、男性はいくらなんでも泊めるのは危ないんじゃないか。それこそ襲われでもしたら逃げ場がない。いらぬ仏心を出した結果がこれかよ、と、自分の無用心さに腹が立ってくるのがわかった。


 とりあえずは、彼女を風呂に入れてあげることにした。彼女にその旨を伝え、風呂場に誘導し、バスタオルを準備してあげ、彼女が風呂に入っている間に、友人の結婚式の引き出物(小冊子がついていて、そこから選んで好きなものを貰うシステムのもの)で貰い、一度も袖を通すことなく数年放置していたパジャマを準備し、お気に入りのコーヒーを淹れている最中、また玄関のチャイムがなった。彼女は風呂の中にいて、シャワーを使っているらしく、どうやら玄関チャイムの音は聞こえていないようだ。風呂の外から彼女に声をかけてみたが、やはり聞こえていないらしい。


 仕方なく、わたしはまた寒い玄関に鎖をかけ、少しだけ開けて、招かざる客に目を向けた。そこには、小奇麗にした状態で彼女の横に並べばきっと、世間も振り向くのではないかと思えるほどの上品そうな、しかし中年のためか、少しおなかが競り出た男性が居た。



「彼女は今お風呂を使っていて、外から声をかけてみましたが聞こえていないらしいので今は話が出来ませんよ。」

男性は残念そうな、それで居て少しほっとしたような表情で一言「そうですか」とぽつりと言った。


「もしかして、貴方も彼女と同じく、職も家も失ったのですか?」

いくらなんでもこれは不躾だろうとは思ったが、思い切って聞いてみた。


「はい。わたしは別の場所で働いていましたが、彼女とはこの近くの河川敷で一緒に助け合って暮らしていたのです。先ほどは大変失礼なことをお願いしに参ったのですが、彼女に「それは失礼だ」と叱られてしまい、お詫びと言ってはなんですが、夕方に川で獲った魚を煮付けたので、下手で申し訳ないですがお持ちした次第です。」

「彼女に言った、『失礼なお願い』って、もしかして、うちに泊めて欲しいとかそういうことですか?」

苛立ちにも似た感情で、男性に半分食って掛かったように問い詰めた。

男性は迷いながらも、のろのろと首を縦に振った。


「この寒空で確かにかわいそうには思うけど、うちは見ての通りわたしひとりだけしかいないんです。いくらなんでも、男性を家に入れるわけにはいきません。」

冷酷なようだが、自分の身の安全のためにこうするしかないのだ。そう思った瞬間、男性の背後の暗い部分に、なにか白いものがチラチラと降ってくるのが見えた。よくみると、男性の頭にもうっすらと白く積もったものが溶け出しているのが見えた。


 この都会に珍しく雪が降ってくるとは。いつもなら、クリスマスの日に雪なんて神秘的でいいな、これぞホワイトクリスマスと言うのだろうなどと楽天的なことを考えるのだろう。しかし今のわたしのこの状況ではとてもそんなお気楽なことなど言えない。嫌な、しかし逃げられない状況に陥ってしまったのかもしれない不安に瞬時にして包まれてしまった。


気がつくと、彼女が風呂から上がり、わたしの後ろに青ざめた顔をして立っていた。


「わたしひとりだけ助けて貰って、本当に申し訳ないと思ってるわ。でも、女しかいない場所に男性を入れるのはあまりにも無用心でしょう?」

「いや、君にそう言われたから、これを持ってきただけなんだ。」

「それは・・・・」

「以前、君にご馳走したろ。珍しくこの界隈でイワナが獲れたから、煮付けしたんだ。せめてものお詫びと思ってね。」


 もう、こうなったらどうにでもなれと言うような気持ちになってしまった。わたしは意を決して男性も家の中に入れることにした。


「なにもお構い出来ませんよ。それと言うのも、今日うっかり買い物をし忘れてしまいまして。給料日前なんでお金もないし。」

男性にもコタツに座るように指示し、コーヒーを淹れながら言った。

男性はふと女性とアイコンタクトのようなしぐさをし、わたしの方へ向き直って言った。


「それなら、わたしがお手伝い出来るかもしれません。台所をお借りしてもいいでしょうか。持ってきたものでなにか作りましょう。一宿一飯の恩義と思って頂ければ結構ですので。」

 そう言うとスックと立ち上がり、台所でなにやらコトコトとやり始めた。わたしはただ待っているだけの空気がなんとなく居心地が悪く、押入れから布団を出して寝床の準備をし始めた。彼女も世話になっているだけの雰囲気が居心地が悪かったらしく、台所とわたしのところをうろうろして手伝い出来ることはないかと探しているようだった。


「あいにく、布団が一組しかなくて。」

わたしがそう言うと、彼女はにっこりとして言った。


「いえ、わたし達は隅っこにでも寝かせていただければ結構ですから。布団はこの家の主人である貴方がお使いになるべきですわ。」


 いまどき、こんなことを言う人がこの世に存在するのか、お人よしと言うか既得と言うか。こんな良さそうな人がこの寒空に路頭に迷うなんて。なんてむごい世の中だろうと思わずには居られなかった。不安定なご時勢において、わたしももしかすると彼女になるかもしれなかったのだ。わたしの中で彼女や台所にいる男性に対して沸いていた疑問や警戒心が一気に溶け出すのがわかった。


 しばらくすると男性が美味しそうな匂いをさせた食事を狭いコタツに並べていた。いったいどこにこんなにたくさんの食材があったのかと思うほど、実にいろいろな料理が湯気を立てていた。


「せっかくのクリスマスに、あまり合わない食事で申し訳ないですが。」

男性は恐縮しながらそう言ったが、すでにわたしのおなかは目の前にある料理を早く収めたくてうずうずしていた。

 素人の料理とは思えないほど、イワナの煮付けもおひたしも味噌汁もご飯も、家に食材などこんなになかったのにどうやって手に入れたのかを考える暇を与えぬほどの出来栄えで、しかもなぜか食べても食べても減らないのだ。大人三人でおなかいっぱいになるまで食べても、まだ料理は残っていた。


 狐にでも抓まれたのかと訝るわたしを尻目に、突然またしても玄関のチャイムがなった。ふたりの来訪者に目をやると、ふたりも疑問そうな顔をして見つめ合っていた。玄関の覗き穴から見てみると、そこにはかつての知り合いの顔があった。わたしは動揺をふたりに気づかれないようにと慎重にドアを開けた。


「や、やあ・・・。あ、都合が悪ければ今日は出直すよ・・・。」

以前見たときには顔の色艶もよく、誰にでも好かれるような明るい性格が全身から湧き出したような風貌だったが、今はかつての面影はなく、顔には覇気がなく痩せこけ、目にはクマが出来ていた。


「わたしたちは外にいますので、お話なさってください。貴方にとってその方は大事な方なのでしょう。」

わたしが言う前に、来訪者ふたりはにこやかに部屋を出て行った。あまり家に入れたくはなかったが、ふたりの気遣いを無駄にするのもなんだからと、目の前のこけた顔の男を中へ招き入れた。


途端に、さっきまでは居心地のよかった自分の部屋が、居心地の悪いものになった。


「なんでいまさらと思っていることだろうね。」

彼が先に口を開いた。わたしは、彼の問いかけには答えず、気まずい雰囲気を断ち切るかのように言った。


「彼女は元気?」

わたしがそう言うと、彼はふうっとため息をつき、顔を下に落とした。


「いや、彼女とは別れたんだ。」

それだけを言うと彼はまた俯いた。さらに気まずい雰囲気になってしまった。わたしの質問が悪かったのか。だが、彼女と別れたとは一体・・・。


 せっかくのクリスマスの日に嫌なことを思い出してしまった。そう、数年前、彼とわたしは結婚を意識するほどの恋人同士だった時があった。出会いは単純なもので、大学時代の同好会の先輩と後輩の仲だった。わたしの内気な性格が災いして、同好会に友達の誘いで入ったはいいがなかなか打ち解けることが出来ずにいたのだが、明るい性格の彼の仲介や助言のおかげで、同好会の仲間とも打ち解けることが出来、楽しい大学生活が出来るようになった。そんな彼の性格に惹かれて、付き合ううちに恋に発展した、お決まりの恋の始まりだった。


 そんな彼が大学を卒業し就職すると、わたしとの距離がだんだんと遠くなっていった。大手の営業と言う仕事についた彼は、毎日が仕事に追われ、息つく暇もないほどの多忙だったのを、同好会の彼の同級生でありまた親友であった人から聞かされた。仕事が忙しいと言われればこちらからしつこく連絡をするのも躊躇われ、気がつけば今まで毎日大学で会って話しをしていたのに一切の連絡が途絶えるようになってしまった。


 不安になったわたしは、ある時大学をサボり、彼が勤めるという会社まで彼を訪ねて来てしまった。会社のビルはとてつもなく大きく、一流の商社で営業をしている彼の忙しさを思えば、わたしの不安などただの危惧に過ぎない、きっとわたしのわがままなのだろうと踵を返そうとしたその瞬間、会社から楽しそうに出てきた男女に目が行った。それは彼と、わたしの知らない女性だった。


 ふたりはわたしが傍で見ていることも気にも留めず、仲良さそうに寄り添って歩いてきた。突然のショッキングな出来事に呆然とし、その場から立ち去ることも出来ずにただうろたえてその場に立ち尽くすわたしのすぐ傍まで来てようやく、彼の目がわたしの目と合った。彼は一瞬言葉を無くしたが、まるでわたしをわざと無視するかのように、何事もなかったように彼女へと目線を移し、立ち去った。


 後から聞いたことだが、その女性は会社の上司の娘さんで、同じ会社に勤めていた、いわばエリートで、結婚の約束までしていたらしい。


 突然訪れた失恋のショックから立ち直ることが出来ずに、それ以来わたしは彼からの連絡を一切受けず、またわたしからも彼には連絡を取ろうとすることを止めた。

あんな失恋をするくらいなら、いっそ恋などしないほうがいい。そう心に決めた後、わたしは大学を卒業し、仕事に没頭することで失恋の痛手を癒してきたのだ。


やっと過去の清算が出来たと思っていたのに・・・。


 彼は、意を決したようにわたしに真剣な目を向け、やっと重い口を開いた。


「君にはその・・・、悪いことをしたと・・・・思っているよ。本当だ。」

そこまで言うと彼はまた、何か考えながら話をしようとしているかのように、俯いてはまた目を上げ、また俯いてを繰り返し、そして言った。


「こんなことを・・・その・・・、俺が言うのは・・・・、本来なら許されることではないとわかっているし・・・・俺には本来、その資格がないし・・・」

 一体この人はなにを言いたいのだろう。まあ、彼女とは別れたからうちに来たんだろうことは彼の姿を見た時からなんとなくわかってはいた。だがわたしとしても素直に彼を受け入れる気持ちには到底なれなかった。


「頼むっ!もう一度、やり直させてくれないか?」

 彼はわたしにそう言って、深々と土下座した。途端にわたしの中に眠っていた感情が沸き上がってきた。なにを言っているのだこの人は!

「いまさらそんなことを言われて、わたしが『はい』と言うとでも思ったの?わたしがあれからどれだけ苦しんだか、貴方はわかっているの?」

「君の言うことはもっともだと思うし、君はきっと、ものすごく苦しんだこともわかっている。すべては俺の仕出かしたことなんだということもわかっている。だが、俺はやっぱり君しかいないと、やっと気がついたんだ。」

 ここまでの言葉を言い終わらぬうちに、彼はハタハタと涙をこぼした。彼は言葉を続けた。

 彼は、最初は上司の娘といやいや付き合っていたらしい。彼女は甘え上手で、だんだんと彼も彼女が愛しくなっていき、彼女は自分が守ってやらねばならない存在なのだと思うようになったらしい。彼女の父である上司も、心強い跡取りと部下を一度に手に入れられると大変喜んでいたらしい。

 結婚を前提に付き合い出すと、今度は彼女の家に呼ばれることが多くなり、家族ぐるみでの付き合いになっていった。だが、いざ結婚をする段階になると彼女の本性が明らかになった。彼女は彼の知らぬ間に借金を繰り返し、その額は想像も出来ぬほどに大きくなってしまっていた。

 彼女が泣いて謝るので、結婚前だったのが幸いと、彼女の父親と相談してなんとか借金は返したが、彼が彼女の借金を返すために仕事三昧だった間に他に男を作り、結局捨てられてしまったらしいのだ。

 わたしは最初、同情する気持ちも起きなかった。自分と同じように、彼も苦しめばいい。そんな意地悪な気持ちが支配していた。

 

 ふと台所に目をやると、わたしが先ほどから使っていたカップから湯気が出ているのが見えた。立ち上がってカップを手に取ると、カップの中には暖かそうな、真っ白な飲み物が入っていた。一見怪しそうにも感じるが、不思議とわたしはその飲み物を口に含んでみたくなった。一口口に入れると、その液体は薔薇のような、それでいて違うもののようなよい香りを醸し出しながら柔らかな感触と共に喉を通過していき、それと同時にとても体が温まるのを感じた。また一口と飲んでみると、今度はなぜか体の中を支配していた彼への怒りや憎しみ、彼女に当時感じた嫉妬などが、まるで氷が熱湯を浴びて溶け出すように、自分の中から溶け出して消えていくのを感じた。それと同時に、わたしは自分が気付かぬうちに涙を流して泣いていた。


 彼がわたしの傍へ来た。わたしが泣いていることに驚き、そして慰めるかのようにわたしを抱きしめた。わたしはなぜかその彼からの抱擁を拒絶する気持ちにはなれず、彼の腕の中で泣いた。

 久しぶりの彼の腕の中はとても暖かく、そしてとてもほっとする空間だった。すでにわたしの心の闇は去り、いつの間にか彼とまたふたりでやり直そうと言う気持ちになっていた。


 しばらくしてふと、例の男女ふたりのことが頭に浮かんだ。そして窓を見ると、うっすらと白いものが積もっているのが見えた。そういえば、あのふたりはどこへ行ったのだろう。急にふたりのことが気になり始め、彼の心地よい腕の中から出て玄関へと急いだ。


 玄関を開けて外を見ると、もうすでに白銀の世界と化していた。


「どうしたんだい?」


 不思議そうな顔で彼はわたしに問いかけた。


「さっき貴方が来た時にいたお客さんよ。すっかり忘れていたわ。どこへ行ったのかしら。そろそろ入れてあげないと凍えてしまうわ。」

 わたしは玄関から外へ、そして路地まで探したが、ふたりの姿はどこにも見当たらなかった。

 彼がわたしの後を追いかけて外へ出てきた。


「一体君は誰を探しているんだい?お客さんって?」

 怪訝そうな顔つきで問いかけるわたしに、彼は言った。

「貴方も見たでしょう?うちにお客さんがいたのを。貴方が来たことで気を遣ってくれて部屋から出て行ったところを貴方も見たでしょう?」

「一体なんのことを言っているんだい?俺が君を訪ねた時、君はひとりだったじゃないか。」


 わたしは耳を疑った。一体なにを言っているんだろうこの人は。確かに彼はふたりを見たじゃないか。

 困惑するわたしに、彼は「風邪をひくよ」と言って上着を肩にかけてくれ、中へ入ろうと誘導した。だがわたしは素直に中へ入ろうとは思わなかった。あのふたりは行くところがないと言った。そのふたりがわたしの部屋を出てどこへ行くと言うのだろう。


 さきほど飲んだ暖かな不思議な飲み物のおかげで体は完全に温まっていたが、ふたりの男女を探すうちにまた体が冷えてきてしまい、渋々部屋の中へ入ることにした。しばらく待っていればまたうちへ戻ってくるだろう。


 玄関に入る前にもう一度路地の方を見ると、ふたりの男女がそこにいた。まるで幽霊でも見ているかのように、遠くからわたしを見ているかのように、だがふたりを光が包んでいるかのような、夢でも見ているのではないかと思えるほど幻想的な風貌で立っていた。わたしと目が合うと、ふたりはまるで「わたしたちのことは気にしないで」とでも言うかのように、暖かな笑顔を向け、そしてどこへともなく消えていった。わたしはただ呆然とそこへ立ち尽くすことしか出来なかった。


 気がつくと、わたしは自分の暖かな部屋の自分のお気に入りの布団の中にいた。降り積もった雪に反射した陽の光が小さな窓から差し込み、部屋の中を眩しく照らしていた。


『夢だったのかもしれない』

 わたしがそう思った瞬間、コタツですやすやと寝息を立てている彼が目に飛び込んできた。

 それでは、夕べの出来事は夢ではなかったのか。


 玄関を開けて外の路地に目をやると、昨日は暗くてわからなかった外の景色が鮮明に映し出されていた。わたしは上着を羽織り路地に出てみた。路地の向こうにある一筋の川の手前の土手には、昨日は気付かなかった一組の男女と思える雪だるまが静かな笑みを浮かべて佇んでいた。

最後、雪だるまふたり(?)と出会うところで終わってますが、この先のふたりの行方などは、読者様のご想像にお任せします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 現実的とメルヘン的な所があいまみえて、とても読み応えがありました。
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